青春は非合理的だ
沈黙が氾濫した川の濁流のように辺りに広まった。
それまで続いていた高らかな返事の流れは断ち切られた。桜舞い散る季節、その「晴れ舞台」は、曇天の空模様にたちまち変化した。
俺は、「十二番、椎名勇次」というその呼びかけに、大きな返事をして立つことに合理性を感じられなかった。どうせ、誰も他人の事など気にしては居ないのだから。
教師から、入学式で返事をしなかった生徒という長ったらしい名前で呼ばれていた俺は、何とか一年を乗り切りって、高校二年生の入口に立っていた。
ある程度勉強をしてこの高校に入った(言い換えれば、勉強以外することがなかった)俺は、周りの奴等に呆れながら生活していた。
誰もが生徒モドキで、親からさせられている勉強だけをしていた。彼らにとって勉強はたまたま自分が得意だったものであり、青春の二の次だった。
俺には、恋愛感情というものが無い。故に青春なんてものはこの俺の辞書には載ってない。
まず第一に青春という言葉が理解不能だ、青い春ってどういう事だよ、アリストテレスも知らないだろこれ。
「君、転校生?」
そう唐突に声を掛けて来たのは、同じ部活に所属している合川蓮だった。俺は中学から高校まで陸上をやっているが、どうやら合川は高校始めらしい。この前陸上スパイクでサッカーボールに穴を空け、体育教師に怒られていた。
「まて、俺は転校生でもなければお前と同じ部活だ。忘れるな」
「こちらこそ待ってくれ、お前今まで部活にいたのか!?」
どうやら速く走り過ぎていて視認できていなかったらしい。いや、間違いない。
「まぁそんな事どうでもいいんだよ、このクラス理系の割に結構女子多くてさ、少ない男子同士俺とつるまないか?」
俺の事を忘れていたお前を吊る事なら大賛成だが、どうやら本当に男子が少なくて困っているらしい。ツルムというものをやってみる価値はありそうだ。コミュ障に優しい男である。
こうして俺達は友達になった。高校で変わり者扱いされていた俺にとって、相手側から申し出てくる奴は初めてだった。
その日の部活の後、俺と合川は二人で帰った。春の陽気の熱がまだこもっているアスファルトを、俺達は自転車を引きながら歩いた。
「そう言えば、名前聞いてなかったな」
「俺の名前は椎名勇次だ」
「勇次か、俺の名前は…」
俺は掌を彼の前に出した。
「言わなくていい、この学年の生徒の名前は全員知ってるから」
その時、合川はなんだかつまらなそうな顔をした。記憶力の差が露呈してしまったな、済まない。
「なんでお前、話したがらないんだ?」
かなり意外な答えが帰ってきた。何を言ってるんだ?今話してるじゃないか、そう反論しようとした時、彼はもう交差点の反対側に渡ろうとしていた。
「俺の家、こっちだから。また明日な」
「じゃあな」
別れ際の彼の顔は何一つ曇りが無かった。まるで悩んでいた問題が解けた後のように。
家に帰ると最初に飼い猫のオメガが出迎えてくれる。名前の由来は口の形がオメガだからだ。
「お兄ちゃんおかえり〜」
妹の柚希が迎えに来てくれた。こいつは中学三年生だから、俺より少し帰ってくるのが早い。そして下着も穿かずに大きめのスウェットのみを着ていた。羞恥心は何処へやら。
「お風呂先入る?」
「ああ、それより父さんは?」
「お父さんなら、まだ書斎で仕事中」
「そうか」
俺の父はある理由があって三年前から家で仕事をするようになった。夕飯の匂いがする、母が調理中なのだろう。
荷物を下ろしに二階にある自分の部屋に向かった。俺の唯一のパーソナルスペースだ。だが部屋に入って間もなく、携帯の通知が鳴った。耳に刺さる嫌な音だ。
渋々画面をチェックしてみると、そこには知らない名前が表示してあった。
「三輪香織って…誰だ?」