みかんの柱
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
柱、と聞くとつぶらやくんが想像するものはなにかな?
身近なものだと、建物を支えるものを思い浮かべるだろうかね。さらには神様を数える単位でもある。
柱は木に主とかく。
不動かつ長く生きる木には、やがて主たる神が入り込み、神木とあがめられるようになった。それを用いて家々を建てるのに役立てるのだから、特殊な力などを期待される例もあるだろう。
そして高くそびえたつものは、元から形をもつ柱ばかりとも限らない。
積み上げるもの。これもまた、特別な意味を持つものが存在する。
こちらはいわば、費やした時間の証明。
生涯の限られた時間をその作業にあてた成果であり、崩れるようなことが起これば落胆必至のしろものだ。
どのような意図があるにせよ、下手に損なうような真似は避けたいよね。
私のむかしの話なんだけど、聞いてみないかい?
それを見たのは、9歳ぐらいの時だったかな。
そろそろ冬の気配を感じる肌寒さを覚えていた、休日の朝のこと。
用事で出かけていた私がとあるゴミ捨て場の前まで来ると、カラスが一羽、出されたゴミの袋をいじくっていた。
前々から問題になっていることだが、当時はまだカラスよけのネットやボックスは普及してはいない。
今回のカラスは、破った袋の中からみかんを頂戴しているところだった。
このみかん、だいたい形は残っているが皮の一部が黒く変色している。
おそらくは傷んだために、皮を剥かれることなく、ゴミ箱行きになったものだろう。
動物にとっては量たっぷりのおごちそうになる。
ひょっとしたら、この場で食べ始めるかもな……などと思っていたが、カラスはくちばしにその一個をはさむと、羽を広げて飛び立つ姿勢。
そのままねぐらにでも運んでむさぼるのかな……とまた私は想像し、それはほどなく裏切られることになる。
車道を横切り、家々の屋根を超えて高く飛んでいったのはいい。
だが距離が問題だ。
まだ私の視界の内から、満足に小さくならない間に、カラスはくわえていたものを落としたんだ。
別のものをくわえ直す間などなかったはず。カラスは確かに、私の前で上空からみかんを落とした。
カラスは飛び去っていくが、私はふと落下地点を確かめてみる。
それなり開発が進んできたこのあたりも、いまだ古くよりの田園風景を残している。
その茂み生やす一角へ、あのカラスは確かにブツを落としたように思えた。
まずは頼まれた用事をかたす。
帰りに関しては、多少遅くなっても問題がない。
きっちりポイントのアタリをつけてから、用事を片付けにいったんは離れた私。
時をおいて、あらためてくだんの茂み近辺を漁り出す。
手間取る可能性も考えたんだが、思いのほか目立って助かったよ。
かすかに、みかんの香りが漂ってくる。それを頼りに慎重に足を進めていくと、やがて茂みのてっぺんに、わずかだがミカンの果肉が残っていたから。
ただ、興味本位でそこをのけた先は、思ったよりもひどい光景が広がっていた。
先に取り上げたみかんと同じものが、いくつにも潰れながら重なっていたんだ。
数は10をくだらなかったと思うが、自然と下へ向かうほど、状態はひどいものになる。
一番下などは、辛うじて真っ黒こげのお饅頭といった体で、地面にへばりついていたよ。
驚くべきことは、これら10個前後のみかんがひとつとしてこぼれることなく、きっちりと乗っかって柱と化していることだった。
真新しい、最後のみかんの汁をしとどに浴びながら、最下段のみかんのまわりにも湿り気が残っている。
それらに惹かれるものがあるのか、ありらしき黒々としたものが、何匹か集まってきていたんだ。
そのときだった。
「あ、そのボール、取ってくださーい!」
お願いの声とともに、目の前のしげみへサッカーボールが飛び込んできたんだ。
バウンドひとつで茂みに立ち入り、そして去っていく。点々と畑へ転がっていくボールだったが、私にとってはみかんの柱をいきなり崩される瞬間を見たんだ。
柱は恐ろしいほどの頑強さで、普通なら10個まとめてバラバラにされてもおかしくない圧を受けていたはず。
それがてっぺんの一個がこぼれたのみで、他は無事という光景がにわかには信じがたかったのさ。
そこからようやく私は顔をあげたのだけど……別の異変にはすぐに気が付いた。
みかんの香り。
今度は足元の柱からじゃない。
田畑広がるはるか前方から、鼻腔をくすぐってきたんだ。
香りはどんどんと強さを増し、明らかに接近を知らせているのだけど……肝心の源が分からない。
けれども、そこへかすかにアンモニアを思わせる刺激臭が混じってくるのは分かった。
目を凝らすも、変わらず正体はつかめない。
そこへボールの主と思われる女の子が視界を横切って、ボールを拾いに駆けていく。
瞬間、香りの向きが明らかに変わった。
そのまま、顔も動かす。みかんを交えた香りはサッカーボールを、そして彼女のほうへ向かったんだ。
そして、すでにほとんど勢いを失っていたサッカーボールから、ここまで聞こえる破裂音が聞こえたんだ。
目が良い当時だったから、よく分かったよ。
ボールには鉈で斬りつけられたような、大きな傷口が開いていたんだ。先ほどまでは確かになかったものがね。
女の子も驚いて足を止めていたよ。そして、みかんの刺激臭はいまだおさまっていない。
直感だったね。
私が崩れていたみかんの柱のてっぺんを、とっさに乗っけ直したんだ。
すると、香りはウソのように立ち消えてね。それ以上のおかしいことは起こらずに済んだんだ。
あのカラス。このみかんの柱を積むことで、なにか良からぬことが近寄るのを防いでいたのかもしれない。