36、終焉の鐘が鳴る
「来るなっ……来るなぁぁぁぁぁぁぁぁああッ!!!!」
自らの終わりを悟ったのだろう。
恐慌に陥った慧が闇雲に魔術を掃射した。
乱れ咲く色彩豊かな四元素魔術、自らへ精神干渉を行使し精神の安定を図っている。
最早敵味方など一切関係ない。
異形の使い魔は背後から飛来した岩塊に押し潰され、四肢を風の刃が無惨に斬り裂く。
あちこちで噴き上がる血煙。
錆び付いた鉄のような臭いが鼻先を掠めた。
「――ああ、これだよ」
自らを取り巻く死神の気配。
四年間、飽きるほどに慣れ親しんだ皮膚を炙るようにヒリついた感覚。
窮鼠猫を噛む、という言葉がある。
常に弱者の立場だった誠からすれば「必死に生きてるんだから最後まで足掻くだろ」と当然のような意味なのだが。
どうにも、違和感が拭えない。
現状を冷静に分析しても優勢なのは自分だ。
全てが知られ後がない慧と、まだ余裕のある誠では比べようがない。
その、はずなのに。
(……まだ何かあるのか? いや、絶対にある。この感覚だけは嘘じゃない)
幾多の修羅場を潜り抜けた己の経験が、慧が秘める何かを感じ取っていた。
場合によっては死を届けるほどの理不尽。
ただの勘違いであれば問題ない。
だが、憂慮するに越したこともない。
極限の集中へ至るため深い水底へ沈む意識。
冷たく、鋭く冴え渡る思考。
自然体のまま、身体の限界を試すように熾した魔力を隅々まで満たす。
鈍化していく痛覚とは正反対に、肌を刺す魔力の波すら鋭敏に感受する慣れない世界へ意識をチューニングして。
魔術の嵐へ飛び込んだ。
「――っは」
熱い吐息。
踏み出した一歩の足音よりも先に、純白の軌跡が数度奔る。
目視出来ない速度で振るわれた刃が燃え盛る火球を両断し、風の刃を霧散させ、氷の礫を微塵切りに斬り捨てた。
熱風と冷気が衝突し荒れた爆風。
戦ぐ前髪、底知れぬ殺気を宿した黒玉の双眸が暗闇の黒よりも深く煌めく。
黒に白銀の輝きを尾に引いて、流星の如く駆ける。
床から隆起した土壁を蹴り一つで粉微塵に粉砕し、瓦礫が落ちるよりも先に狼狽える慧へと肉薄して。
――白銀一閃。
「――殺しはしない。ただ、腕の一本ぐらいは我慢してくれ。どうせ後で治るんだ」
くるりと手元で回した鉈には、べったりと鮮血が付着していた。
肩口で滑らかに断ち切られた慧の右腕が床へと投げ出される。
「――ああああああああぁぁぁぁぁぁああぁぁあぁぁぁッ!?!?!!!!?!?」
数秒遅れてようやく事態に理解が追いついた慧の脳を尋常ならざる痛覚が塗り潰した。
喉が張り裂けんばかりの絶叫を響かせ、膝から床へ崩れ落ちる。
左手で断面を抑えて治癒の淡い光を発しながら嗚咽を漏らす。
同情はしない。
それ以上のことをやってきた相手にかける慈悲など欠片足りとも持ち合わせていなかった。
ここは現代だ。
法律が曖昧だった異世界とは違う。
人を殺せば……そうでなくとも、殴るだけで傷害罪とされる可能性もある。
しかし、今日は違う。
協会の狗という立場の零級ならば、千鶴の指示もあるために罪には問われない。
殺さなければ魔術でどうにでもなる。
そこだけは異世界と共通であった。
「――投降しろ、慧」
青い顔のまま治癒魔術で応急処置を進める慧の首へ刃を当てる。
もう『詰み』だ。
危害を加えるよりも早く首が飛ばせる。
「……はハッ」
掠れた嗤い声。
恐怖を超えて狂気へ至ったそれは、常人の精神を否応なく掻き乱す。
「――まーくんッ!! 彼を殺して!! 今すぐッ!!」
切羽詰まった薫の必死な声を受けて、己の予感が正しかったのだと遅まきながら後悔する。
鉈を引き慧の頸動脈を切断……するはずが。
聞こえたのは、金属の上を滑るかのような高音。
