第二話
今日は高校の入学式だ。
唯那は真新しい制服に身を通して、入学式に臨んだ。
天神町には高校がひとつある。それが、これから唯那が通うことになる天神高校だ。
天神町に住む人はほとんどこの高校に進学するらしい。とはいっても、天神町民だけでは、人数が足りないので、唯那のような外から来た人もいる。
ほとんどがこの町出身だと聞いて、唯那は少し不安に思った。友達、出来るだろうか?
式は退屈だ。
唯那は先日自分の身に起こった不思議な出来事に思いをはせた。
あれは本当のことだったのだろうか?家に帰ってから何度も自答した問いだ。
美しい場所だった。
その地の住人、天神・蓮。綺麗な人だった。
その面差しが心の一点に張り付いて離れない。
入学式があったため、帰らなくてはならなかったが、叶うものなら一生あの場所で暮らしたいと思った。
かの人は「またおいで」と言った。
また行ってよいのだろうか?
今日の帰りに寄ってみようかと唯那は思った。
これといった面白みも無いまま、入学式は無事に終わり、唯那は張り出されていた自分のクラス、1-Bに向かった。
教室のドアを開けると、唯那が不安に思ったとおりの光景が広がっていた。
そう、みんなほとんどが顔見知りなのだ。
すでに、教室のあちらこちらで、話に花を咲かせている。
仲良くなれるだろうか?
結局、高校でもあまり代わり映えしないな。
そのことに多少の不満を覚えながら、甲斐健太は教室のドアを開けた。
自分の席を確認する。窓際か。
結構いい席だと思いながら、自分の席へ向かう。
隣の席にはすでに女の子が着席していた。
心ここにあらずといった感じで、物思いにふけっている。
ふっ、とその子が健太のほうを見た。
(あ、消えてしまう)
その瞳に見つめられた瞬間、そう感じた。
次に感じたのは自分が守ってあげなくてはという強い使命感。
その瞬間にもう心は囚われていた。彼女に。
「俺は甲斐健太。君は?」
気づいたら、声を掛けていた。
「俺は甲斐健太。君は?」
誰かが自分のほうへ向かってくるのが視界の隅に移り、そちらへ目を向けた唯那は突然声を掛けられて驚いた。
初対面ならではの軽い笑みを浮かべてその男の子は隣の席に腰掛けた。
隣の席の人かとぼんやりと思う。
「ん?」と名前を促されていることに気づく。
「忍谷唯那です。」
「忍谷唯那さんか。あ、名前呼び捨てでいい?みんな呼び捨てだからさ。俺も名前で呼んでよ。」
彼はそういうと今度は人懐っこい笑みをその顔に浮かべた。
なんだか仲良くなれそうだと唯那は思った。
「あ、健太~!」
声がしたかと思うと、その声のとおり、活発そうな女の子が駆け寄ってきた。
「健太も同じクラスだったんだ。も~いい加減飽きたわ。」
とちょっと首をすくめて言う。
でも、言葉の割には楽しそうだと唯那は感じた。
「俺だってごめんだよ!」
そう返す健太も、気心の知れた仲間に対する笑顔だ。
「まあいいわ。それより、なあに?もう目当ての子を見つけたの?」
とチラリと唯那に視線を向けてその子は言った。
唯那は思いがけない言葉に目をパチパチとさせた。
「ばかっ、そんなんじゃねえよ!」
と言いつつも健太の顔は少し赤く染まっていた。
「ふ~ん。」
意味深な呟きを健太に残すとその子は唯那の方にくるっと振り向いた。
短くそろえた髪が良く似合っている。
「あたし、甲斐千由紀。こいつのいとこなの。よろしくね!」
「あ、忍谷唯那です!」
「よろしく、唯那!」
勢いに飲まれて唯那も答えると、千由紀は明るく笑った。
放課後、唯那はひとり、あの細道へ向かった。
やはり周囲に人影は無かった。
神の坐す所だから、なにかの力が働いているのかもしれないと、唯那は思った。
足を踏み入れると、あの唄が聞こえた。それに続く問い。
唯那はもうその声が守犬であるコマとマコだと知っていたので、
「こんにちは。唯那です。」
と、自分の訪問を告げた。
瞬間ざっと視界が変わる。唯那はうれしそうなコマとマコに迎えられていた。
正直、不安だったのだ。夢だったのではないかと。そうでなければ、まやかしだったのではないかと。
現実ではとても信じられないようなことだったのだ。自分が違う世界に入ってしまったことが。
だが、今日また唯那はこの世界に迎えられた。これは現実なのだ。
「唯那さんをお連れしました。」
唯那は蓮の元まで案内された。
「こんにちは。」
そう挨拶して、唯那は蓮を見た。
何かに打たれたような表情をしていた。それはすぐ見えなくなったが、唯那は不安になった。
来てしまってはいけなかったのだろうか、蓮には歓迎されていないのではないか。
唯那の顔が曇ったのが分かったのか蓮は言う。
「やあ、唯那。よく来てくれましたね。」
その言葉にほっとする。
よかった。嫌われてはいないみたい。
自分で思っている以上にほっとしていた。蓮に嫌われるのはとても怖かった。それは、蓮が神だから、その怒りを畏れてとかそういうことじゃない。蓮に嫌われたくなかった。
それからというもの、唯那は週に一度は必ず、多いときは4,5日、蓮のところへ通うようになった。
おしゃべりをして帰るだけ。それだけのことなのに楽しくて、うれしくて。
そうして楽しいときが終わり、帰るのはとても怖いのだ。楽しく、うれしく思えば思うほど、帰りが辛い。それに拍車を掛けるのは、寂しそうな蓮の顔。
だけど、唯那は帰らなければならない。どうしても自分の世界へ帰らなければならないのだ。
自覚の無いまま唯那の心は囚われる。
この不思議な世界に。
―――蓮という存在に……。
楽しいときが終わるのは早い。
唯那は通う。一瞬も無駄にはできないとでもいう様に。
ただひたすら、唯那は、蓮に、逢いに行く。
時が限られていることを唯那は、……知らない。
いつかは終わりが来ることを。