境界に落ちる
ブリュンヒルデが転移魔法を起動させ、周りが光に包まれる。この光が晴れると別の世界へついているのだが、いまだに光に包まれたままだ。
「ブリュンヒルデ、何か異常か?」
『術式は問題なくきど……』
ブリュンヒルデが話している途中、体全体に強い衝撃を受けた。そして周りの光が少しずつ晴れていくと、そこは何も見えない真っ暗な空間にだった。
「なっ?!」
手元すら見えない漆黒の中だが感触は残っている。周囲に魔力を広げて明かりをつけると、イザベラは俺にしがみついていた。逸れていない様で一安心だ。
「ここはどこだ?」
『恐らく次元の境界に落ちたものと思われます』
次元の境界、それは世界と世界の狭間にある異空間。異世界転移の魔法や技術を使った場合でも境界に落ちる事はない。
それでも境界に落ちたという事は、何らかのトラブルが起こった証拠だ。
「出られるか?」
『少々お待ちください。術式を複製して最適化したします』
問題なく出られるそうなので待つ事にした。待っている間に周囲を観察していると、複数の赤い光に気づく。その光は等間隔で点滅しており、何かの形に見えた。
「ブリュンヒルデ、あそこで光ってるのが何か分かるか?」
『光り方から航行灯と一種と思われますが、この空間には不自然です』
「行ってみるか。動いて大丈夫か?」
『問題ありません』
ブリュンヒルデが問題ないと言うので航行灯の方は移動してみた。普通に飛行魔法を使えば移動出来たので近づいてみる。
航行灯の明かり以外は何も見えず、赤い光が不気味に浮かんでいる。俺は自身の周囲に広げていた魔力の光を、さらに広げて浮かんでいる航行灯を包んだ。
そこには巨大な、しかし異世界を渡るには小さな航行艦が浮かび上がった。航行艦に汚れはあるものの痛みは見当たらず、まだ使える様に感じた。
ーそこにいるのは魔導師か?ー
航行艦の周囲を飛び回っていると、どこかから声が聞こえて来た。中に人がいる様だ。返事をすると伝わった様で助けを求めて来た。
ー我々は次元世界アルスフィアへ向かう途中、この領域に落ちてしまった。脱出する手立てがあるなら助けて欲しいー
次元世界アルスフィアは初めて聞く名前だ。恐らく、自分達の住む世界に名前を付けているのだろう。
「すまないがアルスフィアがどこか知らないんだ。座標が分かるものはあるか?」
ーそれならシステムに記録されているのだが、艦内に入れるだろうか?ー
「魔法を使って良いなら可能だ」
ーでは、後方の扉から入って来てくれー
航行艦の後方にある扉に魔法を掛けて、扉を通過する。中には飛行機の様に座席が並んでいた。席は空いている所もあったが、ほぼ満席だった。
席に座っている客達がこちらを見ているが、気にせず先頭まで進む。先頭の扉の前には乗務員がいて、中に案内してくれた。
「この中が操縦室です。どうぞ」
操縦室の中には2人が座っており、それぞれ艦長のカウスと副艦長のウードだと紹介してくれた。
「いや、まさか人がいるとは思わなかったよ」
「それはこちらもだ。まさか航行艦が漂流しているとは思わない」
「貴方なら、ここから戻れそうですか?」
「分からない。システムにアクセスしても良いか?」
艦長から許可を貰ったのでブリュンヒルデがアクセスして座標を確認する。艦長達もデバイスを持っているが、異世界転移の魔法は使えないそうだ。
「私達はそこまで魔力がある訳ではありません。次元移動も、先人達が整えてくれたルートを通っております」
副艦長はそう説明してくれた。デバイスも航行艦を使った次元航行をサポートするものだが、境界に落ちた時の事は想定していないそうだ。
「この領域は研究途中で自発的に出入り出来ないんだ。だから、本来は救助も望めない」
保存食の備蓄はあっても限界はある。このまま野垂れ死ぬだけかと思われた所に俺達が現れたとの事だ。
「それで、どうだろうか?」
『座標は確認しました。しかし、座標の起点が違うので流用は不可能です。手近な世界へ転移した後、本来の目的世界へ転移する事を提案します』
「ひとまずは、この領域から出られるとの認識で良いか?」
『問題ありません』
