輪郭のない文
ここに来る理由が
戦いのついでではなくなっていた。
それに気づいたのは、足が止まったときだった。
丘を越え、崩れた石壁が見えた瞬間、無意識に歩調が速くなる。
剣の重さより先に、文箱のことを考えている自分がいる。
今日は返事があるだろうか?
いや、期待してはいけない。
そう思いながら、結局いつもと同じ場所に立っていた。
文箱は変わらず、そこにあった。
壊れた鍵、風に晒されて色の抜けた木肌。
蓋に手をかけるまでの一瞬が、やけに長い。
――入っていた。
胸の奥が、ほんの少しだけ緩む。
それを自覚して、すぐに目を伏せた。
⚪︎⚪︎⚪︎
ここが、あなたにとって立ち止まれる場所であるなら、
それは悪いことではないと思います。
私にも、似たような場所があります。
そこでは役目のことを考えなくていい。
誰かに見られることもない。
あなたがここで書く言葉を、
私は嫌いではありません。
⚪︎⚪︎⚪︎
「嫌いではない」
たったそれだけの言葉が、妙に残る。
読み返して、折り目をなぞる。
紙は少し硬く、何度も書き直した跡がある。
少し丸みのある、丁寧な字。
けれど、几帳面すぎない。
言葉を選ぶ癖がある。
それでいて逃げない。
――どんな人なのだろう。
そんなことを考え始めた時点で、もう一線を越えている気がした。
知らない相手、
名前も立場も、顔も分からない。
分からないはずなのに、
文字の向こうに誰かが立っているのを、はっきり感じてしまう。
返事を書くために紙を取り出す。
ペン先が止まる。
今までよりも、ほんの少しだけ近づきたい。
その欲を、自分でもはっきり自覚してしまう。
⚪︎⚪︎⚪︎
ここは、不思議な場所ですね……
誰にも見られていないはずなのに、
書いた言葉だけは確かに誰かに届いている。
あなたの言葉を読むたび、
返事を書くのが当たり前になっている自分に気づきます。
それが、少し怖いです。
⚪︎⚪︎⚪︎
書いてから、息を吐いた。
怖い、という言葉を選んだのは本心だった。
習慣になるということは、失う可能性が生まれるということだ。
返事が来なくなる日。
この箱が空のままの日。
そんな想像をしてしまうこと自体が、もう異常なのだろう。
それでも、ペンは止まらなかった。
⚪︎⚪︎⚪︎
失礼なことを聞きます。
あなたは、どんな顔で字を書く人ですか。
⚪︎⚪︎⚪︎
書き終えた瞬間、後悔が押し寄せた。
踏み込みすぎだ……
ここまで来て顔を想像する必要はない。
紙を折り文箱に入れる。
蓋を閉めたとき、胸の奥が少しだけ痛んだ。
教会を出ると、風が強くなっていた。
雲が低く、空の色が重い。
それでも足取りは軽い。
まだ会ってもいない。
それどころか会うつもりもない。
――それなのに。
輪郭のない相手が、確かにここにいるような気がしていた。
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