渾沌
ツンカシラから渡されたカード型のデバイスには、領域内に侵入した異物の情報が記録されている。キメラや起動兵器の所在、感染症と寄生虫に関する詳細な治療記録、危険物に指定された魔法具の内容などだ。
デバイスの表面はタッチパネル式のモニターになっていて、片手でも操作出来る上に音声入力まで対応している。管理AIほどでは無いにしても高度なAIも組み込まれていた。
キメラやフツギの兵器は、ツンカシラが保有する機動兵器で処理出来るのではと思ったのだが簡単では無いらしい。
キメラは生物由来の高い身体能力と様々な実験によって得た特殊能力がある。単純な能力強化や魔法だけなら処理するのも簡単だ。だが、不老不死実験の個体まで混ざっているのが事態を難しくした。
起動兵器に関してもステルス機能によって詳細な追跡は不可能で、奇襲によって被害が拡大しているのが現状だ。
どちらも不用意な戦闘は返り討ちにあう可能性が高く、実際に撃墜された兵器群も多いとデバイスの記録に残っている。
「体よく面倒事を押し付けられた感じやな」
「とりあえず、近くにいるキメラを見に行くか」
機動兵器の反応は無いがキメラの反応はデバイスが表示してくれた。デバイス内の情報は、ツンカシラが行っている探索を元にリアルタイムで更新される。
直近のキメラは現在地から約50km程離れた位置にいるので、飛行魔法で移動すると1時間程で到着した。キメラの周囲にある建物は壊れて瓦礫の山になっている。
その中を悠然と飛行する奇妙な物体こそが、キメラだった。一見すると、魔法で作られたと思われる6枚の光の羽を持った巨大な球体に見える。球体は明るい肌色をしている以外は目立った特徴は見当たらない。
「あれがキメラ? 想像と違うねんけど……」
『渾沌と呼ばれる個体で、不老不死実験の実験個体です』
「不老不死ってどうやって倒すん?」
『細胞そのものを破壊すれば再生は出来なくなります』
不老不死の方法が細胞分裂による再生なので細胞を破壊すれば再生は不可能になる。ただし、中心部の細胞まで破壊出来なければ再生が可能なので倒すのは簡単では無い。
「火系で焼くか、氷系で凍結させるのが妥当だな」
細胞を破壊する方法は高温による加熱か、低温で凍結させれば良い。しかし、目の前にいる渾沌は周りの瓦礫から推測するに直径15mくらいはありそうだ。中心部の細胞まで完全に破壊するには一工夫いるだろう。
俺達が対策を話し合っていると渾沌が向きを変える様に回転した。正面が判りにくいがこちらを向いた感じだ。
渾沌の正面と思われる場所に小さな魔法陣が大量に出現して、魔法弾を放ってきた。正面に張った障壁で防ぐ事には成功したが、横を通り過ぎた魔法弾が地面に当たって煙を上げた。
その場所は黒く変色しており、小さな黒い泡が湧き出て強い異臭を放っている。
「地面が溶けてるな」
魔法弾は強い酸性の液体に近い感触だ。直撃すればもちろん、地面や障壁に当たった時の飛沫を浴びただけでも皮膚は焼け爛れるだろう。
「相殺もアカンな」
攻撃は防いでも相殺させてもダメ。本体は不老不死とも思えるほどの再生能力持ち。通常の魔導師では倒すのは不可能に近い。
逆に考えれば、死なないのだから何でも試せると言える。訓練の相手に丁度良いのでは無いだろうか。
「シャーラ、渾沌の相手は任せた」
「えっ?!」
「訓練の相手に丁度良い」
シャーラを鍛えるのに渾沌を使う事にした。シャーラの魔法なら使い方次第で倒せるだろうし、手に余る様なら割って入れば良い。周囲に他のキメラも起動兵器もいない。
「訓練って…」
「ほら、来るぞ」
渾沌が連続で放つ強酸の魔法弾を、大きめの障壁を正面に張りながら飛行魔法を駆使して躱していく。地面に当たった魔法弾が異臭の煙を上げ、霧の様に立ち込め始めた。
「ゴホッ! ゴホッ!」
