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私と落語を  作者: 衣
6/14

私と落語を 5話


 あんなやりとりをしたあとに、学校でどんな顔をして彼女に会えばいいのかと悩んでいたあたしの不安は、しかし直ぐに吹き飛ぶことになった。

「末広さん! 昨日はごめんね!」

 翌朝、今度はきちんと時刻通りに登校をしたら、教室にはすでに思川さんの姿があった。彼女はあたしの入室に気がつくと、申し訳なさそうに両手を合わせ頭を下げた。

 事前にラインで謝罪を受けてるとはいえ、こうも素直な姿勢で来られるとは思っていなかった。毒を抜かれたというやつで、こちらも正直に謝った。

「こちらこそ、昨日は少し言い過ぎたわ」

「んーん。というかそれより、末広さん首大丈夫? まだ痛むんじゃない? ちょっと見せてよ」

「んっ」

「あら、痕になってる・・・・・・ほんとにごめんなさい・・・・・・」

「そんなに気にすることじゃ無いわよ。これくらい直ぐに治るわ。それに、思川さんの熱意は伝わってきたから。思川さんは遊びであんなこと言ったわけじゃないのよね」

 などと、あたしたちがお互いを慈しんでいると、ザワ・・・・・・と教室の空気が揺れた。もしや朝のHRが始まる時刻か、と焦り時計を見たが、まだ時間には幾らか余裕があった。

 では今この教室を包んでいる妙などよめきは何なのだろう――と、教室の雰囲気に違和感を覚えるあたしに、思川さんが元気に大きな口を開けた。

「わかってくれた!? なら私と――」

「でも落語はしないわ」

「ちぇー」

 一瞬、ぱあっと顔を輝かせた思川さんだったが、あたしの言葉を受けて直ぐにいじけたような態度を取る。コロコロと変わっていくその表情は、見ていて退屈をしなかった。

 しかしそれはそれ、これはこれである。

「何度も聞くようだけれど、どうしてあたしなのよ」

「それは昨日も言ったけど」

「かっこいいからってヤツ? 本当に理由はそれだけ?」

 私に問い詰められ、んー、と腕を組みながら悩む思川さん。

 あたしにはどうもかっこよさだけが理由で、思川さんがあんなにも強気に勧誘をしてくるとは思えなかった。

 身長が高いからバスケ部に誘ったり、足が速いから陸上部に誘ったりするというのなら分かるが、佇まいがかっこいいから落語をやらせようだなんて、少し理論が飛躍しすぎている。

 もっと何か、彼女にとって利となる理由があるに違いないと、あたしの観察眼は言っていた。そしてどうやらその勘は当たっていたようで、彼女は組んでいた腕を解いて私をじとっと見つめた。

「本当の、というか、一番の理由はね」

「はい」

「末広さんには、その・・・・・・、あの」 

 もじもじと辺りを見渡しながら、彼女は言葉を詰まらせる。なんだ? 何か言いづらい理由でもあるのか? 

 ――やっぱり私が落語家であるということを知っているのでは・・・・・・。

 やがて、覚悟を決めたようで、あたしを見据えながら彼女が口を開いた。


「末広さんって――友達が居なさそうだったから」


「ズゴーッ」 

「わ、わっ、末広さん大丈夫!?」

 思わずずっこけてしまった。

 今まで様々な古典落語を演じてきたあたしではあるけれど、こんな古典的なリアクション芸をするのは初めてであった。

 い、今なんて?

「失礼なこと言ってごめん! でもほら、新学期初日なのに末広さんってば誰とも連絡先交換してなかったし、休み時間もずっと机の中身を確認してばっかで、誰ともお喋りしてなかったから」

「よく見てるわね・・・・・・御見それしたわ。鋭い観察眼ね」

「そうかな? 多分みんな気づいていると思うけど」

「うっ」

 ズバズバとあたしのメンタルは傷つけられていった。昨日から少しずつ勘付いてはいたが、どうやらこの子はかなり歯に衣着せぬところがある。

 思ったことは何でも口に出しちゃうタイプの若者だった。

「嫌なこと言っちゃったかな・・・・・・。でも、隠し事はよくないから」

「そうね。友達がいないことは、まあ、認めるけれど、それと落語部にどう関係があるのかしら」

「うん。友達の居ない子だったら、ヘンテコな部活にも人目を気にせずにすんなり入ってくれるかなって」

 ――滅茶苦茶に舐められていた。

 しかし安心したのは、彼女が『落語部』がヘンテコな部活動であるという自覚があるだけでなく、人目を気にするあたしたち高校生にとって、変わった活動をするということがいかにハードルが高いかということを、きちんと弁えているということにだった。

 当然のことだ。もし高校生にとって落語を話すことが、サッカーやテニスをすることみたいに身近であったなら、あたしは今頃友達にも困っていないし、こんな田舎の高校になんて通ってなんかいない。

