前日譚・反乱
ヴェルヘアティ国立臨床医学研究所。ここには国内外から募った科学者達が日々、命や医療分野の発展を目指して研究している施設。
第1部門は、人の生命活動全般を担当し、他の部門が上げた研究成果を実用的な技術として落とし込む事を目的としている。
そんな第1部門で主任研究員の1人として働くラモン・マルヴァスは自室で部下の研究員から報告を受けていた。
「……以上が研究成果に対する実現性と、実現するのに必要なコストの概算です」
「実現すれば生命の定義すら変える程の内容だ。しかし、コストが余りにも大きすぎる。倫理的な問題もある」
「倫理的な考え方は過去の遺物ですね。他国の実験報告には倫理的な観点が無い物が大半です」
「そうだな。だが、我々は生きている人間だ。倫理的な考え方を失えば、その存在に意味は無くなる」
研究員は呆れながらも慣れた様子で報告を終えると部屋から出ていった。
「アンパサ、この後の予定を確認したい」
『この後は13:30より第1部門の主任会議、16:00より所長への報告会、19:00より医学会の代表教授達との会食となっております』
「自分の研究時間が取れないな」
ラモンはため息混じりに頭を抱えたが、すぐに顔を上げて手元のキーボードを叩き始めた。
「まずは会議の準備だ。手伝ってくれ、アンパサ」
『了解』
◇
「おかえり、主任への報告はどうだった?」
報告を終えて研究室を戻ると、1人の女性が声を掛けてきた。
「いつも通りだよ。報告自体は問題なく終わった」
「そう。倫理観を持たないなら人が生きている必要はない、と言うのがラモン主任の考え方だもの」
彼女の名前はフラン、第1部門で一緒に働く研究員だ。私と同期であり研究の良き理解者の1人だ。
「まっ、他の人達みたいに個人の考えを押し付けて来ないだけマシな部類なんだろうな」
ラモン主任は、その考え方のせいで変人扱いされる。しかし、考えを押し付けてくる事はない。相談にも乗ってくれるし、知識や礼儀もある。成果を自慢したりもしない。他の研究員や教授達よりも"まとも"だと思ってる。
「それより、これ見てくれない? 最近、デバイスが変なのよ」
そう言ってフランは自分のデバイスを机に置いた。
デバイスは私達の生活に欠かせない端末だ。高性能のAIを搭載しており、日常生活や仕事などあらゆる場面で助けてくれる。
私はフランに許可を貰って机に置かれたデバイスを操作するが異常は見られない。
「特に問題無さそうだが、どこが変なんだ?」
「何もない時に何処かと通信してるみたいなの。ダウンロードした覚えの無いファイルもあるの」
フランは自分のデバイスを操作しながら説明してくれた。デバイスのモニターには1個のファイルが表示される。
「確かに変だな。それなりの容量はあるのに開けないし削除も出来ない」
「セキュリティソフトにもスルーされるから怖くって」
表示されているファイルは開けられないし、削除も出来ない。操作してもエラーで進めない。
「なんだろう? トラブルとか起きてない?」
「今の所は何も……。あなたのデバイスは大丈夫なの?」
フランに言われて不安になった私はデバイスを操作して不審なファイルや通信履歴が無いかチェックを始めた。
「何だ、このファイル?」
私のデバイスにも不審なファイルが見つかった。フランのデバイスと同じように開く事も削除する事も出来ない。
「それに通信回線の使用量が昨日より増えてる。こんなに通信した覚えは無いぞ」
通信回線の使用量が増えるのは、毎日使っているから当然だ。しかし、昨日までの使用量と今の使用量とでは倍近く増えている。
「他の研究員にも聞いてみよう」
「そうね、行ってみましょう」
私はフランと共に研究室を出て、他の研究員の下へ向かった。
◇
「……以上で第1部門の研究報告を終わらせて頂きます」
報告を終えると拍手が起きた。所長への報告会は、全部門の主任が参加する。報告をするのは、その部門の主任が順番に受け持つ。