間違っても人間の首で奏でていい音ではなかった。
仕損じた……その一瞬で判断を下した誠は深追いすることなく後方へ下がり三人と合流。
「クソっ、失敗した」
「仕方ないわ。それより上に逃げるわよ!」
真剣そのものの薫の指示に全員が頷き、入ってきた扉から脱出する。
まだ万全ではない那月を薫が背負い、先頭を誠が走り殿を凪桜が務めていた。
下へ来るまでに粗方の使い魔は撃破してきたが、それでも漏れはある。
四人を見つけた使い魔から逃げながら、長々と続く階段を駆け上がる途中。
「……アレは何だ」
「魔化って知ってるかしら」
「人が遺物に呑まれて魔物になること。原理は不明。自分の魔力が尽きるまで暴れ回る」
「薫さんが殺せなんて言った理由がわかった。最後の最後まで人に迷惑かけやがって」
忌々しげに舌打ち呟いたそれは総意であった。
神奈木へ自らの罪を着せ、那月を誘拐し、最後には自分も遺物に呑み込まれ消えていく。
これでは罪を償わせることも出来やしない。
魔化した慧は殺すしかない。
そうは思わない人がいて。
「――魔化した人から遺物を切り離せば人間に戻る……そうですよね」
「なーちゃん。それがどれだけ難しいことかわかっているの?」
「大丈夫です。ある程度、思い出しましたから」
薫の広い背に揺られる那月の笑顔は、吹けば消えるのではないかと思うほどに儚いものだ。
那月は誠へ祈りを届けた時、封じられていた過去を取り戻していた。
自らが犯した過ちも、綺麗に忘れていた真実も、魔術の使い方も。
那月が忘れていたのはどう繕っても悲劇で、忘れていた方が幸せだったのかもしれないけれど。
希望は確かに、そこにある。
「……そう。でも、無理しちゃダメよ」
「わかりました。もしかして、知っていたんですか?」
「一応ね。さーちゃんも、まーくんもある程度は知っているわ」
「えっ……」
「前に凪桜から少し神奈木の話を聞いた時にな。秘密にしてて悪かった」
顔は合わせないまでも誠意を持って謝罪する誠。
僅かに驚いた那月が視線を右往左往させ、ジト目で誠の背を見やる。
「乙女の秘密を人から聞くなんて酷いです」
「誤解……じゃないな。その通りだ」
「凪のせい?」
「なわけあるか。聞いたのは俺だ」
「今度、ちゃんとお話しましょう。誠さんが聞かなかったことも含めた真実を全て」
「ああ」
約束をして。
「外に出るわよっ!」
外から差し込む月明かりを目指して駆け抜け、地下工房を脱出した四人の頬を冷たい夜風が撫ぜる。
そこには。
「かおるん、状況はっ!」
「慧くんが魔化したわ! 直に上へ上がってくるわ!」
「了解ですっ! 皆さんは周囲の封鎖をお願いします。ボクたちは……」
「千鶴っ、遺物だけどうにか出来ないかっ!?」
「……成程、ならボクもいた方がいいですね」
夜闇に紅い瞳を揺らめかせ、千鶴も含めた五人で慧を迎え撃つ。
次第に近づく振動。
地獄の底から響く怨嗟の声。
ソレは遂に、地上へと解き放たれた。
うねうねと人肌色の触腕を何本も生やしたイソギンチャクに似た不気味な化物。
ソレが通った後には赤黒い粘液が付着し、濃密な鉄臭さをばら撒き続ける。
万年の樹木の幹のように太い胴体には、細い触腕に絡め取られ埋まった慧が苦悶の表情を貼りつけていた。
生物を冒涜するかのような容貌。
たとえ許せない相手であっても、こんな化物に成り果てるのは何かが違う。
「……絶対に、貴方には罪を償って貰います。ですから、皆さん。私に力を貸してください」
「任せろ」
「ん」
「はいはーい」
「当然よ」
深夜、終焉の鐘が鳴る。
次回 9/30 0800頃
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