遭遇戦
浮遊感が消えて足が地面に着く感覚と共に周りを包んでいた光が少しずつ消えていく。光が消えて開けた視界には、聳え立つ木々がどこまでも続く森が広がっていた。
「ここが異世界か。見渡す限り森が広がってるな。近くに街や村などがあればいいが……」
足元には雑草が茂っているので人の手が入っていない場所だろうと推測出来る。木々は垂直に伸びるものから枝を広げるものまで雑多に生えている。
「闇雲に動いても仕方ないし探索魔法で調べるか。ブリュンヒルデ手伝ってくれ」
『了解しました』
風の広域探索魔法で周囲の地形に関する情報を集める。それをブリュンヒルデに送って立体映像として出力して貰う。初めて試すから少しずつ範囲を広げていく。
半径で2.5Kmほどまで広げて立体映像を確認する。集めた情報を上手く処理してくれたようで、手元には半透明のジオラマが浮かんでいる。
ジオラマによると東に進んだところに小川が流れていた。ジオラマを一度消して、雑草をかき分けながら小川を目指して東へ進む。
小川に出ると、近くにある巨大な木が目に入った。その木には大きな5本の爪で引っ掻いたような跡が残されていた。大型の野生動物のナワバリに入ったようだ。
「貴様! 何者だ!!」
周囲を警戒しながら小川にそって進むと突然、声をかけられた。
「この森は狩人以外は入らない! 貴様! 何の目的があってここにいる!!」
強い警戒の籠もった、低く大きな声で叫びながらこちらを見ている。声の主は、山歩きに適した軽装で弓を構えていた。
「道に迷った。人里が近いなら案内してほしい」
どうも一般人が立ち入らない場所に転移したらしい。発言から目の前にいるのは立ち入り禁止の場所に入れる狩人の1人だろう。
下手な言い訳は不信感を煽るだけだ。しかし、大声で話す狩人だ。そんな大声では獲物は逃げてしまうだろうに。
(獲物を探してない? 何かを警戒している?)
大声を出せば野生動物は逃げていく。逆を言えば逃げてもらいたい、追い払いたい動物がいるということだ。
警戒する以上に殺気立ってる感じもする。俺以外にも警戒する対象がいるのか考えていると、巨大な影が森の奥からゆっくりと向かってきた。
「「!!」」
「グウゥゥッ」
それは巨大な熊だった。雑草をかき分けてゆっくり歩いてくる体は俺が知っている熊の5倍以上の大きさだ。熊は2人から離れた位置で動きを止め、こちらを見つめている。
(あの狩人が警戒してたのはこの熊か)
熊を見る狩人は強い警戒心を出しているのに対して熊は悠然としている。しかし、視線は外さず獲物を見据える様にこちらを見ている。
異様な緊張感が周囲を包み鳥肌がたつ。僅かにでも隙を見せれば殺されると確信できるほどのまとわりつくような濃密な気配が目の前の熊から放たれる。
緊張に耐えきれず狩人が一歩下がった瞬間、熊が飛びかかるように動いて、鋭い牙が狩人に襲いかかる。とっさに横に動いて牙を避けることに成功するが体制を崩して地面に倒れ込む。
通常の熊とは比べものにならない速度と瞬発力は明らかに異常だ。足元に伏す狩人を獲物に定めたようで目を離さずにいる。
この状況はかなりマズイ。次に熊が動けば確実に狩人は殺される。意識をこちらに向けた上で追い払う必要がある。硬い熊の体毛には半端な攻撃は通じないだろう。
(なら……)
狩人からは死角になってこちらは見えない。手元に魔法の弾丸を出現させて熊の背中に向けて放つ。大きな炸裂音に混じって熊が僅かに叫んだ。
振り向いた熊の眼光は鋭いまま大きく吠えた。その咆哮には殺気が籠もっており、敵として認識されたことを意味していた。
お互いに警戒して動かずにいると、熊の後ろから何かが飛んでいくのが見えた。狩人が何かを投げたのだろうそれは、近くの木にあたり中身を撒き散らした。風に乗って流れてくるのは血の匂い。
熊の注意が撒き散らされた何かに向いた隙を逃さずに狩人が叫ぶ。
「今だ! 逃げろ!!」