 相当強い動機がなくては、『落語部』に入ろうとする生徒なんていないだろう。

 あたしの渋い表情を見て、思川さんはしょんぼりと項垂れた。

「でもやっぱり、末広さんは落語に興味はないか」

「ごめんなさいね」

「残念だなあ・・・・・・」

 もしかしたら。

 もしかしたら彼女は、あたしが落語をしないとなったら、もう昨日までのように親しくはしてくれないのではないのかと、そんな不安が脳裏をよぎる。

 また――落語か。

 あたしは一体どれほど落語に苦しめられればいいのだろうか。

 本当に、勘弁してほしかった。

「じゃ、もうHR始まっちゃうから」

 いや、いつまでも落語のせいにしてはきっと、これから先もこれまでと同じ日々が続くだけだ。どこかで勇気をもって、他人に踏み込む必要があるのだ。

 こんな何の取り得もない、世間ズレした高校生であるあたしだ。いまこの瞬間を逃したら、これからも絶対に誰とも関係を築けないままに違いない。

 このままでは、高校二年生も三年生も、無為に過ごしてしまう気がした。

 だから、

「ちょっと待って!」

 あたしの元を離れようとする思川さんのその細い手首を掴んだ。何があったのかと目を丸くしている彼女に、あたしは勇気を振り絞って、踏み込んだ。

「もし良かったら今日のお昼、ご一緒にどうかしら・・・・・・い、いい場所を知っているのよ」

 言いながら、視界の端が暗く狭まる。呼吸が荒くなり、時間の進みがひどくゆっくりに感じられた。暑くもないのに、背中には汗が滲んでしまっている。ただ、クラスメートをお昼ご飯に誘うだけだというのに、なんてみっともない姿だろう。

 ふと、中学生の頃の記憶がフラッシュバックする。


『末広さんて、なんだかその、恐ろしくて』


 落語から足を洗って直ぐの頃、クラスの女の子がそのように言っているのを立ち聞きしてしまった。

 それがキッカケだろう。だんだんと、自分なんかでは普通の女の子になんてなれないのだと、分かってきてしまったのは。

 普通に休み時間にお喋りをして、普通に放課後には買い食いをしたり、普通に部活を一緒にやったり、普通に喧嘩をしたり、普通に仲直りをしたり。そういった人並みの営みを自分はすることができないのだろうと、心のどこかで悟ってしまうようになったのは、あの瞬間が最初だった。

 あの日からあたしは、何かが変わっただろうか。いや、きっと何も変わってはいない。でも、それではそんなあたしのことを、思川さんは受け入れてくれるのだろうか。そんな不安で、喉の奥がヒリつく。

 一瞬が一生のように感じられたが、やがて、目の前の少女は呆けていた表情をくしゃりと歪めて――大きく笑うのだった。

「ふふっ、何、その言い方。ナンパか! 分かったよ、お昼休みね!」

「え、良いの?」

 しかし、あたしはまた拒絶をされてしまうのではないかと身構えていたため、思川さんからのあっさりとしたOKに拍子抜けして、そんな風に尋ねてしまう。

 多くの友人に囲まれている思川さんが、あたしの誘いに乗ってくれるだなんて。実感が涌かず、指先がじんわりと痺れているのを感じた。

 そんなあたしを見て、思川さんは眉尻を下げた。不安そうな顔だった。

「良いのって、末広さんが誘ったんでしょ・・・・・・もしかして断った方がよかった?」

「ううん、そんなことないわ! それはダメよ。でも・・・・・・あたしは落語はしないのよ?」

「そんなこと? あははっ、別に気にしてないよ。それにさ」

「それに?」

「私は諦めが悪いんだよ」

 彼女は不敵に微笑み、肩をすくめながら片目を閉じた。ウインク。


 *


「というわけでね、末広さん、落語を知るということは即ち、自分自身の祖先へのリスペクトを捧げることと同義であってだね! つまり逆に言えば落語しないということは非常に罰当たりなことであるわけで、私の大切な友達であるところの末広さんを罰当たり者なんかにはしたくないと、私はそう考えているわけだ! だからね、末広さん、私と落語を――」

「――しないわ」

「シナイワ? スペイン語で『落語を始めます』って意味の慣用句かな?」

「スペインに落語があるわけないでしょう」

 こうして今日も、あたしは思川さんと一緒に屋上でお昼ご飯を食べて、澄んだ青空の下で彼女から落語の勧誘を受けている。

 諦めが悪いとは言っても、常識的なレベルがあるだろう・・・・・・。

 彼女をお昼に誘ったあの日から、あたしは毎日彼女からこの手の落語の勧誘を受け、そして毎日それをお断りしている。(最近では一度断っただけでは諦めてくれず、何かしらの横着を見せてラリーを継続させようとしてくるようになった)

「末広さんも諦めが悪いね」

「どの口が言うんだか・・・・・・」

 あたしの口から、大きなため息がこぼれる。

 落語から離れて、ようやくできた友人がまさか、こんな落語オタクだなんて、複雑な心境ではあった。けれど、思川さんは毎日こうしてお昼休みになると、屋上にやってくる。あたしから普通の青春を奪った落語の話を毎日されるのは面白くなかったが、それでも彼女はあたしにできた念願の友達だった。そのことは、単純に喜ばしかった。

「でも末広さん、段々と私の落語のプレゼンを聞くのが、毎日の楽しみになってるんじゃないかな?」

「そんなことあるわけないでしょう」

 ・・・・・・多分。


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