チャプター16 隈獣
召喚された雪村は戸惑っていた。
「召喚」雪村にとっては、まさにこの言葉が相応しい。
いつも就寝中に、この少女時代の雪子さんがいる並行宇宙に飛ばされる。
それは毎回、まったく彼の意志とは無関係なのだ。
「未来の雪子さん」の仕業か、はたまた「時空の神」の計らいか。
どちらにしろ今回だけは異質である。
雪子さんに危機が迫っていることをヒシヒシと感じる。
時刻は多分真夜中。深夜2時くらいか。
場所は真っ暗な野外だ。
目を凝らすとたくさんのテントが見えてきた。
灯かりは教師の居る本部棟とトイレの常夜灯のみ。
そうか。ここは稲武の第一キャンプサイトだ。
そう気づくのと同時に、背後に荒い息遣いと獣臭を感じた。
鼻息の主はクマだった。
暗闇の中でも黒々とした巨体だということが分かる。
ヤツの狙いは、すぐそこにあるゴミ捨て場か。
クマの方も10m先の雪村の存在に気づいたようだ。
しかし、人を恐れるようなタイプの個体ではないらしい。
クマは用心深い足取りで、しかし確実にこちらに向かってやって来る。
「さて、どうするか。」雪村は考える。
下手に大声を出せば現場は混乱に陥り、クマに襲われる者も出そうだ。
実は彼には、一つ試してみたかった秘策があった。
雪村はクマと目を合わせながら、ゆっくりと横に移動し始める。
クマもその動きについてくる。
いつしか彼は渓流が下に流れる崖の前まで来ていた。
その場で雪村は両手を上げ、自分の存在を誇示する。
獣はすぐ反応し、彼に向かって走り出した。
「もう少しだ。ギリギリまで我慢しろ。」雪村は自分に言い聞かせた。
クマの前腕の鋭いかぎ爪が彼にかかる瞬間、それは空を切った。
獣はバランスを崩したが、崖下には落ちずに踏みとどまった。惜しい!
振り返ったクマがまた雪村に襲い掛かる。
しかし、またもや獣の爪は手ごたえを感じなかった。
「やはりそうだった。」
雪村は薄々気づいていた。
自分はこの時空に影を投影しているだけで、物理的には存在していない。
だからこの時空の者が、雪村に触れることは不可能なのだった。
「ひょっとして、幽霊の正体って、ボクみたいな存在だったりして。」
一瞬余計なことが頭をよぎってしまった。
さて、ヤツを崖下に転落させる案は失敗だ。次はどうしたらいい?
クマとにらみ合いながら考えていると、すぐ下のテント内から、ゆっくりと人影が現れた。
それは雪子さんだった。
「今のは惜しかったわね。」
彼女は、さも何でも無いことのように言う。
「そうですね。どうします?コレ。」と雪村。
「とりあえず、彼女と協力してみようかしら。」
雪子が暗闇を指さす。
そっちを見ると、右手に水筒をぶら下げた人物がひっそりと立っていた。
それは村田京子だった。




