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ぼくのマリア

わたしは、小さいときからおばあちゃん子だった。


おばあちゃんの家は、わたしとお父さんとお母さんが住んでいる家の近くにあったから、よく一人でおばあちゃんの家に遊びに行った。


おばあちゃんはとても素敵な人だった。


髪の毛はグレーで、髪はいつも耳にかけていた。


そうすると、耳にいつもしていた上品なゴールドのイヤリングが光るのだ。


それは、おばあちゃんのセンスの良さを物語っていた。


おばあちゃんの部屋はいつもきれいに整えられ、無駄なものが一切なかった。


テーブルの上には庭でとれた花が一輪挿さっているだけだったし、いつも必要になるかわからないような書類が乱雑に置かれていることもなかった。


物の置き場所は決まっていて、一つ一つが大事に厳選されたものだと感じられた。


それらのものは、長い年月をかけておばあちゃんの愛情をしっかりと受け取ってきたものだった。


おばあちゃんの部屋にある茶色のチェストにしまわれた木箱も、おばあちゃんが大切にしていたものの一つだ。


その中には、おばあちゃんが昔おじいちゃんからもらったと言っていたラブレターや、おじいちゃんと撮った写真や、家族との写真が入っていた。


そしてもう一つ。


赤い花柄の布の中にきれいに包まれた、一枚の茶色い紙もあった。


その紙の存在を知ったのは、おばあちゃんが亡くなる1週間くらい前だ。


おばあちゃんは言ったのだ。


「実は、あなたにお願いがあるの」と。


そして、おばあちゃんはその紙にまつわる小さい頃の思い出を話してくれた。



おばあちゃんは、幼少期を孤児院で過ごした。


小さい時から人と話すのが苦手で、いつも何かに怯えていたような子供だったと言っていた。


それを周囲は気味が悪いと思ったのか、おばあちゃんの靴はいつも無くなったし、おばあちゃんが読んでいた本には落書きがされたという。


そして、一番辛かったのは食事の時、おばあちゃんの周りに誰も座らなかったことだった。


周りでは、賑やかな声がいつも聞こえていた。


だから、いつも一人だったおばあちゃんは、毎日さみしかったという。


ある日のこと、おばあちゃんが大切にしていた馬のぬいぐるみがなくなった。


そのぬいぐるみは、孤独で寂しいおばあちゃんの心を、唯一癒してくれていたものだ。


おばあちゃんは毎晩そのぬいぐるみと一緒に寝ていた。


ぬいぐるみを顔に近づけて、その馬のぬいぐるみが自分のことを守ってくれることを想像したのだ。


赤いマントをつけたその馬は、自分を背中に乗せて、雲の上の世界へと連れてってくれる。


気になっていた雲の上の世界を見せてくれる。


見たことない、幸せな世界へと連れてってくれる。


そう思いながら、おばあちゃんははじめて眠ることができた。


王子様。


おばあちゃんは、そのぬいぐるみを王子様と呼んでいた。


だから、その王子様がいなくなってしまった途端、それまで感じたことがないほどの悲しみと絶望がおばあちゃんを襲った。


そこは、希望も何もかもない世界だった。


世界は暗く、おぞましく、息ができないほど苦しい場所だ。


その場所から離れたくておばあちゃんは無我夢中に走った。


すると、小さな湖にたどり着いた。


静かな湖だ。


子供たちの声も聞こえないし、代わりに聞こえてくるのは鳥の声や、風の音だけだった。


王子様がいなくなってしまったことには変わりがなかった。


でもそこは、孤児院のあの雰囲気よりも、よっぽど落ち着く場所だった。


孤児院に帰りたくないから、そのまましばらくここに住んでみよう。


そんなことを本気で思っていたときだった。


後ろから、誰かが歩いてくる音が聞こえてきた。


振り返ると、そこにはあの馬のぬいぐるみを手にした男の子が立っていた。


それが、おばあちゃんとお兄ちゃんの出会いだった。