少し吸い込んだ様で咳き込んでいる。渾沌は構わず魔法弾を放ってくるので、自身の周りを障壁で包みながら素早く距離を取る。その際に上空に飛び上がって霧の範囲から抜け出した。
「煙は毒性が低いけど吸い込み過ぎると危ないぞ」
「本当に手伝ってくれへんのやな」
呆れて言葉を返すシャーラを横目に渾沌の様子を観察する。本体や羽に変化は無く、遭遇した時と同じ状態を保っている。
シャーラは魔法弾で反撃したが、肌色の肉体に弾かれてしまった。障壁で防いだり魔法弾で相殺しない所を見ると、本体は魔法耐性が高いようだ。
通常の魔法弾ではダメージが通らないのだろう。魔法耐性が高い相手なら物理攻撃を試したい。シャーラも同じ考えの様だ。
「魔法が効けへんのやったら、〈青の氷剣〉!!」
氷で作られた半透明の青い剣が10本、一瞬でシャーラの周りに出現した。シャーラが杖を振ると、弾けるように発射された剣が渾沌に突き刺さる。
剣の刺さった場所からは血を吹き出し、半透明の剣が赤く染まっている。その痛みに反応はするかの様に渾沌の本体がボコボコと波打ち始めた。
突き刺さった剣が砕けて傷口からは白い煙が上がり始めた。煙の奥では傷口が瞬く間に塞がり、元の綺麗な球体に戻ってしまった。
物理攻撃が効く事が分かったが再生が速いのでダメージは期待出来ないだろう。
「これならどうや! 〈白亜の氷獄〉!!」
渾沌を中心に広範囲が氷結して行く。巨大な氷の塊となった渾沌は空中に浮いていられず地面に落ちて体に大きな亀裂が入った。
亀裂からは大量の血が流れ出ている。凍ったのは表面だけで中心部まで凍結出来ていない証拠だ。
血が流れ出る亀裂から赤い肉の様な塊が湧き出して来た。そして肉塊が弾けるように噴出すると表面の氷が勢い良く内側から砕けた。
渾沌の体の下半分が縦に裂けて、湧き出た肉塊が不定形にうごめいている。他の部分は肌色のままだが勢い良く波打っていた。
亀裂から湧き出た肉塊から赤い手が無数に生えてきた。赤い手からは赤黒い液体が滴り落ち、地面からは白い煙が上がる。
赤い手が少しうごめいた後、勢い良く一斉に伸びて来た。空中機動で避けているが、同時に飛んでくる魔法弾に意識を取られて避け切れずに右足を掴まれてしまった。
「っ?!」
シャーラの顔が苦痛に歪む。掴まれた右足が強酸で焼かれているのだろう。声を上げるのを我慢しているが激痛を感じているはずだ。このままでは右足を失いかねない。
魔力を込めた杖を振り抜いて右足を掴んでいる手を切り払うと、距離を取って足に回復魔法を使った。肉に掴まれたシャーラの足は赤黒く爛れて、周りよりも細くなっている。皮膚と筋肉が溶かされたのだろう。
肉塊から湧き出る無数の手が追撃とばかりに押し寄せてくる。魔法弾の数も遭遇時より増えて避けきれなくなって来た。体の周りを包んでいる障壁で防げてはいるが防戦一方だ。
渾沌の周りを回る羽が光を放つと、空に灰色の雲が現れた。青空が厚い雲に覆われて、辺りが暗くなると雨が降り始める。その雨は瓦礫や地面に当たると煙が上がった。
「痛っ?! …酸性雨?!」
雨は障壁で防げているが、渾沌の体は影響を受けないようで焼ける様子は無い。
放つ魔法は本体の魔法耐性で弾かれてしまい、物理攻撃は高い再生能力でダメージが蓄積しない。時間を掛ければ酸性雨と、周囲の物質を溶かした時に発生した毒の霧で自分自身がやられてしまう。
「さぁ、どうする?」
「くっ?!」
この状況から渾沌を倒し切るには大規模かつ高威力の魔法を連続で叩き込む必要がある。再生能力を上回るほどの火力で焼き払うか、超低温で中心部まで一気に凍結させるしか無い。
出来ないのか、やらないのかは分からないがシャーラは魔法を連発する事が無い。そもそも使っている魔法の攻撃力・効果範囲が高いので魔法1発で事が済む場面が多い。