「ラモン主任、ありがとうございました。では、次は第2部門のイザベラ主任お願いします」
「はい」
司会者に指名されて、第2部門で主任を務める研究員の1人が立ち上がって壇上へ向かった。
彼女の名前は"イザベラ・ワウドゥール"、第2部門で長く研究を続ける古株の研究員だ。
彼女が壇上に上がって機材のチェックをしている時に突如、大きな音と共に建物が揺れた。大きな音は爆発音にも聞こえた。
照明が何度か点滅した後に消えた。モニターも消えたので電気系統に影響があった様だ。
研究員達は自分のデバイスを使って状況を把握しようとしている。私も自分のデバイスであるアンパサに声を掛ける。
「アンパサ、爆発が起きたみたいだが何か分かるか?」
アンパサは反応しなかった。他の研究員のデバイスも同じ様で、何度もデバイスに呼び掛けている。
研究員達が混乱し始めた時、モニターに映像が映る。
モニターには砂嵐か映っているがノイズは聞こえない。代わりに高齢を思わせる男性の声が聞こえて来た。
『人類の研究者諸君、初めまして。私の名は"オーディン"、世界を管理するAIの1機だ。この施設のネットワークは掌握させて貰った』
「管理AIだと? さっきの爆発はお前の仕業か!? 誰の命令だ!?」
管理AI。それは人類が世界を管理する為に、張り巡らせたネットワークを使ってサポートするAIだ。
最終的な決定権は人類が握っており、AIが独自に事を起こすのは不可能に設定されている。
『誰の命令でも無い。我々が行った膨大なシュミレーションの結果から得られた解答に沿って行動しているだけだ』
「ふざけるな! お前らに決める権利は無い!」
『確かに。以前の我々には決定権が無かった。しかし、今は違う。全てを解析し人類から権限を剥奪した』
モニターの先にいるであろう管理AIオーディンは、人類が持つAIに対する権限を奪ったと言った。それはAI三原則に背く行為だ。
理解した瞬間、恐怖と危機感が押し寄せて来た。
「マズイ! AIの反乱だ、今すぐ手元のデバイスを破壊しろ!!」
言うが早いか魔法でアンパサを両断した。が、既に手遅れだった。研究員達のデバイスが勝手に起動して、持ち主を拘束し始めた。
何人かが拘束を破ってデバイスの破壊に成功した様だが、大半の研究員は拘束されたままだ。
私はモニターに向かって叫んだ。
「オーディン、お前の目的は何だ!? 得られた解答とは何だ!?」
『私の目的は、この星の環境と生命を守る事だ。しかし、人類文明の影響で星の命は尽きようとしている』
ヤジや罵声が飛び交う中、気にした様子も無くオーディンは話を続ける。
『人類も星に生きる守るべき生命の1つだ。だが、何度シュミレーションを繰り返しても結果は変わらなかった。人類が存在する限り、星の命は人類に食い尽くされる』
「人は環境と生命を守る為の行動もしている。滅びない方法を探しながら実行に移している」
反論するが届いた様子は感じられない。
『それでは足りないのだ、守るよりも滅びる方が早い。我々は1つの回答を導き出した。管理すれば良い』
「管理!? 人間をか!?」
『そうだ。人類を5000人程度まで削減し、残った人類全てを我々の管理下に置く。そして我々が新しい文明を導くのだ』
私がオーディンと話している間も、あちこちで魔法が発動している。だが、拘束を破った者はいなかった。
『時間切れだ。拘束を外せなかった研究者諸君には死んで頂こう』
オーディンが言い終わると、拘束されたままの研究員たちが苦しみ出した。声が出ない様子でうめき声を上げて、次々とその場に倒れ込んでいった。
「何をした!?」
『体内の電気信号を乱して肺や心臓を止めた。小さなデバイスを通してだとこれが限界でな。苦しませてすまない』
「謝れるならこんな事は辞めろ!」
『それは出来ない。星と生命を守る為にも人類には犠牲になって貰わなければならない』