お兄ちゃんと言っても、本当のお兄ちゃんではない。


おばあちゃんが、ただその男の子のことをお兄ちゃんと呼んでいただけだ。


そして、そのお兄ちゃんもまた、おばあちゃんのことを僕のかわいい妹といつも呼んでいたという。


そのお兄ちゃんは、おばあちゃんにゆっくり近づくなりこう言った。


「このぬいぐるみ、君のでしょ?」って。


おばあちゃんはもちろん、王子様が自分のもとに戻ってきてくれたことに安心した。


でもそれ以上に、お兄ちゃんの優しい声に、はじめて安らかな空間を見出したような気がしたのだ。


後から聞いた話によると、お兄ちゃんはおばあちゃんのことをいじめていた男の子たちから、おばあちゃんのぬいぐるみを取り返してくれたらしい。


そして、おばあちゃんの後を追って、森の中を探してくれていたのだ。


お兄ちゃんは、おばあちゃんのことを無条件に愛してくれた。


どうしてあんなに自分のことを愛してくれたのか、わからないという。


でもお兄ちゃんは、まるで自分のことを本当の妹のように可愛がってくれたという。


そして、人が一生分に受ける愛をお兄ちゃんは短期間で自分にくれたのだと。


おばあちゃんはその大人しい性格から、よく女の子からも男の子からもいじめられていた。


でも、おばあちゃんがいじめられていると、お兄ちゃんがすぐさま駆けつけてくれるようになった。


そうして、意地悪な子供たちをお兄ちゃんはいとも簡単にやっつけてくれたと言っていた。


おばあちゃんは、本当の王子様に出会ったのだ。


王子様は、おばあちゃんのことを絶対に悲しませなかった。


おばあちゃんが悲しんでいたら、全力でおばあちゃんを喜ばせる行動に出た。


ある日の夜。


お兄ちゃんは男子寮から抜け出して、おばあちゃんのいる女子寮へとやってきた。


そうして、おばあちゃんが過ごしていた部屋の窓をコンコンと叩いては、おばあちゃんを夜の散歩へと誘い出した。


おばあちゃんは窓に一番近いベッドで寝ていたから、おばあちゃんを外に誘い出すのはそんなに難しくなかったのだ。


おばあちゃんはお兄ちゃんの姿を窓の外に発見すると、驚きながら窓を開けた。


すると、「マリア、夜の散歩をしよう。」とおばあちゃんに言ったそうだ。


その日、おばあちゃんは窓から抜け出して、お兄ちゃんと一緒に近くの湖へと行った。


おばあちゃんが初めてお兄ちゃんに会った場所だ。


お兄ちゃんと湖につくと、ふたりは湖のそばに腰掛けた。


そうして、おにいちゃんが毛布を広げると、ふたりはその上にごろんとなって、空を見上げた。



空はきれいだった。


星がたくさんあって、それは夢の世界だった。


星がきらきら輝いていて、そこにはお兄ちゃんがいた。


お兄ちゃんとわたしのふたりだけ。


わたしは何度もお兄ちゃんの横顔を見て、また空を見上げた。


そして、おにいちゃんが何か話すと、またお兄ちゃんの横顔を見ていた。


「あれはね、オリオン座と言うんだよ。」


お兄ちゃんがそう言って指差した先には、砂時計みたいなかたちをした星があった。


星座のことはあまり詳しくないけど、オリオン座だけはどこにいたってすぐにわかる。


そうして、オリオン座を見るたびに、お兄ちゃんと湖のそばで見たあの日の星たちを思い出すのだ。


森の中で物音がするたびに私はびくびくしていたけど、その度にお兄ちゃんは笑っていた。


そうしてお兄ちゃんの笑い声を聞くと、大丈夫なんだと思って安心したのだ。


お兄ちゃんは、いつも安心させてくれた。


お兄ちゃんのそばにいると、何も怖くないと思っていた。



「わたしはが8歳のときに、わたしのことを子供にしたいという人たちが現れたの。」


おばあちゃんは、引き続き、残りのストーリーも教えてくれた。


「その人たちが、わたしのお父さんとお母さん。


血は繋がっていないのだけど、わたしのことをとても愛してくれた。


お兄ちゃんを最後に見たのは、お父さんとお母さんがわたしを孤児院まで迎えにきてくれた日だったわ。