魔法を連続で使用する場合、負担や反動が少ない魔法を選択するのが基本だ。消費する魔力量が多く、反動も強い大規模魔法を連続で使う事は基本的に無いし、そんな場面は避けなければならない。
しかし、それが通用するのは格下を相手にしている時だけだ。同格以上が相手なら一瞬の隙をついて高火力の大魔法を連続で叩き込む場面も出てくる。
この先を戦い抜き、さらなる高みに登るには”大魔法を連続で使う技術”が必要になってくる。
「きゃっ!!」
攻撃密度に押され始め、体を包んでいた障壁が砕けた。顔や手が酸性雨に焼かれるなかで、攻撃が通らず焦りが出始めている。
「?!!」
防御と反撃を強引に突破した赤い手がシャーラを掴んだ。身体強化魔法で赤い手が持つ強酸を防いでいるが押し潰されるのは時間の問題だろう。
「限界か…〈大気の斬撃〉!!」
シャーラを掴む赤い手を切り裂いて救出すると魔法で治療を施した。
「大丈夫か?」
「ありがとう。……ハヅキ、私のリミッター壊せる?」
魔法での治療中に言われて思い出したが、シャーラにはリミッターが掛けられて能力を制限されている。このリミッターを解除するには上官もしくは管理者の承認が必要だ。
だが、この世界この時代に承認してくれる上官も管理者もいない。リミッターを解除して能力を開放するには壊すしか方法が無い。
「本当に良いのか?」
リミッターを壊せば修復は出来ない。元の世界に戻った時に怒られるだけでは済まないだろう。場合によっては法に触れる可能性すらある。
「生きて帰るのが最優先や」
「分かった。それじゃ、壊すぞ」
青い宝石が付いた短い杖を取り出して、魔力を水の性質に変化させるとシャーラの体に浸透させて行く。リミッターの術式に介入すると無効化して強制解除した。
リミッターが外れると、さっきまでとは比べ物にならないほどの魔力を放出し始めた。リミッターの抑制効果は相当に高かった様だ。
「〈青の氷剣〉!!!」
先程より遥かに多い数十本の氷剣が出現して、渾沌を赤い手の上から貫いていく。剣の大きさも3倍くらいになっているので、シャーラの持っている魔力量がどれだけ多いのかが良く分かる。
渾沌の全身から巨大な氷の剣が突き刺さった場所から大量の血が吹き出した。再生しようと体が激しく波打ち、傷口からは大量の煙が上がる。
「〈神雷霆〉!!!」
一瞬の閃光が視界を覆った後に大気を震わせるほどの轟音が響く。雷が落ちたのだ。渾沌の全身が黒く焼け焦げて、刺さっていた氷の剣は全て蒸発して無くなっていた。
傷口は雷で焼かれて再生が出来なくなっている。それでも再生しようと波打っている所を見ると、さすがは不老不死を目指した個体と言った所か。
そこへシャーラが追撃をかける。杖に膨大な魔力が注ぎ込まれ、先端から魔力の刃が生えて鎌の形になった。
「まだや!! 〈神の大鎌〉!!!」
魔力によって大鎌になった杖を振り抜くと斬撃が飛び、焦げついた渾沌を両断した。続けて数度、杖を振って渾沌を刻んでいった。
刻まれた渾沌の体の1つが再生を始めた。他の体は再生する事なく沈黙しているので、心臓や脳の様な核が有るのだろう。
シャーラが更に魔力を高めて魔法を起動させると、丸い結界が再生を始めた渾沌の体を包んだ。
「〈炎神の恒星〉!!!」
結界の中を炎が踊り、渾沌の体を焼き尽くしていく。結界が消えると、後には炭化した黒い塊が残されていた。
大魔法を連発した反動を受けて、空中に浮いていられずに落下したが地面に当たる直前に減速して上手く着地した。
そのまま、崩れるように地面に座り込む。手先は痙攣しているのか少し震えている。呼吸も荒く肩で息をしているが、意識はハッキリしていた。
「ハァハァハァ!!」
渾沌の強酸に焼かれた皮膚や足が治り切っていないので治療を始めた。顔や手は治癒魔法で傷跡なく治療出来たが、肉を焼かれた右足は治癒魔法だけでは元に戻らない。
