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私と落語を  作者: 衣
4/14

私と落語を 3話


 改札をくぐる。少しだけ通路を進み、また改札をくぐる。目指すは四番線ホーム。

 ――大変な一日だった。それにしてもまさか思川さんにあんな変な趣味があるだなんて。

 まだ痛む首元をさすりながら階段を下りる。そこにタイミング良く列車が到着した。私はそこに乗り込み、客席のドアを開けて手ごろなシートに腰を下ろした。ここから二駅先の東京駅までは四十分ほどがかかる。

 慣れないことをした一日だったからか、重くなる瞼と格闘しながらこくりこくりと首を振っていたら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。気づけば車窓の外は、都会の光に照らされていた。すわ、乗り過ごしたかと思ったが、一年間の登下校で染み付いたバイオリズムのおかげだろう、新幹線はちょうど東京駅に停車するところだった。

 在来線に乗り換えて一駅だけ進んでからJR新日本橋駅を出る。栃木県にある神鳥谷高校には、新幹線がなかったら到底通えていない。

 街には仕事終わりのサラリーマンや夕飯の買出しをしている主婦、友人らと楽しそうに歩いている学生などで賑わっていた。見慣れた光景を横目にしばらく歩いてから、私は足を止めた。

 目前には大きな四脚門があった。造られてから幾程の時間が経ったのかは知らないが、黒ずんだ木部は静かにその歴史を語っていた。傍には『末広』と書かれた改札がかかっている――私の家だ。

 門をくぐり邸内へ。敷き詰められた砂利に浮かぶ飛び石を踏みしめながら玄関に向かう。庭には黒塗りのセダンが停まっていた。どうやら父が帰ってきているらしい。顔を合わせないようにしよう、とそそくさと靴を脱いでいたところを、後ろから声をかけられた。

「小雛姉さん帰ってたんですか」

 姉さんと呼ばれ、あたしは後ろを振り返る。

「・・・・・・晴彦、来ていたの」

 あたしが問うと、「お邪魔しております」と男は短く刈りそろえた頭を丁寧に下げた。

 今年で二十五歳になる彼は、勿論私の弟ではないし、家族ですらない。また、幼馴染でもないこの男が邸内にいるのは、しかし当然のことであった。

「師匠、姉さんが戻りましたよ」

 晴彦が居間へ声を張り上げると、間を置いてから襖がつっと開き、鼠色の袴を着た男が廊下に姿を現す。

「・・・・・・」

 男は何も言わずに私を睥睨し、目を細めた。

「何よ」

 負けじとあたしも睨み返した。沈黙が薄暗い廊下を支配する。あたしたちの間の空気に耐えかねてか、晴彦は玄関を抜け出そうとした。

「そ、それじゃああっしはこれで」

「晴彦、明日は頼むぞ」

「へい! 暁闇師匠、本日も稽古ありがとうございました」

 扉が閉まるのを見届けてから、暁闇と呼ばれた男は居間に戻り襖を閉めた――まるであたしなどここに居ないかのように。

 月島亭暁闇。それが男の名である。

 日本落語界屈指の派閥である月島派――その本家である月島亭で最高位とされる名跡『暁闇』を持つ唯一人の男。芸に秀で、人格に優れ、伝統を背負うに相応しいとされた者のみが襲名を許される亭号の最高位を『止め名』と呼ぶが、『暁闇』は正にそれだ。止め名である月島亭暁闇を名乗ることができたのは、歴史上でも五人しかいない。またこの五代目月島亭闇暁は文部科学大臣により重要無形文化財の保持者として人間国宝に登録されたばかりか、内閣府からは旭日小受賞を与えられているほどの豪傑であり、そして――あたしの父である。


 *


 ――ねえ、あたしも噺家になりたい。

 あたしが月島亭に入門したのは僅か7歳の頃である。特別なきっかけがあったわけではないが、落語家として活躍する父・暁闇の存在や、そんな父に弟子入り志願をし、毎日のように末広家を出入りする落語家たちの姿を見ていく中で、自然と自分も落語家になるのだろうと感じながら生きていたのだと思う。

 落語は聞くのも好きだったし、父や兄弟子に稽古をつけてもらいながら新しい噺を習得していくのも楽しかった。異例の幼さで業界入りしたことは界隈では賛否両論だったらしいが、寄席に出るのは昼の部のみに限定したりと、条件をいくつか課されることで幼少のあたしは高座に上がることを許された。

