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HONEY*POISON ―甘い蜜には毒がある―  作者: 滝沢美月
side:SYOMA
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第16話  ココロのうち、くもり 2



 社長代理を務めて事務所に来るようになってから一週間が経った。

 長田さんは、俺が来る前まではやったことのなかった仕事も、この一週間でやり方を覚え、彼女なりに一生懸命やっているのを感じる。まだまだミスはあるが、たった一週間でここまで出来れば大したものだ。俺の見込みに、間違いはなかった。

 長田さんと過ごす時間は充実し、彼女も俺に対して最初の緊張感は解けたように見えた――と思っていた。朝、事務所の入り口で、隣の運送会社の従業員に向ける笑顔を見るまでは。



「今日の夕飯、一緒に食べない?」


 そう誘われて長田さんは嬉しそうに微笑んでいる。俺には一度も向けてくれたことのない可愛い笑顔で。

 なんだかそれが無性に腹立たしくて、長田さんの返事の言葉を遮るように俺は声をかけた。


「仕事中にナンパですか? 集荷が終わったらさっさとどいてくれないと、部屋に入れなんですけど?」


 イラつく心の内を隠すように極上の笑みを浮かべて。

 扉にもたれかかりながら言った俺に、振り返った運送会社の彼は爽やかな笑みを浮かべ、帽子を脱ぎながら元気に挨拶をしてくる。入り口の前に置かれていたカートをどけたので、俺は挨拶を返しながら席に向かった。

 鞄を机に置きながら横目で入口の方を見ると、彼女は何か運送会社の彼に話しかけ、笑顔で手を振りその後ろ姿を見送った。

 仕事に取り掛かりながら、よく彼がレストランに食材を運びに来ることを思い出し、うちの会社を担当しているんだと思い至る。

 それにしても、あんな眩しい笑顔を向けるなんて、彼女はあの男のことが好きなのだろうか――

 そんなことを考えてしまって、手が止まっていたことにはっとし、こっちを見た長田さんと視線が合う。

 俺ははぁーっと大きなため息をついて、視線を横に向ける。

 彼女が誰を好きだろうと俺には関係ないことだ。そう思いながらも、イラつく感情を抑えられなくて、そらした視線を彼女に戻し、言わなくていい様な事を言ってしまった。


「なんですか、あなたは。ろくに仕事も出来もしないのに、ナンパなどされて浮かれて。仕事に集中出来ないのでしたら、帰って頂いて構いませんよ。そんな人に時給を払うだなんて、我が社の損益ですから」


 仕事に集中出来ていないのは、俺の方だが……

 そう思いながらも、すぐに彼女の反論が返ってくると予想していた。それなのに、彼女は俺のことを一瞬睨み、俺の言葉が聞こえなかったというように机に向き直ったから、わざと。


「ふんっ」


 鼻で笑ってやった。言い返してこないなら、言い返してくるようにするまでだ。


「言い返さないってことは、図星ですか。それならば……」


 そう言いかけた時、ばんっと音を立てて長田さんが立ち上がる。机に両手をつき、思い切り叩いたのだろう。顔は俯き、ぼそりと声を漏らしたから、俺は何と言ったのか聞こえなくて、ただ彼女を見つめた。



「私、このバイト辞めます」


 そう言うなり鞄を掴んで入り口に早足で歩きだした長田さんを、俺は反射的に追いかけて腕を掴んでいた。


「なんですか?」


 振り返らずに感情を乗せて叫ぶ彼女が、俺のことを全身で拒絶しているのが分かって、肌が震え、胸がジクジクと痛み、彼女の腕を掴む手に無意識に力がこもる。


「痛っ、離して……」


 長田さんが悲痛な声を漏らしたのに、俺は何も言えなくて、ただそのまま腕を掴んでいた。

 俺はなんで彼女を追ったのか――

 この胸の痛みは何なのか――

 その答えに辿り着いてしまって、俺はその答えを打ち消すように、慌てて彼女の手を離した。

 だけども、口から出た言葉は自分でも予想外のもので――


「逃げるのか?」


 もう十分嫌われているというのに、更に嫌われるようなことを言う自分に苦笑が漏れる。

 嫌われるなら、彼女ともう会うことさえなくなるのならば――彼女に憎まれるほど嫌われた方がいい――そう頭の片隅で考えて。

 だから俺は、振り返った長田さんを睨み据える。

 俺の手の届かないところに行ってしまうのならば――


「なっ……」

「本当のこと言われたくらいで、そうやって投げだすんですか、あなたは。そんなことをしていては、いつまでたっても、一人前に仕事を出来るようにはなりませんよ」


 反論しかけた長田さんの言葉を遮るように言い、くるりと背を向けて席に戻り書類をより分けながら。


「まあ、あなたが辞めてくれる方が、我が社にとっては有益だ。どうぞ、ご自由に辞めてくれて結構」


 心にも思っていないことを平静を装って言った。

 胸の痛みはどんどん増してくる。それでも、彼女が去るならば、彼女が自分で去るのではなく、俺が追い出す形にしたかったから――

 それなのに――


「逃げないわよ。久我さんに一人前だって、辞めたら困るって言われるような仕事をしてみせるわよっ!」


 そう叫んだ彼女は、僅かに潤ませた挑戦的な瞳を俺に向けていた。




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