高度監視社会
転移魔法の光が無くなると少しの浮遊感を感した瞬間、急速に落ちていった。遥か上空に放り出された様で、冷たい風に晒されながら加速していく。
魔法を使って減速しながら浮き上がり、空中で体勢を整えて周囲を確認する。眼下には厚い雲が流れており、空には満天の星が輝いていた。
「かなりの上空に出た様だな」
『流れている雲を分析した結果、多くの化学物質を確認しております。人体には有害ですが雲の中で長時間行動しなければ問題はありません』
広がる雲海は化学物質が混ざった毒の海だった。
「大量の化学物質って事は、機械工学や化学が発展した世界みたいだな」
進化し発展した文明世界は様々な監視と情報で溢れている。常に誰かが誰かを見ており、あらゆる情報が真偽を問わず噴き出し続ける。外の世界から来た俺達は、この世界での常識的な知識を持っていない。
そのため、得られた情報の真偽を見極めるのは非常に困難だ。周りの人間から見れば明らかな不審者として映るだろう。
「文明世界は監視が隙間なく張られているから動き辛いんだよな」
『世界中のネットワーク全てを掌握出来る程のスペックは、さすがに持ち合わせておりません』
監視の目が隅々まで行き届いているだろうから不審に思われる行動は避けたいが難しいだろう。多少の無理はしても隠蔽魔法で隠れた方だ安全だと思う。
「文明レベルが不明な以上、ここで考えていても仕方ない。隠蔽魔法を掛けてから地上に降りてみよう」
ゆっくり降下して毒の雲海を抜けると、漆黒の大地を文明の光が飾り立てていた。それは星の輝きにも見える。
「さすがに街中に降りるのはマズイな。確実に騒ぎになる」
隠蔽の魔法を使って姿を隠した状態で、明かりが少なく暗い場所を目指して降りていく。暗いという事は光が無いので人が少ない、またはいない場所の可能性が高い。
逆に光が集中している場所は人が集まっているので近づくのは避けたい。
降り立った場所は森の中だった。しかし、原生林とは違い人の手が入っている様で、木の枝は整えられており道も整備されている。自然公園に近い印象を受ける。
「公園みたいだな」
「公園ってなに?」
「人が遊ぶ場所ための場所かな。あと森や動物を守る場所を公園と言う事もある」
「他の場所で遊んじゃいけないの?」
「他の場所で遊ぶのは危ないから遊ぶ場所を決めてるんだ」
イザベラの頭の上に「?」が見えた気がした。世界や文明レベルが違えば考え方も違ってくる。発展した世界では自然は貴重なので保護する必要が出てくる。
遊ぶ場所にも気を使う必要がある。車の往来やプライバシー問題などが絡んでくるので遊ぶ場所は限定されやすい。
しかし、イザベラのいた世界の様に文明の発展が未熟な世界では自然は非常に多いので保護する必要がない。遊ぶ場所に関しても親の目が届いている場所であれば、どこでも良いので不自由する事は少ないだろう。
「ブリュンヒルデ、この世界の文明レベルは分かるか?」
『文明レベルは高いと推測します。空中を飛び交う電波が様々な情報を持っています。これは電子機器によって高度なネットワークが形成されている事を証明します』
「監視が厳しそうだな、もう見つかってる可能性もある」
高度に進化した文明世界は監視の目が厳しいため、この世界に転移した時点で既に見つかっている可能性もある。視線を感じる事は無いが、見つかっている前提で行動した方が良いだろう。
何もない空間から突然現れた存在は脅威と取られる。自分達の監視が届かない方法で移動出来るのだと分かれば強盗・暗殺など悪い事はし放題だ。
俺にその気が無くても、受け取る側の気分次第で自由に罪状を偽装してくるだろう。
さらに言えば魔法の有無も重要だ。魔法があるなら誤魔化せる可能性もあるが、魔法がなければ完全に危険人物扱いされる。
「魔法に関する情報はあるか?」
『ありません。少なくとも一般人が日常的に魔法を使う世界ではない様です』
魔法のない世界なら魔法による感知・索敵が有効に働くだろう。逆にブリュンヒルデのレーダー類は使わない方が良い。こちらの位置がバレる恐れがあるし、ブリュンヒルデのシステムに侵入される事も考えられる。
魔力を乗せた風をゆっくりと広げていく。そよ風よりも弱い風を慎重に広げていくと、風が空間内の障害物を探知する。夜のせいか人の気配は無く、木々の気配だけが風を通して伝わってくる。
しかし、50mほど広げた所で人の気配を感じた。その気配は茂みに隠れるように移動している。
「人がいるのか? でも、この動きは……」
『動きから一般人の可能性は低いです。真っ直ぐにこちらに向かってきます』