 しかし幾ら子供とはいえ前座は前座。楽屋では子供扱いをされたことなど無く、師匠方の着付けやお茶汲み、演目の記帳や寄席太鼓などあらゆる仕事を熱心にこなした。

 落語家がデビューしたての『前座』から次の身分である『二ツ目』に昇進するのに大体三~五年ほどかかるが、あたしもその例に洩れることなく無事に二ツ目になった。若干十一歳――史上最年少二ツ目の誕生である。

 落語社会では『二ツ目に昇進して初めて人権を得られる』と言われている。楽屋での雑用業務から開放されたり、紋付の着物を着ることができたり、『落語会』と呼ばれる落語の上演会をワンマンで開くことも許されたりと、様々な束縛から解放され自由の身となるのだ。

 それまでは新宿や上野の寄席にしか出させてもらえていなかったあたしも、二ツ目になってからは他の落語家に同行して、地方の落語会でも高座に上がるようになった。

 慢心していなかった――といえば嘘になるだろう。小学校の若い先生と変わらぬ年齢の大人ですら、あたしのことは『姉さん』と呼び敬語を使う。あたしが高座に上がる際には着付けを手伝うし、高座から下がった後にはあたしの座っていた座布団を引っくり返す。しかしそれも当然の光景として捉えていた。

 なぜなら前座には人権は無いのだから。

 そしてあたしは何と言っても二ツ目。プロの落語家なのだから。

 あと半年も経たずに中学生になろうかという頃、父とあたしの二人で長野県の片田舎である波田町という町で地方公演を開いた。落語業界において、師匠とその弟子で開く公演を『親子会』と呼ぶが、この時のそれは二つの意味での親子会だった。

 そしてあたしにとって初めての親子会でもあった。

 当時かなり天狗になっていたあたしは、成長した自分を父に見せてやるのだと奮起して高座に上がった。

 かけた演目は『芝浜』。登場人物こそ少ないものの、様々な感情の表現を必要とされる非常に難易度の高い人情噺であり、江戸落語を代表する大ネタである。

 ――父は私に『芝浜』の稽古をつけたことなどない。当たり前だ。十人近くいる兄弟子たちにだって、こんな大ネタの稽古を父がつけることは無かった。それでもあたしが『芝浜』を高座にかけられたのは、父やその他の師匠連中のものを何度も何度も聞いて、練習してきたからだ。

 父はあたしの『芝浜』を聞いて、どんな風に褒めてくれるだろうか。まだ未熟なあたしではあるけれど、充分に上手く演じられるはずだ――そう思いながら高座に上がった。

 アウェイの土地ではあったものの、会場の規模はそれ程大きくなく、緊張せずにサゲまで持っていけた。三十分を超える大ネタを終えて、あたしは身体中からだくだくと汗を流しながら裏手に戻った。一噺終えたあとの興奮や達成感はしかし、あたしを見下ろす父と目が合い、一瞬にして雲散霧消した。


 ――無表情だった。

 

 そこに一切の感情は認められず、ただただ双眸があたしを捉えていることだけが見て取れた。月島亭を名乗ってからの五年間で、師匠である父に叱られることや呆れられることなど、数え切れないほどにしてきたが、あのような残酷な視線を向けられたのは初めてであった。正直に言って、実の娘を見る目ではなかった。

 その日から父はあたしに稽古をつけなくなった。

 始めの頃こそ二ツ目という身分にそぐわない大ネタを、師匠に黙って高座にかけたことを怒っているのだと思っていた。当たり前だ。今までは父に許されたネタ以外は練習することすら許されなかったのだから。

 それでもあたしは父に自分の持つポテンシャルを誇示してやりたかったし、あたしの『芝浜』が父にとって見るに耐えないお粗末なものであったとしても、未熟な点をいつもみたいに厳しく丁寧に指導してくれる筈だと考えていた。それにまだ自分は子供なのだから、未熟さゆえの勇み足を踏むことなど仕方の無いことだとかなんとか言って、その度胸を褒めつつまた稽古を付けてくれるだろうと思っていた。

『私はあの娘の育て方を間違えた』

 父の言葉だ。

 池袋の寄席に出る父が珍しく忘れ物をしたので、楽屋まで届けに行った際に、不意に立ち聞きしてしまった。直ぐに自分のことを言っているのだと悟った。父が『あの娘』と呼ぶ人間はこの世にたった一人――あたしだけだった。

 その時、何かが自分の中で崩れ始めるのを感じた。また、自分自身のこれまでの生き方に疑問が湧き始めた。


 あたしはどうして落語を始めたのだろうか? 

 落語家である父の影響なのか?

