誘いと弟子に求婚(物理)される日常
勇者と魔王。人と魔族。それは言うなれば水と油、決して交わることは無い。しかし火に油を注ぐようにどちらかが滅びるまで血で血を洗う骨肉の争いを繰り広げる仲にある。
故に、魔族は例外なく殲滅対象である。それが世界の常識。いや、常識だったのである。
「お客さん!いよいよ見えてきたよ。あれが共栄都市アゼットですよ!」
御者の声に私は、馬車から身を乗り出した。
眼前には素人の私でも理解出来る堅牢な塀越しに広がる巨大都市。そしてその中央から魔王城の天守が僅かに見え隠れしていた。
私の知る物語で見た魔王城とは違い、どことなく王都でよく見ていた城に近い。
「魔王城っぽくないでしょ?昔のままだと外から来る商人や冒険者にあらぬ不信感を与えるって魔王様が人族の専門家と共同で再建したんですよ。」
昔は、ということはあの毒々しい紫色、城というよりは一体の巨大な魔物と言われた方がしっくりくる生物的な見た目、私が目にした物語の中の城だったのかもしれない。
……それはそれで一度見てみたかった気もしなくは、ない。
少し残念な気分になる私のことなど関係なく馬車は、軽快な足取りで進んでいく。
やがて城門に馬車が着き、御者が入国証を見せると堅牢な城門が、重々しい音をたてながらゆっくりと開いていく。
「……すごい。」
門を抜けた先に広がる街並みに、私はただそう呟くしかなかった。
街は道中見てきたどの街よりも活気づいていて、そこを往来する人々の顔も生き生きとしていた。
「どうです?決して交わることの無かった二種族が手を取り合う、いい意味で非常識なこの街は。」
凄いだろうと言わんばかりのドヤ顔で聞いてくる御者に、今はただ賛同し頷くことしかできなかった。
親の反対を押し切って、半ば家出するようにして冒険者になってから色々な場所を旅し、経験を積み、それなりに垢抜けたつもりでいた。それに伴うように実った実力と知識で世界を知ったつもりでもいた。だが、今自分がいるこの場所はそのどれにも該当しない全くの別世界。私の知るこれまでを根本から覆したその新世界にこれから足を踏み入れるのだと思うと、冒険者の性なのか、元々私自身がそうだったのかワクワクが止まらない。
「それじゃあ、お客さん。うちが案内できるのはここまでだ。」
「ありがとう。格安だからと警戒していたが、並の馬車より良い心地だったよ。ケンタウロスもいいものだな。」
そう言うと御者、もといケンタウロスの男は頭をかきながら照れ笑った。
「いやぁ、ケンタウロス冥利につきますよ。でも急げって鞭で叩いてくれても……良かったんですよ?」
「い、いや……流石にそれはちょっとまだ……」
勧めるように鞭を手渡して、頬を赤らめ物欲しそうに視線を送る姿に自分でも分かるくらいに引いてしまった。
だからその寂しそうな目で私を見るのは辞めてくれ。私はまだ人に鞭打てるほどの度胸はない。
「おい、急ぎの仕事だ。たのめるか?」
「はい!ただいま!じゃあお客さん、ご達者で。あと、この街で何か分からないことがあれば魔石屋に行くといいですよ!大丈夫、この街の人なら皆知ってますから迷うことは無いですよー!」
「あぁ、ありがとう!」
私は段々と振り返り手を振るケンタウロスの男の背中が見えなくなるまで、手を振り続けた。
ーースパァアン!
「ブヒィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィーー!ありがとうございます!ありがとうございます!もっと!もっと打ってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――ッ!!」
……聞かなかったことにしよう。うん、そうしよう。
「さて、とりあえずは魔石屋に寄ってみるか。」
何故、冒険者ギルドではなく魔石屋なのかという疑問はあるが、きっとこれだけの都市だ。魔石を用いた武器や、ひょっとすると私が知らない未知の魔導具があるからこそ重宝されるのかもしれない。
そういう事情があってもおかしくないのがこの都市だ。魔石屋はその特性上必然的に情報が集まる拠点であり、いつの間にか量も質もギルド以上になってしまったのかも知れない。
「よし、じゃあ行くか。」
私はとりあえず目の前にいた女性に声をかけようとした――、その時だった。
耳を劈く轟音が鳴り響き、地面が震え、全身を熱を帯びた風が呑み込む。その威力は凄まじく、油断していたとはいえ、片膝を地に付け崩れ落ちる程だった。
事故?にしては衝撃が大き過ぎる。旧体制を至上と掲げた過激派の攻撃の方がまだしっくりくる。しかし、だとすると何故このタイミングで?いや、今は考えるより冒険者としてやるべきことを。
頭の中を過る様々な憶測をかき消し、私は急いで負傷者がいないか辺りを見渡す。――と、
「今日も派手にやってるなー。」
「本当に毎日お盛んなことで。」
「家の女房もあれくらい情熱的ならな……」
「毎日、毎日、魔石屋の野郎……うらやま、じゃなかったそのまま爆ぜろ。」
誰一人怯えていなかった。というか日常の一部のように扱われていた。
「……え?」
待って、ちょっと頭が混乱してる。どういうこと?
今のはこの街では日常なのか?いや、魔族が普通に暮らしているから馬鹿力で有名なオーガのケンカ位はありそうだが……にしては威力がおかしい。中級の龍の吐息と同等か、それ以上だったぞ。
「……って誰か魔石屋って言ってなかった?」
ふと頭の中で誰かが言った言葉が過ぎった。この騒ぎを全て魔石屋が?
まだ思考が追い付かない自分を無理矢理律して、私はすぐ近くの男性に声を掛けた。
「すまない。あの騒ぎは一体なんだ?襲撃ではないのか?そうだとしたら早く避難を……」
何故か男性は私を見て唖然としていた。そして少し経つと納得したように頷き口を開いた。
「あぁ、お姉さんここに来るのは初めて?だったらあれは大丈夫だよ。いつもの事だし、被害は最小限になるよう魔石屋の旦那が配慮してくれてるから。」
今日はちょっと激しい気がするけど、と付け足すと男性は遠い目で音の先を見つめていた。
見るともう何本もの砂煙が上がっていた。
最小限の被害とは?と思わず口に出したくなったが、今は我慢しよう。
「それより……何かこっちに向かって来てないか?」
「……退避――!」
「え!?ちょっ……!?」
確かに近付いてくる砂煙を一瞥すると、男性は瞬く間に近場の建物に避難した。
―― 被害は最小限になるよう魔石屋の旦那が配慮してくれてるから――
改めて問いたい、最小限の被害とは?
そうこうしている間に、砂煙は真っ直ぐこちらに向かっており、もう目と鼻の先で視認できる所まで迫っていた。
目を、耳を凝らせば道や窓が木が砕け、武器を打ち合うような鈍い音が耳を劈き、争う影が2つ。三度問いたい、本当に最小限の被害とはなんだ?
私は腰に提げていた剣を鞘ごと引き抜き、構える。
大丈夫、今私がするべき最善策を、冒険者として出来ることを。幸い腕には覚えもある。
「そこの2人組!今すぐ喧嘩を止め、その場に止まれ!!」
言うだけ言ってはみたが、こちらの声に反応はない。あれだけ激しく争ってるんだ、どうせ聞こえないだろうと予測はできていた。外れて欲しくはなかったが。
「警告はしたぞ。ここからは実力行――、」
1歩踏み出したその瞬間、何かが一直線に飛んできて、私の腹に直撃した。
「―――ッ!?」
「グエッ!?」
肺に溜まった空気が全て抜ける。この鎧はミスリル製、それを何事も無かったように衝撃が貫いてきた。
結果、短い悲鳴と共に突き刺さったソレの衝撃をモロに受ける形となり、一瞬で吹き飛ばされる。
「一体、何、が……」
オーガやミノタウロスのような力自慢の一撃よりも遥かに重い一撃、たかが人間1人が耐えられる訳もなく、木の葉を散らすように舞った私の意識はそこで途切れた。
◆
目を覚ますと、知らない天井だった。ふと視線を動かせば、治療師と思われる女性が私に気付き、足早にどこかに行ってしまった。
「……つぅ…」
鈍痛が脇腹に僅かに残っているが、支障はない。
「やあ、目は覚めたようじゃね」
ゆっくり1人の老人が入ってくる。紫の肌、側頭から突き出た角から、一目見て魔族と分かる。ひどくしゃがれた声。だが、たったその一言に込められた圧に、思わず立ち上がり、背筋が伸びる。この人はただものでは無い。
「おい、ジーさんお前もう隠居してんだから、そろそろ言葉に魔力載せる癖何とかできないのか?」
「ハッ!まだ若いもんに負けてられるか!」
「流石まおーさん!かっこいいですよ!」
「おー、まおーは嬉しいぞぉ〜。今度また欲しいの買ってあげよぉ」
あとからやって来たのは、くたびれた目付きの胡散臭い男と、この場の空気には似つかわしくないフワフワとした少女。驚く事にこの2人は人間だった。
しかし、この2人どこかで見たような……。というより今彼女は真ん中の魔族の男を何と言った?
