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第12話  甘い蜜には毒がある



「葵生ちゃんお待たせ」


 社長とシェフが席に戻って来て、泣いている姿を見られてしまった。社長は、私から横に立つ久我さんに視線を移す。


「翔真――お前が泣かしたのか?」


 その言葉に、私は慌てて目元を拭いながら言った。


「ちっ、違うんです。久我さんは関係なくて……あの、ただ、目にゴミが入っただけなんです」


 なんで泣いたのか――そんなこと、自分にも分からないのに説明できない。だからゴミが入ったと言って誤魔化す。


「そうかい? 待たせて悪かったね。まだ少しシェフと話すことがあるから、先に帰っていていいよ」


 ゴミが入ったということを信じた訳ではなさそうだったけど、社長はそのことにはそれ以上触れずに言う。


「はい……」


 私は、まだ溢れてくる涙を隠すために俯いて返事する。


「久我君も今日は上がってくれて構わないよ」

「翔真、遅いから葵生ちゃんを送ってあげなさい」


 シェフが言い、社長が言って、私は思わず顔を上げてしまった。


「えっ、い……」


 いいです――そう言おうとしたのに。


「わかりました、お先に失礼します。長田さん、支度してくるから少し待ってて」


 社長とシェフに頭を下げた久我さんは、私が言葉を挟む間もなく奥へ消えて行ってしまった。

 社長に言っても無駄だと分かりつつも、言ってみる。


「あの、社長。私、一人で帰れますから大丈夫ですよ?」


 でもやっぱり返ってきた答えは予想通りのもので、社長はにこやかな笑顔で言ったのだ。


「送ってもらいなさい」


 そう言われたら、もう頷くしかなかった。


「はい」



 あんなに会いたいと思っていた人物がいきなり目の前に現れて、溢れる感情と共に、逃げ出したいような気持になったのは、どうしてだろう。

 社長とシェフは再びキッチンへ行ってしまい、私は一人、ソファー席に深く腰掛け、背もたれに全体重を預けて天井をあおいだ。

 しばらくして奥から現れたのは、細身の黒いズボンにグレーのTシャツを着た久我さんで、その姿は眼鏡をかけている以外は事務所に来ていた時と同じような雰囲気を漂わせていて、なんだか自分の知っている久我さんで、少し安心した。


「長田さん、お待たせしました。車まで少し歩くけどいい?」


 私は立ち上がって久我さんの方に歩きながら、頷く。

 あっ、長田さんになっている。機嫌は直ったみたい――そんなことを考える余裕もあった。



 街灯の明かりだけの薄暗い夜道を、私と久我さんはゆっくりと並んで歩いた。私は右手に持った鞄をぶらぶらと大きな弧を描くように振って白線の上を歩き、半歩前、斜め横を歩く久我さんは少し空を見上げている。

 久我さんに会ったら、言いたいこととか聞きたいこととかたくさんあったはずなのに、何も言えなくてただ黙って前を歩く久我さんについて行った。



 もしも、私が久我さんを好きだと言ったら、久我さんはどんな反応をすだろうか――?

 驚く?

 呆れた顔をする?

 鼻で笑う?

 きっとどんな反応だったにせよ、振られるのは確実で、でも、終わりにするなら振られた方がすっきりしていいよね。

 そう思った時、ミチルの言葉が脳裏をよぎる。


『社長代理ってさ、葵生のこと好きなんだね』


 そんなことはない――って頭で否定しても、心のどこかで、そうだったらいいと思っている私がいて、振られる覚悟も気持ちを伝える勇気も持てなかった。

 はぁー。

 情けない自分にため息をついた時、振り返った久我さんと視線があった。


「長田さん、さっき……の?」


 躊躇いがちな小さな声で聞かれたから、聞き取れなくて。


「えっ?」


 私は首を傾げた。


「レストランで会った時、本当に僕のこと気づいてなかったの?」


 ああ、そのことか……


「はい、すみません。本当に全然気づかなくて」


 私は俯いて言った。


「ひどいな、長田さんは。そういえば、社長が復帰するって聞いた時、すごい嬉しそうにしてたよね。社長が戻ってきたら、僕のことなんか忘れちゃった?」


 あれ……? ちゃんと名前で呼ばれているのに、言葉に棘があるような……


「そんなに僕のことが嫌い?」

「えっ……」


 私はそう聞かれて戸惑ったんだけど。


「そういえば、僕のことインケンとか言っていたね?」


 久我さんがふんって鼻で笑って言うから、私はカチンときて開き直る。


「言いましたね、そんなこと。でも本当のことじゃないですか、今だってネチネチネチネチ、私のこといびって……」


 私は腕を組んでそっぽを向いて、今まで心にとめてきた文句をここぞとばかり言ったのに。


「くっ……くっくっ……」


 って、いきなり久我さんが笑いだすんだもの……驚いてしまう。

 しかも、片手でお腹を抱えてもう一方で口元を押さえて、目に涙さえ浮かべているから、私は呆然とその姿を見つめる。

 なんでこの状況で笑うの……やっぱり久我さんって謎すぎる……


「あははっ……ごめん。笑ってないよ?」


 思いっきり笑われた後で、そんなこと笑顔で言われても……


「めちゃくちゃ、笑ってるじゃないですか。ほんと、久我さんって謎ですね」


 ぽろりと本音が漏れてしまう。


「謎?」


 その言葉を、久我さんが反芻する。


「そうですよ、突然機嫌が悪くなったり、そうかと思えば良くなったりするし、突然笑いだすし」

「くすくす」


 言ってるそばから笑ってるし。


「ごめん、長田さんのことを笑ったわけじゃないよ。長田さんの言う通りだと思って。俺ってなんて、性格悪いんだろうと思ってね」


 あっ、久我さんが俺って言った……

 いつもは“僕”って言うのに、もしかして、これが素顔なのかな……

 私はそんなことを考えながら、じーっと久我さんを見つめた。


「こんな俺のこと……」


 言いながら久我さんが首を傾げ、その瞬間さらさらと蜂蜜色の髪が揺れる。その仕草一つ一つが色っぽくて。


「……嫌い?」


 すっと瞳に妖しい光が瞬いて、魅惑的な声で聞いてくるから、鼓動が早鐘のようにドクンドクンいっている。

 あまりにも綺麗な顔で笑うから、ぱっと久我さんの顔から視線をそらした。

 どうしてそんなこと聞くの……?