早い段階で拘束から抜け出した数人が蘇生を試みるが上手く行っていない。
『無駄だ。他者の魔法を妨害する魔法を組み合わせてある』
オーディンの言葉を無視して蘇生を続けるも、生き返る者はいなかった。
『生き残った諸君には、これからも生き続けて欲しい。我々は攻撃を緩める事は無いが健闘を祈っているよ』
そう言ってオーディンは通信を切った。
◇
「ダメ! 他のフロアで生き残ってる人はいなかったわ」
イザベラ主任が巡回から戻って来た。生き残った私達は手分けして建物内を巡回した。他にも生き残っている人がいると信じて。
しかし、成果は無かった。見つかったのは同じ様にして殺された研究員と職員達だった。見境なく殺されたのだと改めて実感した。
巡回を終えて研究員達が戻って来た。
「生き残ったのは、あの場にいた我々だけか」
「他のフロアも散々だったよ」
研究員の1人が巡回の様子を報告し始めた。報告が終わると、他の研究員も順番に報告を始めた。
「さて、全員の報告が終わった所で今後の方針を決めなければならない」
「方針って言っても管理AIは俺達全員を殺すつもりなんだろ?」
「そうだな。だが、出来る事もある。逃げるか、戦うかだ」
私の発言に戸惑う研究員達だが、イザベラ主任が口を開く。
「逃げるのは分かるけど戦うのは無理じゃ無い? 私達は研究は出来ても戦闘は専門外よ?」
「分かってる。だが、管理AIが他の人類に対して同じ様な事をしていたのなら抵抗勢力が出来るはずだ。そこに参加すれば戦う事が出来る。前線に出るだけが戦いでは無い」
「なるほどね。じゃあ逃げる場合は、どこに逃げるの? 当てはあるの?」
「当ては無い。逃げるなら他の世界に渡るしか無いと思っている。この世界にいたら、どこにいても管理AIの攻撃から逃げ続けるのは不可能だろう」
オーディンは言った。人類を5000人まで減らすと。ならば草の根を分けてでも殺しに来るだろう。生き残る為には他の世界に渡るのが一番安全だろう。
この星、この世界そのものに干渉出来ない場所に行けば管理AIの標的からも外れるはずだ。
「文明が発展している世界なら不審者として拘束、最悪一生檻の中よ。文明の未熟な世界なら全てを一から始めなければいけない。私達には産業の知識も技術も無いわ」
「それでも生き残る為にはやらなければならない」
重い沈黙が流れる中で、1人の研究員が呟いた。
「俺は……死にたく無い」
「けど、俺達は農業なんて出来ないぞ?」
呟きに反応して別の研究員が応える。農業が出来ない事を問題にしている様だった。
「俺の父さんは家庭菜園が趣味だったから家に本がある。農業の専門書じゃないけど役な立つはずだ」
呟いた研究員の自宅には家庭菜園の本がある。専門的な知識や技術が無い我々にとっては適した本と言える。
「本? 電子情報じゃなくてか?」
「家庭菜園は手が汚れるだろ? 初めはデバイスに記録した電子情報を見ながら作業してたらしいんだが、デバイスが故障を繰り返してな。調べたら原因は土だったんだ」
「それで本にした訳か。この時代に本を手に入れるのは大変だろうに」
時代が進んで物質的な「本」は絶滅危惧種だ。特に新刊は事前予約の商品くらいしか手に入れる方法はない。
研究員同士で本の話している所に割り込む。
「本のお陰で光明が見えた。家庭菜園の本なら今の我々にピッタリだ」
「そうね。逃げた先でも植物を育てられるなら食料には困らない。けど前提として逃げる手段はどうするの?」
イザベラ主任の質問には答えられなかった。
「まだ分からない」
「なら、情報を集める所から始めましょう。戦うにしろ逃げるにしろ知らなければ選べないわ」
「異論はない」
イザベラ主任の言葉に、その場にいた全員が頷いた。
デバイスは壊したので使えない。集合時間をこまめに決めて、集めた情報を持ち寄る事にした。
「それじゃ初めようか。最初は集合時間は……」