4人1組が2つ、8人が俺たちの方に向かって森の中を進んでいる。動きに統率が取れている事から一般人ではない事が分かる。
10m程まで接近されているのに気配が希薄だ。ブリュンヒルデの熱源探知にも掛からない事から、夜間行動用の装備を整えた熟練者だろう。
「警察や警備隊のような保安組織じゃないな。動きが軍人や暗殺者だ」
『視られていた、ということですね』
見られていたのは予想通りだが思ったよりも行動が速い。俺達がこの世界に来てから1時間ほどしか経っていない。それなのに装備を整えて潜伏しているのは動きが速すぎる。
「捕まったら碌な事にはならないだろうな。実験動物にされるか、監禁と拷問が待ってそうだ。逃げるぞ!!」
会話を切り上げて茂みに隠れた不審者たちとは逆の方へ逃走する。不審者たちは統率の取れた動きで追ってくる。木々の間を抜けて移動しているのに移動速度が全く落ちない。相当に鍛えられているようだ。
「こっちは魔法で強化しているのに振り切れる気がしないな」
『装備品の形状から身体機能を補助する仕組みがあると考えられます。薬物を併用して能力を上げている可能性もあります』
「それが適性の範囲内なら良いんだがな」
薬物による肉体強化はリスクが大きいのが問題だ。短期的に肉体のリミッターを外せるが、力の制御が効かないので、出力に耐えきれず筋肉や血管が切れたり骨が折れる事が多い。
しばらく走っていると森を抜けて湿地に出た。木製の橋で作られた遊歩道を走っていると、突如として上空から強い光で照らされた。
「なんだ?!」
光に攻撃性はないようで痛みはない。光の元を探すが眩しすぎて視界が眩む。すぐにその場を離れるが光は離れることなく照らし続けている。風の魔法で周囲の状況は把握しているので移動は出来るが振り切れない。
移動しながらの探索なので周囲20m程が探索範囲になるが、空から照らしてくる”ソレ”は魔法の探索範囲外にいるようで何か分からない。
「手荒だが仕方ない、〈竜巻〉!!」
魔力を放出して風魔法を発動させる。何本もの細い竜巻が現れて天地を繋ぎ、強風が吹き荒れる。湿地の水や泥、遊歩道の木材が竜巻によって巻き上げられていく。
細かく揺れながらも光は俺を捉えたまま照らし続けている。優秀な追跡用AIが搭載されているようだが、動いたという事は風の影響を受けるという事だ。
激しく渦巻く竜巻の中に入って空へ駆け上がると、空には黒塗りにされたヘリコプターが1機飛んでいた。竜巻を利用して一瞬だけ振り切った光が追いついて来たが既に魔法の範囲内だった。
「〈烈風の剣〉!!」
風魔法による斬撃でヘリコプターの胴体を両断する。両断されたヘリコプターは2つに割れた後、空中で爆発を起こし湿地に炎上したまま墜落した。
墜落したヘリコプターに見向きもせずに強風の中を走る人影が8つ。空中に浮いている俺の足元まで来ると銃を構えて発砲した。
放たれた弾丸は正面に展開している魔法障壁に阻まれて砕けた。銃弾を不正だ障壁の場所に液体が付着している。恐らく麻酔銃の様な物だろうと推測する。
『警告! 付着している液体は皮下吸収性の筋弛緩剤です。人体に付着すれば動けなくなります』
「あいつら、容赦ないな…」
竜巻の魔法に更に魔力を流し込んで出力を上げて、より大きく激しい竜巻にしていく。人影は竜巻によって空高く巻き上げられた。
ヘリコプターの炎上と不審者が竜巻に巻き込まれた騒動に紛れて複数の隠蔽魔法で姿を隠した。ブリュンヒルデのサポートを貰いながらレーダー類への対策も施していく。魔法が完成して姿が完全に消えると、すぐに湿地を離れた。
◇
広い部屋の中央に、機能的でありながら気品を持った光沢を放つ机が置かれていた。その机を挟んで2人の男が向き合っている。
一人はシンプルに仕立てられた黒いスーツを着ており、髪はオールバックに整えられている。その人物が部屋の主なのだろう。机と調子を揃えた椅子に座って、正面に立つ男を見上げていた。
もう一人は軍服に身を包んでいる。初老に差し掛かった歳頃だろうか髪には白髪が混じっている。相手が椅子に座っているのもあるが、この軍人は身長が高い様で眼の前のスーツの男を見下ろしている。
「やはり逃がしたか」
「申し訳ありません。想定以上の使い手だったようです」
「簡単に捕まえられるとは思っていない。次の手はあるのか?」
「はい」
「詳細は任せる。100年ぶりの”オリジナルの魔法使い”だ、必ず確保しろ!」
「は!!」
軍服の男は、正面のスーツの男に敬礼すると足早に部屋を出ていった。入口の扉が閉まるのを確認すると、机の上で指を横に軽く動かすと、空中に映像が浮かんだ。