「し、失礼ですが、貴方が魔王で間違いないのだろうか?」
「あぁ、ワシが魔王じゃっ!」
口角を大きく上げて笑って肯定する魔王。それは物語で知る威厳には程遠く、陽気なおじいちゃんというべきだった。
「いや、来ることは知っていたが、中々来ないものだからと思えば運ばれてくるとは思わなんだよ」
のう?と言うと両隣の2人を交互に魔王が見る。視線を送られると、男は気まずそうに視線を逸らし、少女はむくれて男を指さした。
「だってししょーが今日も私の愛の契りを足蹴にしたんだもん!」
「だからお前と俺は弟子と師匠だっつぅの!」
「いーや大きくなったら結婚するって約束しました!」
「何時の話だ、何時の」
「うーん、16年前……?」
「うん、お前その時生まれてないよな、無理だよな、話せないよな」
周りの事など気にも止めず、ぎゃいぎゃいと2人揃って姦しい。おかげでさっきから視界の端で治療師が手持ち無沙汰にソワソワしている。
「そろそろ……静かにせんか?」
そういうと魔王は持っていた杖を男の喉笛に突き付けた。一瞬、何が起きたのか分からない。全く動きが見えなかった。そして放たれる一言一句が空気を震わせる。間違いない、この人は本物の魔王だ。
「へいへい、分かりました」
底冷えしそうなほどのあの寸止めをされたというのに、男は戯けて見せるだけ。反省の色は見られないし、少女は男を煽るようにニヤニヤと視線を送っている。彼らは一体何者なのか。
「あの、実は王都から書状を……!」
懐に手を忍ばせる。が、そこにあるはずの書状は無かった。
「え!?たしかにここに……!?」
「あー、それなんだけど、これの事?」
男がヒラヒラとボロボロの紙を揺らして見せる。急いでひったくり確認すると、中身は所々穴が空き、欠けた虫食い状態。幸い読めなくは無いが、はっきり言って書状とは呼べない有様だ。
終わった……。依頼の失敗は冒険者の信用問題に直結する。即ち今後の生活にも関わる。
「貴殿は何も悪くない。悪いのはこヤツよ。さて、それでこの書状の内容じゃが、受けさせてもらう」
そう言うと魔王は目の前の男と少女の背を押した。
「この2人を向かわせよう。依頼達成にはうってつけじゃ」
「おい、ジーさん、何も聞いてないんだが?俺含め全員」
魔王以外の全員が頷く。私も手紙の内容は聞かされていない。
「依頼主はカルドヴィン王国第2皇子」
「カルドヴィン王国っていや、最近魔法に力注いでる国じゃねえか」
「そうじゃ。最近新たに魔法の学習を目的とした学園を作ったようじゃが、まだ魔法は分からないことが多い。そこで魔法に精通した人材を派遣して欲しいそうじゃ。お前さんならできるじゃろう?」
それを聞いて、男は露骨に嫌な顔をした。
「断ーー」
「ちなみに断ったら手紙を持ってきた彼女、国使を傷付けた罪で死刑な」
「ししょーはともかく、なんで私も?」
「お前さんは今15じゃろ?学園に通って友と親睦を深める年頃じゃ。1度しかない命、精一杯楽しんで欲しい、ただの老人のワガママよ」
「学園……通ってみたい!」
「分かった、分かった、行けばいいんだろ」
少女は瞳を輝かせる。さすがにそんな期待の目を反是にするのは難しいようだった。彼は何だかんだ弟子に好かれている優しい師匠なのだろう。
「優しい師がいて羨ましいよ」
「あ・げ・ま・せ・ん!」
そういうつもりではないんだけどなぁ……