5.二度目の人生で
その日の放課後。
私は寮には帰らず、図書館へ向かっていた。
あの後いろいろ考えた。いろいろ考えたけれど、結論はすべて同じ。おそらく結末は変えられない。
ならば、国外追放された後のことを考えなければならない。
過去3回不幸な形で命を落としてしまったのは、きっと私に国外の知識が足りなかったせいだ。準備だって足りなかった。
それならば、知識をつけて生きていけるようにすればいいのだ。
別にここで人生が終わるわけではない。きっと、きちんと追放後の準備をしておけば、つつましやかに幸せに暮らしていけるはずなのだ。
なんなら、今から手に職がつけられるように仕事になる技術を身に着けてもよい。
そのために、私は知識の宝庫である図書館の扉を静かに開いた。
放課後の図書館は西日が差し込み、どこかノスタルジックな雰囲気が漂っていた。
先客は一人だけで、今は司書の先生も席をはずしているのかカウンターにも誰もおらず、非常に静かだ。
本がぱらりとめくられる音に、私は先客である男子生徒の方を何気なく見た。
胸につけられた紋章の色が青であることから、どうやら上級生のようだ。
真剣に本を読む彼の邪魔をしないよう、気配を消して本棚の方へ進む。
しかし彼が本から顔を上げた瞬間、思わず声が出た。
「……イオルウェルス王子……?」
呟いてしまってからはっとして手で口をふさぐ。しかし静まりかえった図書館に私のつぶやきは存外大きく響き、机に向かって本を読んでいたその人物は驚きを隠せずにばっとこちらを見た。
目と目が合って、疑惑は確信に変わる。
分厚いレンズの眼鏡で軽く変装しているが、間違いない。彼は隣国の王子、イオルウェルスだった。
なぜ私が彼を知っているか。それは、以前私が彼に会ったことがあるからだ。
この世界には大きな大陸がひとつあって、その大陸に5つの国がある。
北に我がノースタリア王国、東にイースタース王国、南にサウスポルト王国、西にウェストスタン王国、そして中央にセントリアル王国。
もともとはるか昔はセントリアル王国が大陸すべてを支配していたが、そのあまりの広大さに王一人での統治が難しくなったため、土地を分け与える形で国が分かれた。そのため、5つの国は平等であるとされているが、実際は他4つの王国はセントリアル王国の属国のようなものである。
彼、イオスウェルス王子はそのセントリアル王国の第一王子だ。
背はすらっと高く、光沢のあるパールグレーの髪はうなじにかかるくらいで切られていて、非常に整った顔をしている。美しい薄青色の瞳は今は眼鏡の奥でぼやけてしまっているが、それでも彼の顔立ちの端正さを隠せるものではない。また目の下にある小さななきぼくろが彼に色気すら与えていた。
彼、イオルウェルス王子は読んでいた本をぱたんと閉じると、驚きで動けない私の前まで大股で歩いてきて鋭い声で言った。
「どうしてわかった?」
何が、とは聞かなくてもわかった。
「ええと……お見かけしたことがありましたので」
「どこで?この国で私の姿を公式に披露目したことはなかったはずだが」
二度目の人生で……とはさすがに言えなかった。
二度目の人生、つまり前々回、私は国外追放の判決を受けた後に職を求め、大陸内で一番繁栄している国であるセントリアル王国へと渡った。
渡った、と一言で言っても、持っているものは他国に入国するためのビザのみの一文無しであるため、野宿は当たり前、食事さえほとんど満足に取れない極限状態での移動であり、セントリアル王国へたどり着いたのはほとんど奇跡のようなものだった。
必然、入国できたのは良いものの、国境付近の町にたどり着く前に行き倒れる。
そこに小隊を率いて現れたのがイオルウェルス王子であった。
後から知ったのだが、そのとき王子はちょうど大規模な盗賊の一団の討伐を終え、首都へ凱旋するところだった。
騎士の服を着て馬に乗るイオルウェルス王子は、朦朧とした意識の中で輝いて見えた。
「意識はあるか?」
私を見つけてすぐ、馬を降りて自ら近づいてきた王子に、後ろから護衛らしき人物が慌てて声をかけた。
「イオ様、危険です!刺客かもしれません」
「こんなやせ細った女に何かできると思うか?行き倒れているだけだろう」
彼の心配を一笑に付して、王子は再び私に向き直る。
「かろうじて意識はあるようだな。私はイオルウェルス、この国の第一王子だ。あなたはどこから来たんだ?」
「……ノースタリアから……」
よりによってこの世界の中心である国の第一王子に声をかけられたことに驚愕しつつ、空腹で朦朧としながらかぼそい声でなんとか答えると、彼はさらに質問を重ねる。
「話すこともできるな。どこかけがをしてるのか?それとも病気か?」
「いえ……ただおなかが空いているだけです……」
整った顔の王子にこんなことを話すのが恥ずかしくなり、目をそらしながら答えると、王子は小さく笑う。
「なら、食べれば元気になるか。レイン、何か食べるものと水を持ってきてくれ」
「ほどこしを与えるのですか?」
嫌そうに渋るレインと呼ばれた護衛に、彼は少し厳しい表情で言った。
「この国にいる人間すべて私が守るべき対象だ。目の前で倒れている人間を放っておけるわけないだろ。いいから早く持ってきてくれ」
それを聞いて、彼の護衛は慌てて食べ物を取りに行く。
ほどなくして、私のもとに水と果物、パン、そして衛生兵らしき人物がきた。
その人物は、私を手早く一通り診察すると、「たしかに空腹による行き倒れですね」と王子に伝え、私を起こして水を含ませてくれた。
何日かぶりの喉をものが通る感覚に、私は思わず涙をこぼす。
王子は私の涙を見ても何も言わずに私がゆっくりと飲み食いするのを見守っていた。
しばらくして私がなんとか起き上がれるくらいになると、王子は再び私に話しかける。
「ここから近くの町までは、歩くには少し遠い。でも馬でなら数刻で着く。よかったら送っていくけれど、どうする?」
私は驚いてかぶりを振った。
「いえ、ここまでしていただいた上にそんなお手間をかけさせる訳にはいきません!」
「しかし、実際どうするんだ?このままだとまた行き倒れるぞ?」
王子の冷静な指摘に、私はうっと言葉に詰まる。答えられない私の様子を見て、王子は目を細めて言った。
「いいから、他に行くところがないなら遠慮せず私たちと一緒に来るといい。どっちにしろその町には寄る予定なんだ」
こちらに気を遣わせない優しい物言いに、私の目には再び涙が浮かんだ。私は唇を噛み締め、ゆっくりとうなずく。
「本当に申し訳ありません……。よろしくお願いします」
私の返事を聞いて、王子は嬉しそうに微笑んでくれた。
その後、町へ連れて行ってもらい、そこで王子たちの一行とは別れた。
王子は一晩でその町を去ったが、私は数年そこで住み込みの仕事をしてお金を貯めた。
その町は居心地が良く、ずっと住んでもよかったが、私はどうしてももう一目だけ王子に会いたくてセントリアル王国の王都、ラスエルマンへと向かう。
そうしてついに王都にたどりついた日、その前日に私はイオルウェルス王子が盗賊の残党に暗殺されたことを知った。