 父のように落語で人を感動させたかったから?

 でもあたしは、落語で人を感動させられていた?

 父にすら見放されるほどの落語しかできなていないのに?

 あたしの落語に――あたし自身にだって、価値なんてあったのかな?


 *


 しかしそんなことで落ち込んでいるままのあたしではなかった。

 思えば馬鹿馬鹿しい話だ。親と同じ職に就かなければならない法など、令和のこの時代にある筈がないのだ。あってたまるか。歌舞伎役者じゃあるまいし。

 あたしは年の頃なら十一、二のピッチピチの女児だぞ。義務教育も終えてない時分に落語なんて、語るのはおろか聞いたことがある者すら稀だろう。中学生になった暁には、あたしは普通の学生として青春を謳歌してやるのだと決心した――まではよかった。

 小学生の頃、平日は学校が終わると直ぐに寄席に向かっていた。周りの同級生たちがスマブラで遊んでいるとき、あたしは一番太鼓を叩いていた。周りの同級生たちがプロフィール帳をつけている中、あたしは寄席で演者同士のネタが被らないようにするための帳簿をつけていた。めくるめく青春どころか、『めくり』めくる青春を送ってきてしまったあたしが、友達をどうやって作ればいいのかなど、知るはずも無かった。


 ――末広さんて、『し』と『ひ』の区別ついてないよね。


 クラスのきゃぴきゃぴとしたおきゃんな女子にある日そう言われた。その日は帰ってから泣いた。それから必死に喋り方を矯正した。少し硬すぎる口調になってしまったが、江戸っ子口調でないだけ幾分かマシだった。


 ――末広さんて、芸能人とか全然詳しくないよね。


 むしろこちとらマジの芸能人に揉まれてきたんだぞ、と思いもしたが、彼女らにとって芸能人といえばアイドルや俳優のことであって、間違っても着物姿で客前に出て師匠と呼ばれるような存在のことではないのだ。


 ――末広さんて、タピオカ飲んだこと無いってマジ?


「ああああああああああああーーーっ! ・・・・・・はっ!? いけない、またあたしったら昔のトラウマを思い出してしまったわ。過去のことは忘れると決めたのに」

 湯船に顔を沈め肺の中の空気を吐き出す。直ぐに苦しくなって顔を出したが、幾らか気は落ち着いた。

 そうだ、昔のことなんていくら覚えていても、いいことなんて一つもない。蕎麦の啜り方を上達させるのにやっきだったあたしなんて今はもういない。ここにいるのは華の女子高生である末広小唄ただ一人。月島亭小雛なんて滑稽な女はどこかに消えた。

 脱衣場に出てから、雑念を振り払うかのように、濡れた髪をタオルでガシガシと拭く。高座に不似合いだからと短く切りそろえていた頭髪も、落語を辞めてからは伸ばしていた。手入れは手間だが、少しでもきちんとした女の子らしくなりたかった。

 床に着いて寝ようかと思ったところに、ピロリン、と何かの音が聴こえた。物書き机に置いていたスマホから発せられていた。

「何の音? 地震速報にしては随分とあっけない音ね」

 待ち受けを確認すると、ラインのメッセージが小さい四角に表示されていた。

「なるほど・・・・・・ラインの通知の着信音だったのね。道理で聴き慣れない音だと思ったわ。ははは」

 潤む眼を瞬きで乾かしながら画面の文字を読むと、メッセージの送信者名のところには【柳子】と表示されていた。今朝に私のクラスに転校してきた女子生徒である。そういえば校内案内をする途中で、彼女に促されてラインを交換したのだった。

『ライン教えてよ』

 あのスマートな誘い文句には惚れ惚れとした。あたしが一年間で一度も口に出来なかった魔法の呪文を、思川さんは予備動作なしで繰り出してきたのだ。(ちなみに友だち登録の方法が分からなかったので、操作は全て思川さんにしてもらった)

 届いたメッセージの本文にはこう書いてあった。

【今日はごめんなさい】

 既読をつけないように待ち受けを眺めていたら、続いてまたメッセージが送られてきた。

【明日、落ち着いて話すね】

 どう返事をすればいいのかをしばらく悩んだが、私の外交力の貧しさではまともな返事ができそうも無かったので『ごめん昨日寝ちゃってて返事できなかったわ』作戦を決行することにした。スマホをスリープモードにして、布団に潜り込む。

 さて余計なことは考えずに寝てしまおう、と思ったところで首がズキリと痛んだ。患部をさすると、この痛みの元凶――思川さんの事が頭に浮かんだ。


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