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境界の文箱  作者: 華燕雀
2/5

輪郭のない文


ここに来る理由が

戦いのついでではなくなっていた。


それに気づいたのは、足が止まったときだった。


丘を越え、崩れた石壁が見えた瞬間、無意識に歩調が速くなる。

剣の重さより先に、文箱のことを考えている自分がいる。


今日は返事があるだろうか?

いや、期待してはいけない。


そう思いながら、結局いつもと同じ場所に立っていた。


文箱は変わらず、そこにあった。

壊れた鍵、風に晒されて色の抜けた木肌。


蓋に手をかけるまでの一瞬が、やけに長い。


――入っていた。


胸の奥が、ほんの少しだけ緩む。

それを自覚して、すぐに目を伏せた。


⚪︎⚪︎⚪︎


ここが、あなたにとって立ち止まれる場所であるなら、

それは悪いことではないと思います。


私にも、似たような場所があります。

そこでは役目のことを考えなくていい。

誰かに見られることもない。


あなたがここで書く言葉を、

私は嫌いではありません。


⚪︎⚪︎⚪︎


「嫌いではない」


たったそれだけの言葉が、妙に残る。


読み返して、折り目をなぞる。

紙は少し硬く、何度も書き直した跡がある。


少し丸みのある、丁寧な字。

けれど、几帳面すぎない。


言葉を選ぶ癖がある。

それでいて逃げない。


――どんな人なのだろう。


そんなことを考え始めた時点で、もう一線を越えている気がした。


知らない相手、

名前も立場も、顔も分からない。


分からないはずなのに、

文字の向こうに誰かが立っているのを、はっきり感じてしまう。


返事を書くために紙を取り出す。

ペン先が止まる。


今までよりも、ほんの少しだけ近づきたい。

その欲を、自分でもはっきり自覚してしまう。

 

⚪︎⚪︎⚪︎


ここは、不思議な場所ですね……


誰にも見られていないはずなのに、

書いた言葉だけは確かに誰かに届いている。


あなたの言葉を読むたび、

返事を書くのが当たり前になっている自分に気づきます。


それが、少し怖いです。


⚪︎⚪︎⚪︎


書いてから、息を吐いた。


怖い、という言葉を選んだのは本心だった。

習慣になるということは、失う可能性が生まれるということだ。


返事が来なくなる日。

この箱が空のままの日。


そんな想像をしてしまうこと自体が、もう異常なのだろう。


それでも、ペンは止まらなかった。


⚪︎⚪︎⚪︎


失礼なことを聞きます。


あなたは、どんな顔で字を書く人ですか。


 ⚪︎⚪︎⚪︎


書き終えた瞬間、後悔が押し寄せた。


踏み込みすぎだ……

ここまで来て顔を想像する必要はない。


紙を折り文箱に入れる。

蓋を閉めたとき、胸の奥が少しだけ痛んだ。


教会を出ると、風が強くなっていた。

雲が低く、空の色が重い。


それでも足取りは軽い。


まだ会ってもいない。

それどころか会うつもりもない。


――それなのに。


輪郭のない相手が、確かにここにいるような気がしていた。

 

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