第15話 ココロのうち、くもり 1
俺は冷ややかな視線を長田さんに向ける。そんな俺に対し、彼女は深々と頭を下げてきた。
「すみません。分からないので……教えてください」
そう言った長田さんの表情は見えなかったが、声は微かに震え、膝の前で握られた手も震えている。
その姿を見て、自分が大人げない態度を取ったことに気づく。
俺が言ったのはただの八つ当たりだ。長田さんがどんな仕事をするという条件でバイトしているのかは、社長と長田さんの間の話で、たとえ社長代理の立場であろうと俺が口出し出来ることではなかった。それなのに感情的に長田さんを非難した俺に――彼女は怒って詰っても良かったんだ。
心の内では悔しいと思っていることは震える手から伝わってくる。でも彼女は俺に頭を下げ、自分に非があると認めたのだ。
それは、仕事に対して真摯に向き合っている証拠ではないではないだろうか――
なんだか胸がざわついて、俺は何も言えなくなってしまった。
だから机に向かい、メモ帳にシフト票のやり方を書き出し、それを長田さんに差し出す。
長田さんは呆然と机の前に立ち尽くし、メモと俺の顔とを何度も視線が行き交い、メモを受け取ろうとはしなかった。
俺は仕方なくメモを長田さんの机の上に置き。
「シフト票のやり方を書いたから、それ見てやって」
そう言いながら席に戻って、仕事を再開した。しばらくして、彼女の机の方からキーボードを打つ音が聞こえ、ちゃんとメモを見て仕事をしていることが分かり、自分の仕事に集中した。
それから二時間ほど経った頃、微かな声が聞こえて、手を止める。
顔を上げると、彼女が口に手を当て涙ぐんでいるのがはっきりと見えて、俺は動揺しつつも、鞄に入れていたハンカチを取り出して彼女に差し出した。
彼女が泣いている――その原因は、おそらく俺。
俺が彼女をひどく傷つけるようなことを言ったから――
そんな自分に苛立ち、眉間に皺を寄せた。
長田さんと話したのはもう何時間も前なのに――きっとあの時は必死に涙をこらえて、仕事をして、ふっと緊張の糸が切れて思わず涙が溢れてしまったのだろう。
そんなふうに彼女を追い詰めるような言い方をした俺は、なんて最低なんだろうか。
「ここに、他の書類のやり方も書きました……さっきはすみませんでした、言いすぎました。確かに、長田さんの言う通り、やったことのない仕事をいきなりやれというのは無茶苦茶でした、反省しています」
俺はそう言って、誠意をこめて頭を下げる。
どうか、最低な俺を嫌いにならないでほしい――そう心の内で思いながら。
だけど、どうしても仕事のことになると容赦が出来ない俺。細かいミスを指摘し、仕事のチェックをする。長田さんが今まではやったことがない仕事だと分かっていながらも、彼女ならば出来る――そんな期待と信頼を寄せて。
だけどそんな心の内は知られたくなくて、なるべく感情を言葉に乗せない様に喋るのが精一杯だった。
※
たった今も、長田さんが提出ボックスに入れたばかりの書類にすぐに目を通し、ミスをチェックしてつき返したところだ。
やや唇を尖らせて斜め横に視線を向けた長田さんの唇が微かに動いたのを見逃さず、俺はぴくりと片眉を上げる。
「なんですか?」
聞こえないほど小さな声だったが、俺の耳には確かに届いた言葉に、俺はさっきまでの無表情から極上の笑顔を張り付けさせる。もちろん、心の内を隠すために――
「今、インケン……って言いました?」
びくりと肩を震わせた長田さんが、なんで分かったの――そんな風に驚いた視線を一瞬俺に向ける。
「今、地獄耳って思いましたね……?」
問いかける俺に対して、長田さんは蛇に睨まれた蛙のように小さくなり体を震わせている。
なんだろうな……笑顔で誤魔化しているつもりなのに、長田さんは怯えきっている。
でもその姿が可愛くて、緩みそうになった頬を引きしめて、わざとらしく大きなため息をついた。
「はぁー」
俺は素早く席に戻り、やりかけの書類をぱらぱらと捲りながら。
「別にいいですけどね、あなたにどう思われようと」
長田さんの方を見ずに、独り言のように呟く。
その言葉は、半分は本心で、半分は――
そんな考えを頭の片隅に追いやり、仕事に集中した。