1.前世というやつを思い出した
目の前に立つ男のふとしたその仕草を見たとき、私は突然頭に流れ込んできた情報の渦にめまいがして床にうずくまった。
ここはノースタリア王国にある国立学園の大広間。
大陸の北に位置する我が国が国民に平等な教育を与えるため設立したこの学園は、国内唯一の国立学園にして最大規模の面積・人数・学科を誇る教育機関だ。
国内最高峰の学園であることから、ここには王族、貴族はもちろん平民も分け隔てなく入学し、この学び舎においては皆が平等で身分によって差別されることはない。
されることはない……のだが、私はこの大広間の壇上で全校生徒の視線を浴びながらうずくまったまま固まっていた。
私がこんなところで醜態をさらしている理由はただひとつ。
そう、よくある『断罪イベント』というやつが起こっているからである。
「アマリリア・オーレアン。残念だが、貴女はここにいるマーサ・アルデンヌを殺害しようとした罪で裁判機関に行ってもらうこととなる」
私にそう宣言するのは、生徒会執行部のメンバーであり、現在の主人公の攻略対象であるアンバー・シュタインだ。黒髪眼鏡のわかりやすい知的キャラ。
しかし、私がショックを受けているのはこのイベントのせいではない。
なぜなら、もう3回同じ人生を繰り返している私には、このイベントもすでに3回目だからだ。
ではなぜ私は今ここにうずくまり、動けなくなっているのか。
それは、そう、こちらもよくある、前世というやつを思い出したからである。
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前世を思い出したきっかけは、アンバーの顎を指でつまむ仕草だった。
それは、前世で私が好きだった伊織くんが考え込むときにしていた仕草で、その日も彼は自身の顎に触れながらどのクレープを食べようかと楽しそうに選んでいた。
「莉里、お前はどうすんの?」
「私はチョコバナナかな。定番の。伊織くんはゆっくり選んでいいよ」
「どうしよ、決まんねー。甘いのもいいけどしょっぱいのもいいよなあ」
うなりながらそんなことを話す伊織くんに、じゃあ半分こしようよ、なんて言ってみようかな……と考える。
なぜそれを気軽に言えないかというと、私たちはただの友達で、間接キスさえしたこともない仲だからだ。
放課後に一緒に寄り道するのも、この日が初めてだった。
私が半分このことを言い出せずにいるうちに、伊織くんはどれにするか決めて私の分まで注文を済ませてしまった。
「あっ、お金……」
「いいよ。誘ったの俺だし」
「でも、ここに来たいって言ったのは私だから」
「じゃあ、次回は莉里がおごって」
さらっと次回のことを口にする伊織くんに、私は口元がほころぶのを抑えきれない。
伊織くんは私と同じ学校、同じ学年の高校2年生で、クラスのみならず学年全体の人気者だ。
さらっとした茶色の髪は無造作にまとまっていて、切れ長の二重とすっとした鼻、薄い唇、どれをとっても綺麗に整っている。
でも伊織くんの魅力は顔だけではない。少し意地悪なところもあるけれど、明るくて誰にでも優しい伊織くんは、男女問わずいつも人に囲まれていた。
だから、そんな伊織くんと今ここで二人きりでいることは、私にとっては奇跡みたいなものだった。
クレープを食べ終え、店を出る。味はドキドキしすぎて正直よくわからなかった。
伊織くんはずっと楽しそうに話しかけてくれて、私もずっと笑っていたことだけは覚えている。
クレープのお店を出てから、私たちは不自然に黙りながら駅に向かって歩いていた。
沈黙も気まずい仲ではなかったけれど、このときの沈黙はいつものそれではなかった。二人とも、言いたい事があるんだけど切り出せないときのそれ。
つまり、伊織くんはどうだったかわからないけれど…私はこのとき、伊織くんに好きだと伝えたかった。
だけど好きな人に好きだと伝えることが、こんなに勇気がいることだとは知らなかった。
いつもならぽんぽん出てくる言葉も、何から話せばいいかわからなくて結局声になる前に消えて行ってしまう。沈黙も長く続くと、それはどんどん重いものへと変わっていった。
そのまま二人で黙って歩いていたとき、向かいから同じクラスの女の子が歩きスマホをしながらこちらに来るのが見えて、私は思わず「あっ」と声をあげた。
普段から仲良くしている子ではなかったのだが、会話のきっかけが欲しかったのだ。
私の声に、歩いてきた女の子、茉麻ちゃんは一瞬私を見て目をそらしたあと、再び驚いたように私と伊織くんの二人を見比べた。
「茉麻ちゃん、学校に戻るの?」
「…………」
私が話しかけても、茉麻ちゃんは食い入るように伊織くんを見ている。もともと、クラスでもほとんど話さず教室の片隅で何かに没頭しているおとなしい女の子だった。
「片岡だよな?久しぶり」
見つめられて気まずくなったのか、伊織くんが茉麻ちゃんに声をかける。
「あれ、伊織くんは去年茉麻ちゃんと同じクラスだっけ?」
「そう。一時期席が隣だったんだよ、な?」
伊織くんに同意を求められて、茉麻ちゃんはこくりとうなずいた。そして静かに口を開く。
「二人は……どうして一緒にいるの?」
「その……前から私が行きたかったクレープ屋さんに伊織くんが付き合ってくれたの」
私が照れながらもごもごと答えると、茉麻ちゃんはさらに言葉を続けた。
「もともと仲が良かったの?」
「あー、うん、同じクラスになったことはないんだけど…ちょっとね、話す機会があって」
話すと少し長くなる伊織くんとの出会いを簡単な言葉でごまかすと、茉麻ちゃんはあからさまに不機嫌な顔をした。
なぜだかわからないけれど悪くなりそうな空気に私は焦る。
話をそらすために、ちらっと見えた茉麻ちゃんのスマホの画面を話題にした。
「それ、ゲーム?私も最近はまってるのがあって……」
私が見たのは、4人の男の子に囲まれる女の子の絵。
もしかしたら、最近流行っている乙女ゲームかもしれない。茉麻ちゃんがやっているであろうゲームは知らないけれど、私も友達にすすめられて毎日少しずつ進めている乙女ゲームがあった。
しかし、私の言葉は大きなブレーキ音に突如遮られる。
真後ろから聞こえた音に驚いて振り向くと、私の背中が誰かに強く押され――そのまま私は突っ込んできたトラックに轢かれてしまった。