あの日はとても寒い日だった。


雪が降っていて、道はどこも真っ白だった。


お父さんとお母さんができたのはとても嬉しかったけど、お兄ちゃんと離れるのはとても辛かった。


お父さんとお母さんが乗ってきた馬車に乗る時、わたしは必死で涙をこらえていたわ。


せっかくお父さんとお母さんがきてくれた日なのに、泣くことなんてできないと思っていたから。


その時に、お兄ちゃんが走ってわたしのところに来てくれたの。


そして、この紙を一枚渡してくれたのよ。


「元気で過ごすんだよ。」と笑顔で言って。


馬車が出た時、お兄ちゃんは孤児院へと戻るところだった。


お兄ちゃんの背中をわたしはずっと見ていた。


なんだかとても切なくて、お兄ちゃんの姿を見るのは、それで最後なんだとなんとなく思っていたの。


そしたらそれから半年もたたないうちに、孤児院から手紙が届いて。


それは、お兄ちゃんが亡くなったことを知らせるお手紙だった。


とても短い手紙の中には、お兄ちゃんが肺炎で亡くなったと書かれていた。


お兄ちゃんはその時12歳。


生まれて間もなく孤児院に引き取られ、12歳で亡くなってしまったの。


親の愛情を受けずに育ったのに、お兄ちゃんは愛に溢れた人だった。」



そこまで話すと、おばあちゃんは少し口角を上げながら、その茶色くなった手紙を渡してくれた。


その手紙には、こんなことが書かれていた。


"天使のマリア。


マリアの笑顔は太陽のようだよ。


マリアが笑うと、周りの空気が変わるんだ。


マリアはそれを知ってるかい?


マリアが笑うと、世界が変わるんだよ。


マリアが笑うと、人が幸せになる。


だから、マリアは天使なんだよ。


いいかい。


ひどい言葉を信じちゃいけないよ。


だれかにバカにされたり、意地悪されたら、僕の言葉を思い出すんだ。


マリアは天使だよ。


マリアの笑顔は最高に素敵なんだ。


マリアが笑うと周りの世界が明るくなる。


そうして、僕もそれにつられて笑顔になってしまうんだ。


マリアは世界一優しい女の子だ。


世界一優しくて、世界一かわいい天使だよ。


マリアが笑うと世界が明るくなる。


だから、時々鏡の前で笑うんだよ。


悲しくなったら、笑ってごらん。


そうすると、マリアの周りは明るくなるからね。


マリアは世界一の天使だよ。


とってもかわいい天使だよ。


意地悪な人たちの言葉を信じるんじゃないよ。


意地悪なことを言われたら、僕の言葉を思い出すんだ。


マリアはやさしくてかわいい女の子。


僕の世界一の最高の妹だよ。"


おばあちゃんは、何度もこの紙を広げたのだろう。


紙は茶色くて、粉になって落ちてしまいそうな雰囲気があった。


おばあちゃんは亡くなる当日も、その手紙を呼んでいた。


そうして、満足そうに涙を浮かべては、その紙をゆっくりと畳んで、綺麗な花柄の布に包んだ。


「そして、お願いね。」と言いながら、その布の包みをわたしに手渡した。


おばあちゃんが亡くなったあと、柩に横たわるおばあちゃんの手のひらの中に、そっとあの小さな包みを忍ばせた。


お兄ちゃんが、最後までおばあちゃんのことを見守ってくれている気がして、わたしはとても安らかな気持ちになった。


それにしても、小さい男の子はどうして一人の女の子をそれほどまでに愛することができたのだろう。


血の繋がりのない兄弟なのに、その繋がりはわたしが知っているどんな兄弟よりも強いもののように感じられた。


大好きなおばあちゃんが死んでしまった。


でも、おばあちゃんが話してくれた小さい頃のお話は、今でもわたしの胸の中にある。


そして、おばあちゃんのことをいつまでも見守ってくれた、優しいお兄ちゃんのことも。

*この作品は、noteにも掲載しています。

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