チャプター18 国会
照和54年6月某日。
雪子は国会の傍聴席に居た。
何を隠そう、今は修学旅行の途中なのである。
当時の修学旅行は、3日間常に制服で行動。
学校指定のジャージ上下をパジャマ代わりに着て、旅館で二泊三日。
目的地は東京と日光。
主な見学地は、国会と東照宮と相場が決まっていたのだ。
移動手段は新幹線またはクラス別の専用バスで。
私服で体験学習することも無ければ、班別の自由行動も無い。
東京ディズニーランドは、この世に存在すらしていないのである。
それらを当たり前のこととして受け入れていたあのころ。
「今年も絶好調ね。我らのヒーローさん。」
雪子は、たまたま隣の席に座った杉浦に小声で話しかけた。
「やめてくださいよ。あんまりな仕打ちですよ。」
「でもアレ以外に、あの場面を切り抜ける方法は無かったでしょ?」
「村田さんと二人でグルになって…僕は、お口アングリでしたよ。」
「でも、あれっきりクマに遭遇しなくて良かったわね。」
「ホントですよ。二日目のハイキングも、三日目の民芸教室も、また出るんじゃないかってビクビクしてたんですから。」
「死体が無かったから、まだ生きてたようだし…手負いの野獣は怖いものねえ。」
「…。」
「きっと最後にダメ押ししたアナタのこと、恨んでるわよ。」
雪子はジト目で言う。
「何かあったら、また助けてくださいよ?」
杉浦もジト目で返す。
「それはまあ、将来の副所長のためだしねえ。」
「…アノ話、本気なんですね?」
「そうよ。私はいつだって本気なの。」
「そう…なんだ。」
「いつでもお返事待ってるから。」
「おいそこ!静かに職員さんの話を聞きなさい。」
今年も生徒指導の係になった、水野先生に叱られてしまった。
二人は慌てて口をつぐんだ。
雪子の「並行宇宙攻略」への道は順調だ。
まずは精神体…魂とかソウルとか呼び名はどうだっていいのだが。
とにかく入れ物たる物理的なボディの、中身だけを別の宇宙に飛ばす。
これで別の時空を観測することは、可能になりそうだ。
コレは案外簡単そうだった。
その現象が起こっている時の脳波の記録を残し、同じことを再現できるようにする。
何しろ実験の証明には、再現性が不可欠だ。
…まあ、研究結果を外部に発表する気はサラサラ無いのだが。
次に別の時空の自分に、今の自分の精神体をシンクロする。
そうすることで、現場での色々な活動が可能になるはずだ。
精神体だけでは、相手に認識してもらえても、お互い触れあえない。
…いや、ヘンな意味じゃなくて。
そして問題は、自分の同位体が見当たらない時空に行く時だ。
その場合は現場の材料を使って、人工的に物理的なボディを構築し、そこに精神体をシンクロさせなければならない。言わばアバターだ。
その時空を去る時には、同時にそのボディを破棄しなければならない。
雪子の理論では、精神体はデータ化して送信できても、物体の送信は、まだまだ難しい領域だった。
「今度、まじめに杉浦君に相談してみなくっちゃね。」
無意識に小さくつぶやく雪子。
「えっ、何か言った?」
ひそひそと杉浦君。
「何でもない。何でもない。」
ほくそ笑む雪子であった。