声を聞き、直ぐさまその場から走り去る。熊がこちらに意識を向けたのを感じて振り返るが、熊は動かずにこちらをジッと見つめていた。
しばらく走ると森を抜けて道に出た。熊が追ってくる気配はないので逃げ延びたようだ。
「さっきのは何を投げたんだ?」
「獣の血と内臓を詰めた袋だ。あの熊は食欲が強いから内臓を食べてるうちに逃げられる」
通常の5倍以上もある巨体なら食欲が強いのは分かる。しかし、俺たちが逃げてるのを見つめていたのが気になる。
「アキラー!!」
熊の行動について考えていると、道の向こうから馬が2頭走ってきた。馬にはそれぞれ1人ずつ乗っている。
「セツナ! ゴヨウ!」
「アキラ、無事でしたか。熊の爪痕が街道近くで見つかったから心配しましたよ」
「無事で何よりだ。……ふむ、お主は何者だ?」
「森の中で会った。迷ったそうだ」
「森の中は狩人以外、立ち入り禁止のはずですが?」
馬に乗ってきた2人は狩人の知り合いだった。不信感を隠そうともしない物言いにどう反論するか考える。下手な言い訳は逆効果だろう。だが本当の話もするわけにはいかない。
「すまない。旅の途中で水が切れてしまってな。それで水場を探して森に入ったら戻れなくなった」
「ふむ……まぁ、いいだろう」
不審には思ってるものの一応は納得してくれたようだ。近くに集落はあるか尋ねたら困ったような反応をされた。
「さっき会った熊が農村を食い荒らしてるんだ」
「食い荒らす? 家畜とか農作物か?」
「それもだが人も、だ」
狩人が集落の実情を話してくれた。街道沿いに集落が点在していたが、そのほとんどが熊に襲われて人も家畜も食い殺されたそうだ。生き残ってる集落も大きな街に移動する準備をしていたり、既に移動しているとの事だ。
大きな街の事を狩人に聞くと、怪訝な顔をしながらも話してくれた。
大規模な街を中心にした都市国家の領内で、中心となる街の周りに小規模な集落が点在しているそうだ。それこそが森林の都市国家〈ワウドゥール〉であり、歩いて半日程の距離との事だ。
水と食料を補充したいと言って案内を頼む。3人は顔を見合わせたあと、仕方ないといった表情で案内を了承してくれた。不審者を放置出来ないといった心境だろう。
「移動するなら早くしましょう。いつ熊が出てくるか分かりませんから」
そう言われて俺とアキラと呼ばれていた狩人は別れて馬に乗る。2人乗りの馬は軽快に走り始めた。山道なので全速力ではないが歩くよりも断然早い。
「そういえば名乗ってなかったな。俺の名前はハヅキ、旅人だ」
こちらが名乗ると相手も返してくれた。最初に会った狩人の名前はアキラ、痩せ身で丁寧な言い方をするのがセツナ、大柄なのがゴヨウ。名前を呼び合ってるのは聞いたが自己紹介してくれるのは助かる。
(よろしいでしょうか?)
馬に揺られているとブリュンヒルデが疎通魔法で声を掛けてきた。疎通魔法はテレパシー系の魔法なので声を出す必要がない。周りに気づかれずに会話ができる。
ブリュンヒルデが声を掛けて来なかったのは、この世界の文明レベルが不明な事と初対面の人間を警戒させないためだ。こちらも魔法を使って応答する。
『熊の背中に模様らしものがあったのでデータと照合しました。その結果【促進の紋章】の模様と一致しました』
熊に集中していたから背中の模様までは確認してなかった。詳細を聞くとブリュンヒルデが説明してくれた。【促進の紋章】は、本来は生物の成長を早めて収穫までの期間を短くするため、農業や畜産で使われていた魔法具のことだ。
通常は収穫時期に達した時点で使用を中止して出荷する。だが、稀に適合する個体がでる。適合した生物は通常より巨大に育ち、動物の場合はかなり凶暴になる。
そして適合した生物には共通の模様が現れる。適合したとしても【促進の紋章】は寿命を前借りして早く育てるという性質上、寿命はとても短い。
(その寿命はどのくらいなんだ?)
