第十話
その場から動かない唯那をどうにか説き伏せ、家に送り届け、自らも自宅へ戻った健太は考える。
唯那がこのまま大人しく明日を過ごすとは思えなかった。必ずもう一度、蓮の所へ行こうとするはずだ。唯那のまじめな性格ではこの一週間もきっといつも学校へ行くのと同じ時間に家を出ていたに違いない。家族に心配をかけないために。
ならば、明日とてそれを違えることはないだろう。
そこまで考えると唯那が学校へ登校する時間から逆算し、家を出るであろう時間に見当を付ける。
その前までに唯那の家へ向かうことを誓って健太は眼を閉じた。
その夜は一睡も出来なかった。
はやる気持ちをどうにか押さえつけ、家族に心配を掛けないように振舞うが、隠しきれるものではなく「何かあるのか?」と母親に聞かれた。この数日も家族は唯那が普通に学校へ行ったと思っている。唯那が普段通りの時間に家を出ていたからだ。休む訳を聞かれても家族には説明しようがない。だから唯那は小さな嘘をついた。
今日は金曜日。学校は休みではない。いつもの時間に家を出なければいけないのだ。時間が経つのをこんなにもどかしく感じたことはない。
「いってきます。」
ドアを開けた唯那は門の前に立つ健太を見て、息を飲む。
「どうして・・・?」というつぶやきが唯那の口から洩れる。
「唯那が心配だったからさ。行くんだろ?天神様。俺も一緒に行くよ。」
昨日の様子を見られていたのだから健太の心配はもっともだった。それにしても、蓮の所に行っているのを言い当てたときといい、健太には自分の行動がお見通しなんだなと唯那は思う。
そんな健太の存在を少しだけ心強く感じながら、唯那は蓮の元へと足を速めた。
二人は無言のまま【細道】へと辿り着いた。
しかし、
「やっぱり聞こえない・・・。」
閉じられた入り口を唯那は見つけることが出来ない。
うなだれる唯那を見て、最後にもう一度蓮に逢わせてやりたいという気持ちが健太の中に沸き起こる。どうにかならないのかと健太は懸命に耳を澄ました。
さらさらと笹の葉が擦れる音。
「!」
ぴくりと健太の耳がそれをとらえた。
「こっちだ!!」
唯那の手を引き、健太は走った。
健太を伴って現れた唯那に蓮は瞠目する。道は閉じたはずだ。いったいどうやって・・・いや、健太だ。健太の存在を忘れていた。唯那に向かって閉じた道。他の人ならばあるいは・・・。いや、そんなことはどうでもいい。問題はこの危険な場所に唯那が来てしまったという事実。もう時間がない。蓮は声を荒げる。
「あれほど来るなといったのになぜ来たのですか!もう、さよならだと言ったのに・・・っ。」
早く、早くしなければ。
「嫌っ!さよならなんて。もう会えないなんて!一緒に―――」
唯那は蓮に縋りつく。
「いいえ駄目です!」
唯那の言葉を最後まで言わせず、蓮は強く拒否する。
そして、唯那とともに、再びやってきた健太を蓮はじっと見つめた。
そこに宿る想いを健太は知っている。
その強いまなざしに向かって一つ、強くうなずいた。
ドッ ドーンッ
大きな地鳴りとともに地面が揺れた。
突然の衝撃に唯那も健太もバランスを崩す。
崩壊が始まったことを蓮は正確に理解した。
「ここはもう崩れます!さあ、崩れる前に!早く!」
「蓮は?!蓮はどうなるの?」
「私は、他の場所へ移ります。大丈夫。私は神です。死は訪れません。」
唯那を安心させるよう、あえて穏やかな口調で蓮は言う。そう、蓮は消えかかった神だった。だが、唯那がいて、健太がいる。ひとりでも覚えていてくれる人が居るのなら・・・蓮は消えない。
「コマ!マコ!ふたりを出口へ!」
「はいっ、さあ、早くこちらへ!」
「いくぞ!!」
唯那の手を健太がグイと引っ張っていく。
「いやよ!蓮と離れたくないっ、いやっ!」
叫ぶ唯那を悲しげに、寂しげに見つめる蓮の姿が、健太の目に映った。
絶対に唯那を連れて帰る。ここで失うわけにはいかない。あいつだってそれを望まない。
――この手を離すわけには いかない
こわい!恐い!怖い!
唯那はただ、怖かった。どうしようもなく怖かった。
何が怖かった?この温かな世界が崩れることが、無くなることが怖かった。
・・・蓮ともう二度と会えないことが怖かった。
ひとつだけ怖くないことがあった。
健太に引っ張られている手。
力強く、力強く、そして優しく・・・。
それだけが、唯那の支えだった。
どうかこの手を離さないで!
強く願った。
一筋の光が舞い込んだ・・・。
「おいっ!お前たちどこから入った!」
唯那と健太の目の前には、作業服を来た町長、それに工事関係者。
「危ないから早く出て行きなさい!」
細道と小さな社はもうほとんどなくなっていた。
ガサッ
「「戻りました。」」
「ふたりは・・・?」
「無事に。」
「そうか・・・。」
私の唯那。人々の心から忘れ去られようとしていた私を見つけてくれた。
唯那。愛し子よ、どうか幸せに・・・。
蓮はもうほとんど崩れてしまったその地を切なげに見渡した。
そして、頭を一振りすると言った。
「さあ、私たちも参ろうか。」
その地での思い出を、唯那との思い出を、唯那への想いを。
断ち切るように・・・。
「「はい。」」
主人の想いに答えるように、二匹の守犬の返事が返った。
刹那、一筋の風が舞い込む。
その地にはもう何も、誰も残ってはいなかった。