「私だ。この世界に”オリジナルの魔法使い”が現れた。確保に向けて動いている。いつでも対応できるように準備しておけ」
『承知しました』
映像に写った人物に命令すると、その人物は承諾の意を示した。指をもう一度動かすと映像は消えた。
◇
ブリュンヒルデがネットワークに侵入し得て情報を解析することで周囲の地図を獲得してくれた。
ハヅキ達が降りたリュポス自然公園の西にはモスコ山脈が南西に向かって伸びている。不審者達との戦闘から逃れて、湿地を超えた先にある山脈の麓の森で身を潜め。
「追跡は無しか……、一息つけそうだ。大丈夫か? イザベラ」
「うん、大丈夫」
戦闘中、常に抱えて動き回っていたから心配したが問題ないようだ。
「あいつらは何者だ? 俺たちを拘束したいなだけなら姿を隠す必要はないはずだが……」
俺達を襲って来た襲撃者達は、マスクで顔を隠しており、服や装備には黒い迷彩が施されていた。この事から秘密裏に処理したいという考えが見える。
「異世界に行けば大なり小なりトラブルが起きる。それを大義名分にした方が反撃のリスクを減らしてスムーズに拘束出来る」
『相手としては、こちらがトラブルを起こすまで待てない理由があるのでしょう』
「待てない理由か……考えても分からんな。ひとまず休憩にしよう。ブリュンヒルデ、警戒を頼めるか?」
『了解』
「〈下位風精召喚ー小鳥〉」
呼び出した小鳥の姿をした下位精霊の視界をブリュンヒルデと同期させると自身の周囲に配置した。これで周りを監視する事が可能になった。
下位精霊とレーダーで周囲を監視するブリュンヒルデに警戒を任せて、近くにある木に体を預けて座った状態で休息を取る。イザベラは地面に敷いたマントの上で寝息を立て始めた。
◇
モスコ山脈の裾に広がる森の一角に黒い迷彩を施した集団が集まっていた。
そのうちの何人かがゴーグルに単眼鏡を当てて森の奥を見ていた。後ろから、森を見ているうちの1人に声を掛ける。
「対象の様子はどうだ?」
「眠っている様です」
声を掛けられた人物は、自分たちが見ていた内容をまとめて簡潔に報告する。声を掛けたのは監視役の上役なのだろう。
「周囲に微かに光る小鳥を3羽確認、監視の魔法と思われます」
「ただ寝ているだけではないか……、了解した」
報告を聞くと後ろで待機している集団の所へ向かう。その集団には犬が2頭混じっている。犬は吠えること無くじっと座っていた。
その犬たちは体が泥で汚れており、毛並みも悪く見える。一目では野犬とも思えるような風体をしていた。
「準備は出来ているか?」
「はっ!」
「カメラの映像に問題はないな?」
「問題ありません」
犬の首には小型のカメラが付けられていた。カメラは犬の体色に溶ける様に迷彩を施されており、サイズも相まって遠目からでは気づかない。
「よし、行かせろ」
命令が下ると集団は犬達を解き放った。放たれた犬達は勢いよく森の奥へ走り出した。
◇
翌朝、太陽の眩しさで目が覚める。森の中では朝の冷たい風が感じられ、わずかに霧が残っていた。
『おはようございます』
「おはよう。俺たちが寝てる間に何かあったか?」
一晩を通して襲撃は無かったが、気づいていない事があるかもしれないのでブリュンヒルデに尋ねる。
『野生動物と思われる犬が何度か通りましたが、不審な人影や物体は確認しておりません』
ブリュンヒルデからも問題無いとの報告を受ける。
『夜間に飛び交っている情報を解析しましたが、生活や娯楽に関する情報が大半を締めています。しかし、一部暗号化された情報を確認しております』
「暗号化した情報か……。内容が気になるが街に入らない事には話が進まないな」
とはいえ前情報無しに街に入るのはリスクがある。下手な行動を起こせば不審者として即通報されるだろう。逃げるにしても街の構造を知っておかないと逃げ切れない。
「〈下位風精召喚ー小鳥〉」
小鳥の姿をした下位精霊を追加で数体呼び出して、ブリュンヒルデとリンクさせる。正常にリンクが終わると、周囲を監視させていた精霊達と共に街に向かわせた。
精霊は戦いの後が残る湿原を超えて街に入った。ブリュンヒルデが出したモニターで精霊の視界を確認する。
街の外側は田畑と民家が混じっていた。しかし中央に向かうにつれて田畑が減り民家の割合が増えて住宅地になっていく。
更に奥には背の高いビル群が聳える都市部が見えた。昨夜に襲ってきた襲撃者の装備と良い、当初の想像以上に文明が発展した世界のようだ。
都市部に入った精霊達を別の方向に飛ばして複数の方面から情報を集めることにした。