俺は緑の宝石が付いたカードを取り出すと、短杖とともに魔力を込めた。この緑の宝石には自身の魔力を”命”の性質に変化させる事が出来る。
この命の性質を持った魔力は、傷の修復や欠損部位の再生に使う事が出来る。短杖を通して水の性質に変化させた魔力でシャーラの右足の洗浄と消毒を行う。
「ぐっぅ!!!」
痛みに堪えるシャーラの顔色を見ながら、命の魔力で右足の再生を試みる。治療中は傷口を水の魔力で覆って雑菌が入らないようにした。
赤黒く焼け爛れた肉が少しずつ赤みを取り戻していき、焼けた部分が完全に消えて健康な赤い肉が戻った。
そこから患部の肉をゆっくりと再生させていき、元の足の太さに戻ると代謝を促して皮膚を再生させた。周りの皮膚と比べると少し白いが問題なく再生が完了する。
「痛みはどうだ?」
シャーラは恐る恐る右足の傷があった場所を触って確認すると、痛みがなく治療が完了している事に驚いていた。
「大丈夫、ありがとう」
「無理させたからな、治療くらいはするよ」
しばらく休んでいると呼吸が落ち着いて、痙攣も収まった。周りに敵もいないので休憩しながら、さっきの戦闘を振り返る。
「大魔法の連発は辛いか?」
「反動があるから苦しいな」
「起動させた魔法を保留する事は無いのか?」
起動させた魔法を保留すると、任意のタイミングで発射・開放させる事が出来る。タイミングをずらして無詠唱魔法の様に扱ったり、一気に開放して大魔法を連発する事も可能だ。
もちろん魔法を開放した後の反動はあるが、反動で動けなくても魔法が使えるので隙が少なくなる。
「出来るけど保留中は魔力消費し続けるから」
「そうなのか?」
「違うの?」
俺が知ってる術式は、保留魔法を起動させた時には魔力が必要だが保留中に魔力を消費し続ける事は無い。使っている魔法体系の差が出ている様だ。
「俺が知ってる術式は後で教えるから試してみてくれ」
保留魔法を教える約束をすると、渾沌を倒した事をツンカシラに報告する為にデバイスを取り出した。
ツンカシラに連絡を入れると、モニターに白い牛が映った。実際の見た目と少し違うので通話中のアイコンとして画像を調整したのだろう。
『さっそく1体処理してくれたのですね。助かります』
「やり方は合ってたか?」
『問題ありません』
キメラは討伐してくれれば問題無いとの事だ。渾沌を倒したので報酬について話をすると【テクノ・スフィア】について教えてくれた。情報を記録する媒体で、情報の種類や分類毎に数多く用意されているそうだ。
【テクノ・スフィア】の中には時間移動に関する情報を記録した物も存在するそうだが、場所までは教えてくれなかった。
『続きは他の異物を処理してから教えましょう』
そう言ってツンカシラは通信を切った。デバイスで周辺の地図を確認すると、近くにホテルがあるので今夜はそこを利用する事に決めた。
シャーラの体力も少し戻ったので飛行して目的のホテルへ移動する。30分ほど飛ぶと到着したので中に入って使えそうな部屋が無いか探索する。
ホテル内は電気が付いておらず暗いが物が散乱している様子は無い。自販機の明かりも付かなかったので建物に電気が来ていないのだろう。
厨房に食材は無く、割れた食器や調理器具が残されていた。リネン室にタオル類が残されていたので数枚拝借した。
どの部屋も鍵が空いていたので、未使用と思われる空き部屋を見つけて中に入った。
「この部屋は使えそうだな」
魔法の明かりで部屋の中を確認して、問題無いと判断した。部屋にはユニットバスが設置されていたので、魔法で沸かしたお湯を溜める。
「シャーラ、お湯張ったけど体拭くか? なんなら湯船に入ってもいいが」
「そう…やね……」
「安心しろ、俺は隣の部屋を使うから何かあったら呼んでくれ」
そう言って俺は部屋を出た。