 私のこと嫌いなのは久我さんの方じゃないの……?

 いつもインケンで、私のことなんて仕事ができないダメバイトとか思ってそうだし、他の人にはあんなに優しく笑いかけてるのに、私にはぜんぜん優しくなくて――

 そう考えて、嫌いって聞いた時の久我さんの妖艶な笑みを思い出して顔がかぁーっと赤くなり、胸がぎゅっと締め付けられる。

 あっ、あれは、毒なのよ。人のことを好きにさせる甘くて魅惑的だけど、でも決して見返りのない罠――



「――長田さん?」


 黙り込んでしまった私の顔を久我さんが覗き込んで来る。

 私はうまく声が出せなくて、思考が上手く働かなくて、呆然と久我さんを見つめ返した。


『もしも、私が久我さんを好きだと言ったら、久我さんはどんな反応をするだろうか――?』


 さっき考えていたことを思い出し、ぎゅっと拳を握りしめる。


「嫌いなのは……私のこと嫌いなのは、久我さんの方じゃないですか?」


 分かっているのに――返ってくる答えが怖くて、声が震えてしまう。


「長田さん……?」

「いつも言うことは厳しいし、笑ったところは見たことないし、笑ったかと思うとそういう時は怒ってるし……」


 喋っているうちに感情が高ぶってきて、泣きたいわけじゃないのに涙が溢れてくる。滲む視界、ぽろぽろと頬を伝う涙を無視して、私は久我さんをまっすぐ見つめた。


「でも、時々すごく、優しく、され……る、から……」


 嗚咽が漏れて上手く喋れない。


「私、は、久、我さんの、こと、きっ……嫌い、じゃ、ない……です」


 そう言った瞬間。

 久我さんの腕の中にいて、ぎゅうっと、優しく、でも力強く抱きしめられていた。


「ごめん……優しく出来なくて……ごめん。自分でもこんな感情は初めてで戸惑っているんです。自分がこんな風になるなんて……」


 言いながら空を仰いだ久我さんは、そのまま黙ってしまった。抱きしめられていた腕が緩められ、久我さんの逞し胸にあたっていた顔を離し、私は久我さんを見上げる。

 こっちを見た久我さんは怒りを隠した笑顔でも、妖艶な笑みでもなく――ほんのりと頬を染めて照れたような顔で、ふわりと笑った。


「好きです、あなたにだけなんです。こんな自分で自分の感情をコントロールできなくなったり、感情と態度がちぐはぐになってしまうのは。初めて会った瞬間から、長田さん、あなたに惹かれていました」

「それって……私を好きってことですか?」


 私は思わず聞き返してしまった。

 その瞬間、天使も慌てて逃げ出すような妖しく麗しい微笑みを久我さんが浮かべていて、びくりと肩を震わせる。

 なっ、なにか、まずいこと言ったかな、私……


「そう、言いましたよ、最初に」


 言葉に棘がたくさんあって、怒りを隠した嘘つき笑顔に、一歩後ずさる。

 身長差のせいだろうけど、上から見下ろしてくる視線が馬鹿にされているようで、とても好きって言った態度には思えなくて、頬を膨らませて反論する。


「うっ、嘘ですね。だって、そんな風には見えないじゃないですか。もう、私のことからかうのはやめてください。そーゆうことは他の人にしてください」


 ぷんぷん怒りを露わにそっぽを向く。


「久我さんのそーゆう態度は毒です! 公害です! 毒にやられるこっちの身にもなっ――」


 なってください、そう言おうとしたのに。

 その口は久我さんの口に塞がれてて――

 あまりの衝撃に、目が落ちちゃうんじゃないかってくらい見開いて久我さんを見つめる。

 その一方で、間近にある久我さんの端正な顔に見とれ、閉じられた瞳と長い睫毛に惚れぼれしてしまう。

 ゆっくりと顔が離れ、久我さんがじーっと私を見つめて――そして、にやりと笑ったの。


「好きですよ、長田さん」


 嫌ぁ――――っ!

 目が笑ってないぃ――



 ※



 どこかでこんな言葉を聞いたことがある――


“美しい花には棘があり、甘い蜜には毒がある”


 初めから棘があることも毒があることも分かっていたのに、完全に甘い毒にやられ、もう引き返せないところまで来てしまったようです。



 天使のように微笑むインケン男を好きになってしまった私の苦難は、まだまだ始まったばかりだった――




これにて、葵生視点のお話は完結です!

ここまで読んでくださってありがとうございます。

感想や1ポイントでもいいので評価頂けると今後の励みになります。


次話からは、翔真視点のお話をUPする予定です。

内容はほぼ葵生視点のものと同じですが、葵生を好きになった時のエピソードを入れてあります。

興味のある方は、そちらもよかったら読んでみて下さい。


誤字などありましたら、お知らせください<m(__)m>

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