(確認された全ての個体は1年たたずに死亡しております)
(短いな)
寿命は1年もないなら、さっきの話は最近の出来事になる。確認のため声をかけると予想とは違う返事が帰ってきた。
「あの熊が現れたのは5年程前だ。初めから大きかったが日毎に大きくなって、今ではあの巨体だ」
話が合わない。ブリュンヒルデが持ってる情報では1年で死ぬ。しかし、熊が現れたのは5年前。紋章に適合しているなら既に死んでいるはず。突然変異にしても異常だ。
「門が見えたぞ!」
「あれが都市国家〈ワウドゥール〉だ」
見えてきたのは木造の大きな門だ。門の奥には高い建物も見える。門の前には槍を持った門番が2人立っていた。
「狩人3名、ただいま戻りました。同行1名います」
セツナが門に近づいて声を掛けると門番の1人が近寄ってくる。セツナが状況と経緯を説明すると納得した様で中に入る許可が貰えた。
馬に乗ったまま門の中に入る。中は堀になっており橋が架かっている。橋を渡ると建物が見え始め、人も行き交っている。
「すまんが狩猟ギルドに寄って貰う。熊に会った時の話も聞きたいからな」
ゴヨウがギルドに同行して欲しいと言うので了承する。聞くと狩猟ギルドは、山や森で動物を狩ったり山菜や木の実を収穫して食料を調達するのが主な仕事とのことだ。
他にも害獣駆除や見回りなども行っていて、今回山に入ったのは見回りの一環だそうだ。
「あの熊の被害は大きいからな。縄張りを知るのも被害を抑えるのに役立つ」
「最初に見つけたのは山奥で縄張りも集落からは遠かった。被害が出始めた5年前から、縄張りは拡大する一方だ」
「着きましたよ。ここが狩猟ギルドです」
狩猟ギルドは、石の土台に木で建てられた2階立ての大きな建物だった。横幅は隣に立ってる民家3軒分はありそうだ。
入り口から入ると中は酒場になっていた。真ん中は通路のスペースが広く取られているが、両脇にはテーブルとイスが置かれている。食事をしたり酒を飲んだりしてる人たちで賑わってる。
アキラたちが進むのに付いていく。カウンターで受付に声をかけた後、深刻そうな顔で話し始めた。
「街道の近くで熊がでた。縄張りを示すマーキングも数ヶ所で確認されてる」
「……わかりました。ギルドマスターを読んできますので少々お待ちください」
そう言って受付は奥にある階段から2階に上がっていった。しばらくすると2階から2人降りてきた。1人はさっき上がった受付だろうから、もう1人がギルドマスターということになる。
「おう、アキラ。熊に会って無事に戻ってくるとは運がいいじゃねぇか。んで、そっての新顔は新しい仲間か?」
「いや、森で迷っていたらしいから連れてきた。熊に会ったときもハヅキが気を逸らしてくれたから助かった」
「ほぉ〜ハヅキっていうのか。オレは狩猟ギルドのギルドマスターをしてるフライトだ。よろしくな」
予想通りギルドマスターだった。見た目は50代半ばくらいで身長はアキラと同程度。だが右腕の肘から先がない。こちらの視線に気付いたようで目が合うとニヤリと笑って肩を組んできた。
「この腕が気になるって顔してるな? これは2年前に熊から若手のギルド員を逃したときに食いちぎられたんだ。あのときは実地訓練の最中に遭遇したから備えがなくてな。お陰でこの有様よ。ハッハッハッ!」
話終わるとギルドマスターは大笑いし始めた。一通り笑い終わると真剣な顔でこちらを見た。
「さて、前置きはこれくらいにして話を聞かせてもらおうか。お前たちが熊に遭遇した話をな」