艦長達の認識とも一致したので、次元の境界から出る事にした。ブリュンヒルデの指示に従って魔力を解放して行く。
航行艦を帯状の魔法陣が輪を作って何重にも囲んでいく。そして、光に包まれた航行艦は異世界転移の魔法によって次元の境界から脱出した。
◇
とある世界の上空に魔法陣が浮かぶと、その上に巨大な光の球体が出現した。光の球体は少しずつ変えていくと、中から大きな船が現れた。
「こちら航行艦ポレフ、管制応答せよ……。駄目ですね、連絡が付きません」
「こっちも連絡が付かない。相当、流された様だな」
「どうにか、航行ルートに戻りたいが……」
「ブリュンヒルデ、【境界の羅針盤】は機能してるのか?」
『はい。起点世界として記録した世界および、これまで訪れた世界を指し示しています』
「なら、一度オーディンの所に戻るか。途中で航行艦のルートに当たれば帰れるだろう。構わないか?」
「ああ、問題無い。しかし、ルートから外れても座標を示し続けているとは驚きだ」
「元々は次元の果てからでも帰れる様にと作られた物だからな。それじゃ、出発しよう」
ブリュンヒルデの転移魔法で、次元の境界を通って世界を渡る。今度は真っ暗な領域ではなく、流れる光の中を進んでいく。それはまるで、星を渡る宇宙船の様だった。
「失礼します」
次元航行が安定した頃、操縦室に乗務員が入って来た。乗客に体調不良者が何人も出ている、との事だ。
「症状は?」
「気分不良と吐き気、頭痛や眩暈を訴えられています」
「魔力に酔ったか」
「我々は多少に関わらず魔力を持っている。”魔力に酔う”というのはあまり聞かなな」
「術式が普段とは違うからだろう。調子を見よう、案内してくれ」
俺は乗務員に言って体調不良者の元に案内して貰った。客室には背もたれを倒して項垂れている人や、通路に寝かされている人がいた。
体内の魔力の流れを確認すると、大きく乱れていた。その他に健康状態に問題は無かった。俺の魔力を浸透させて、乱れた流れを整える。
「気分はどうだ?」
「少し落ち着きました」
「体内の魔力の流れが乱れて船酔いに近い状態になってる。命に別状は無いから安心してくれ」
「ありがとうございます」
他の体調不良者も順番に治療して行く。治療が終わると艦長から声を掛けられた。
「治療も出来るとは驚いたな」
「そこまで大袈裟じゃない」
『マスター、オーディンと連絡が取れましたので状況を伝えてあります』
オーディンは受け入れを了承してくれた。近くに来れば誘導して貰えるそうだ。
「そのオーディンという者は、君達の上司に当たるのか?」
「そんな所だ。それで、どこに連絡すれば良いんだ?」
「次元連合警察局という組織に連絡してくれれば救助隊を派遣してくれるはずだ」
オーディンに次元連合警察局の事を伝えると了解してくれた。カウスと話している間に起点世界の近くまで来たので、オーディンの誘導が入る。
『初めまして。私の名はオーディン、これより誘導を始めるから指示に従って欲しい』
「了解」
艦長と副艦長がオーディンの指示に従って航行艦を操縦する。流れる景色の先に魔法陣が出現した。その魔法陣を通ってオーディンがいる起点世界へ入った。
「これは?!」
眼下には巨大な建造物が聳え立っていた。それこそがオーディンというAIを保管する施設だ。その施設の外周にある広場に着陸する様に支持が入る。艦長が丁寧に操縦して着陸させて行く。
航行艦が無事に着陸すると人影が集まってきた。その中には見覚えのある人物が混じっている。俺は艦長と副艦長を伴って航行艦を降りる。
「やあ、久しぶりだね。ハヅキ」
「ウィルソンか、久しぶりだな。オーディンの仕事か?」
「遭難した航行艦の乗組員と乗客の世話を頼まれた。ひとまず食事を用意したがいかがかな?」
見覚えのある人物は、やはりウィルソンだった。艦長に視線を送ると、通じたようで前に出てきた。
「始めまして、艦長のカウスです。この度は受け入れて頂き感謝致します。食事に関しては乗客に聞いてから返事させて貰っても宜しいですか?」
「ええ、構いませんよ」
その返事を聞いて、副艦長が航行艦に戻った。食事の件を確認しに行ったのだろう。艦長はウィルソンと話を続けていて、宿泊場所や許される行動等について確認していた。
