おれの手を引く白いひかり
暇だな……。
カウンターに肘をついて、おれは庭に面した窓ガラスの外をぼんやりと眺める。
朝から降り続く雨に濡れた木々の枝葉が、時々吹く強い風に揺らされては水滴を撒き散らし、それがガラスに当たってびちびちと音を立てている。
表通りから少し奥まった場所にあるこの小さな喫茶店は、天気の悪い日には客足がすっかり遠のいてしまう。
午後二時現在、客はゼロ。
もっと言うなら、おれが店を開けた朝七時からこれまでの客の数もゼロ。
おれは静まり返った店内へと視線を戻した。
カウンター席が五席、テーブルが三つだけというこじんまりとした店が、おれは結構気に入っている。
雨降りの日の、店内の静けさも実は好きだったりする。
売り上げのことを考えなくてもよければ、の話だけどな。
おれはただの雇われ店長で、他に店員はいない。
オーナーはこの店で儲けを出そうとは思っていないらしく、売り上げの相談をする度に「なんとかなるわよ」とあっさり言うのだけれど、店長のおれとしては複雑な心境だ。
雨音を聞きながら物思いにふけっていると、突然
バターン!!
と勢いよくドアが開いた。
りんりんりんとドアベルが激しく音を立てる。
「わたしがいらっしゃったわよ!」
信じられないほどのハイテンションで店内に突入してきたのは、白いワンピースを着て、腰まで届くふわふわの長い髪に幾つか水滴をつけた少女だった。
「い、いらっしゃいませ……」
おれはさっきまでの静けさとの落差に軽い眩暈を覚えながら、なんとか挨拶を返す。
「テンション低っ……」
「だって、朝から客がひとりも来ないんですよ……」
「たまにはこんな日があったっていいじゃない」
齢十五歳。日本を代表する八階堂グループ総帥のご令嬢にして、この店のオーナーである少女がからからと笑いながらぴょんとカウンター席に腰掛けた。
「経営のことはノープロブレム。それよりわたしは、君が店長を辞めたいって言い出さないか心配だよ。もし不満があったら言ってよね? 改善するから」
「不満なんてないし、辞めたいなんて考えたことないですよ。なんの取り柄もない俺おれを雇ってくれてることには、これでもすごく感謝してるんです」
両親は五年前に事故で亡くなり、親戚の世話になりながら通っていた高校も色々あって中退した。
親戚の家を飛び出したものの、なんとか見つけた仕事は続かず、バイトで食いつなぐ日々だった。
「取り柄なくないでしょ。君の淹れるコーヒーは香りも味も最高だよ。常連さんにも大人気じゃない」
駅前の喫茶店でバイトをしていたおれのコーヒーを、偶然立ち寄ったオーナーが気に入ってくれたおかげで、今俺はここでこうしている。
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど……」
「ご両親のおかげよね」
おれの両親は喫茶店を営んでいた。
そのため、おれは小さい頃から店をうろうろしていて、コーヒーの淹れ方は父親から教えてもらった。
それがこうして役に立つことになるとは、思ってなかったけれど。
オーナーが、ゆっくりと店内を見わたす。
「今日は、ご両親の命日ね」
静かにオーナーが呟くのを聞いて、おれは驚いた。
「知ってたんですか?」
「当然でしょ。わたし、このお店の雰囲気が大好きだった。おじさまが淹れてくれるコーヒーも、お店に溢れる香りも、微笑んでくれるお店の人たちも」
「オーナー……」
「か、勘違いしないでね! この店を買ってもらったのは、君のためじゃないのよ。わたしと同じようにこの店が大好きなお客さまたちのためなんだからっ!」
そう、この店は、かつておれの両親の店だった。両親が死んで売りに出されていたのを、オーナーが買い取ってくれたのだ。
「わかってます。おれも大好きでした。あの頃の店に近づけるよう、できるだけのことはしたいと……」
「それだけじゃだめよ。いつかはおじさまを越えてもらわないと!」
父親以上――?
あの、あたたかくて心地よい空気。落ち着いた空間。
泣きたくなるほど、懐かしい記憶。
あれを、おれが、越える?
「行きましょう!」
「え?」
ふいに手を引っ張られ、俺はわけがわからず首を捻る。
「お墓参りよ」
「でも店が……」
「いいのよ。こんな日くらい、お休みしたって。今日お客さんが来ないのは、雨のせいじゃないわ。常連のお客さんはみんな、今日が君のご両親の命日だって知っていて、気を使ってくれているのよ」
おれは目を瞠った。
そんなこと、ちっとも気づいてなかった。
いつも店に来てくれる、常連さんたちの顔が次々と脳裏に浮かぶ。
動きを止めたままのおれを、「さあ」とオーナーが促した。
オーナーの手は小さいけれどあたたかく、おれの手をしっかりと握っている。
手を引かれ、導かれるままには店の外へと踏み出した。
いつの間にか雨はやみ、雲間から白い光が射している。
濡れた葉が、太陽の光をきらきらと反射させる。
その眩しさに、おれは思わず目を細め、足を止めた。
「自信を持って。君なら大丈夫だから」
本当にできるのだろうか。わからない。でも、こんなおれを応援してくれる人たちがいる。
つないだままのオーナーの手をぎゅっと握った。
だったらおれは、おれれにできることを精一杯やろう。
おれは頷くと、オーナーの手を引いて歩き始めた。
(了)




