第13話 出会った瞬間、打ち抜かれて
あれは四月、桜の花びらが青空を隠すように満開になった頃。
レストランに見慣れない子が現れた。
父が経営するレストランCouleur du mielで働かないかと言われ、悩んだ結果――生まれ育った母の祖国であるフランスを後にし、去年の九月に日本に来た。
日本での生活は慣れないことばかりで戸惑ったが、やっと一人暮らしにも日本の生活にも慣れてきた――そんな頃だった。
「おはようござます」
そう言ってキッチンに入って来た子はシェフとしばらく話した後、マネージャーが呼ばれ一緒に奥へと消えて行った。
身長は女性にしては低めだろうか、腰まで伸びたストレートの髪を後ろで一本に結わき、雪のように透ける肌にはくりっとした二重に桜色の唇が魅力的で、第一印象は正直、可愛い子だなと思った。
新しいホールスタッフのバイトの子だろうか?
そんなことを考えつつも、自分には関係ない存在だとすぐに思考を切り替えて、目の前の作業に取り掛かった。
経営の勉強をするためにフランスに来ていた父は、母方の祖父母の経営するレストランで母と出会い、恋に落ち――結婚した。
父の方が八つ年上ということと、母が生まれつき病弱ということから最初は結婚を反対されたらしいが、俺を身ごもり、結婚後も父がフランスに住むという条件で結婚が許されたらしい。
父、曰く――初めて会った瞬間、目と目が合った瞬間に、すでに恋に落ちていた――という。母さん以外に結婚する相手はいないと思ったし、母さんも同じように、父さん以外は考えられないと言っていたらしい。
中学に上がった頃に、どうして母さんと結婚したのか父さんに聞いたら、にやけた顔でそう言ってたんだ。
だけどその頃は、そんな出会った瞬間に始まる恋が存在するとは想像も出来なくて、ぼんやりと話を聞いていただけだった。
俺が三歳の時、母さんは亡くなったけど、家には母さんの写真がたくさん飾られ、父や祖父母からよく話を聞かされていたから、ほとんど記憶がなくても、母がどんな人だったかは想像できた。大きくなるにつれ、特に祖母は俺が母にとてもよく似ていると言っていた。
父は母が亡くなってからもフランスで祖父母のレストラン経営を手伝っていた――が、六年ほど前に、大学の友人で現在Couleur du miel東京駅店のシェフを務める塚田さんにレストラン経営の話を持ちかけられて、一年間悩んだ末に、日本へ行くことにしたのだ。
祖父母は、母が亡くなってからも大事な家族の一員として過ごしてきた父の一大決心に、父を快く日本へと送り出す。
その際、俺は日本へついて行ってもいいし、フランスに残ってもいいと言われ――フランスでやりたいことがあったから、大学を卒業したら日本に行くと言い、フランスに残る。
幼い頃から祖父母の経営するレストランに出入りし、シェフである祖父の料理を食べ、その技を教わった俺は、大学で経営学を学ぶ一方で、フランスで有名な料理店で修業をした。
いつか父と一緒にレストラン経営をしたい――それが俺の夢だから。
だから、父から日本へ来ないかと、三店舗目の赤坂店で働かないかと言われた時は嬉しかったが――果たして俺が役に立つのかという迷いもあった。
日本に来て七ヵ月、まだまだ力及ばない――そう実感することが多くて、早く一人前になることだけに集中し、それだけで手一杯で。
その時感じた、胸のつかえるような僅かな痛みに、気付かないふりをしたんだ。
※
店内が混雑し慌ただしい昼時になって、皿がそろそろなくなりそうだと思った時、新入りのバイトの子が洗い終わった皿を運んで来て、その仕事はキッチンスタッフの仕事だから驚いた。てっきりホールスタッフだと思っていたし、キッチンスタッフに女性がいることは非常に珍しいからだ。
だけど、それからしばらくしてすぐに、彼女がキッチン“スタッフ”ではないことを知る。
ずっと洗い場に籠り、ひたすら下がってきた食器を洗い続けていた。洗い物がない時は、洗い終わった食器を食器置き場に置きに来たり、洗い場の周りを掃除している。
そんなのは……キッチンスタッフの仕事ではない。洗い場は基本的にはホールスタッフの仕事だが、ずっと洗い場に籠ることはありえない。
まるで、皿洗いをするためだけに来たような――だけども、彼女が洗った皿はどのホールスタッフが洗ったよりも丁寧に洗われ、だからといって作業ペースは遅くはなく、むしろ早い方で。
彼女の存在が謎過ぎて、彼女のことを考えずにはいられなくて。
でも、ランチ営業が終わってから洗い場を覗くと、そこにはすでに彼女の姿はなかった――
遅いランチをスタッフで食べている時、“彼女”の話題がでる。
シェフが言うには――長田 葵生、十八歳、今月から本社の事務スタッフとしてバイトを始めたらしい。今日は、ホールスタッフが一人朝に休みという連絡があり、助っ人として呼んだらしい。あと、レストランの見学も兼ねていたらしいが。
シェフは何度か事務所で会っているらしく、彼女のことを“葵生ちゃん”と親しそうに呼んでいる。
助っ人っといっても、いきなりホールの仕事を任すわけにはいかず、皿洗いだけを任せたらしい。
それにしても――
「それにしても、ずっと皿洗いばかりやらされても、文句一つ言わずずっと笑顔で、長田さんならホールもすぐにできそうですね」
俺の考えに被さって、マネージャーがシェフに話しかける。
「そうか?」
「それに、仕事の覚えも早くて、作業は丁寧かつ迅速! 皿洗いだけさせるなんてもったいない気がします」
キッチンスタッフの一人が言う。
「じゃあ、また何かあった時は葵生ちゃんに助っ人として来てもらうか」
シェフはほくほくとした笑顔で、スタッフの話に相づちを打つ。
「長田さん、可愛かったしなぁ~」
そう言ったホールスタッフの言葉に、男性陣は頷き、女性陣は笑ったり、文句を言ったりしていた。
その後、スタッフが足りない時は彼女が呼ばれるようになる。
月に数度だったが、彼女がレストランに来ると――大げさかもしれないが、世界が溢れんばかりの輝きに満ち、心が温まる――そんな不思議な気持ちになった。
それが恋のはじまりだと――まだ、俺は気づいていなかった。
この話から翔真視点です。
※ 翔真の一人称が“俺”になってますが、普段は“俺”で他人の前では“僕”と使い分けています。