俺はウィルソンの後ろで立っていたオイルに話しかけた。
「オイルも久しぶりだな。あれから問題は無いか?」
「ご無沙汰しております、ハヅキ様。調査して頂いた航行艦も、人の国も大きな問題は起こっておりません」
オイルと軽く情報交換をしていると、ウィルソンと艦長の話が終わったようだ。艦長は今話した内容を乗客に説明するために航行艦に戻っていった。
「ハヅキ、オーディン様が会いたいと言っていたよ」
「何のようだ?」
用事ならブリュンヒルデを通して連絡すれば済む話だ。わざわざ呼び出すのだから面倒事なのだろう。ウィルソンの案内でオーディンの本体が安置されているフロアへ向かった。
そのフロアの中央には巨大な四角錐が浮かんでいた。その四角錐の周りには大小さまざまなモニターも浮かんでいる。
『わざわざ呼び出してすまない。無関係な人間に聞かれると困るのでな』
「重要な話のようなので私は退室します。終わりましたら、ご連絡下さい」
そう言ってウィルソンはフロアから出て行った。
『特にトラブルという訳では無いのじゃ。ブリュンヒルデとスクルドのメンテナンスをしておこうと思ってな』
「そうだな、折角だし頼もうか。イザベラ、スクルドを出してくれ」
「うん」
俺達の腕から離れたブリュンヒルデとスクルドはオーディンの前まで浮かび上がると、どこかへ転送された。そして、メンテナンス中の代わりになるデバイスを用意してくれた。
『メンテナンス中は、そのデバイスを使ってくれ。シンプルなデバイスだが我慢して欲しい』
「分かった。メンテナンスはどのくらい掛かる?」
『軽くスキャンした情報だが異常は無かったから、1日あれば終わるじゃろう』
他に用事は無いそうなので退室すると、扉の前でウィルソンが待っていた。外へ向かいながら話していると宿泊場所について教えてくれた。
「ハヅキの宿泊場所も航行艦の近くに用意したが問題なかったか?」
「大丈夫だ」
ウィルソンは律儀に宿泊場所まで案内してくれた。
◇
「ロストした航行艦の反応は掴めましたか?」
「いえ、未だに反応なしです」
次元世界アルスフィアにある次元連合警察局の施設の一室では、行方不明になった航行艦ポレフの捜索が続けられていた。航行中に起こった次元震の直後に行方不明になった事から次元の境界に落ちた可能性がある。
「大規模な次元震の直後に行方不明……。あまり考えたくは無いけど……」
私がそんな事を考えていると、外部から不明なアドレスで通信が入ったと連絡が来た。連絡して来たのは、オーディンと名乗る人物で航行艦ポレフを預かっているという。
「その通信って信憑性あるんですか?」
「航行艦の識別番号と乗組員と乗客のリストも送られて来ました。情報は捜索対象と一致します」
「分かった。通信を回してくれ」
通信を受けた職員に言って私の所に、オーディンと名乗る人物からの通信を繋いでもらった。先程の職員からの情報を確認する。
「それで、航行艦ポレフをどうするつもりですか?」
『どうするつもりも無い。こちらに連絡すれば救助隊を手配してもらえると聞いたのでな。それで、迎えには来れそうかな?』
「救助する意志はある。けど、貴方の通信は私達の航行領域の外側から来てる。航行距離が把握出来ないので、すぐに救助には向かえません」
最も長い期間を航行できる次元航行艦でもオーディンという人物がいる世界には辿り着けないだろう。それほどに離れているのだ。それなのに、通信とは言え我々の元に届ける技術力は一体どれ程のものか、私には想像が出来ない。
『了解した。距離の問題については、こちらも考えてみよう。また連絡させて貰ってもよろしいかな?』
「了解。こっちも関係各所に連絡しておきます」
『助かるよ、それでは失礼する』
オーディンとの通信は切れた。私は上司に事のあらましを報告した。上司も信じられないと言ったが、通信記録が残っているので信じるしかないだろう。
上司への報告が終わると、この件に関係する部署の全てに連絡して事情を説明した。その1時間後、オーディンからの通信によって得られた情報に関して話し合われる事になった。