上
〜〜 1899年 ロンドン 〜〜
“パカラ!パカラ!パカラ!パカラ!“
ーー アドル•E•ロッテンハート ーー
“ガチャガチャ...“
「よしよし。良い子だ。」
雨の降りしきる真夜中、人けの無い市街地を馬で走り抜けるのは気持ちがいい。
馬を近くの馬蔵に留め、古ぼけたバーの中に入って行った。
「いらっしゃい。アドル。」
「俺もすっかり常連だな。いつもの、コルマーカインを頼む。今日はハーブも添えてな。」
白髪に赤鼻の、小柄なフランス人の老人ジョフがここの店主だ。
「へへへ、相変わらずだねぇ。」
この時間帯は、店内は酔っ払いだらけだ。
喧嘩してるやつ、泥酔してる奴、泣いてる奴笑ってる奴。
と、ジョフの差し出した極彩色の液体を、一気に飲み干した。
「くぅぅぅ...良いねぇ....」
「見てるこっちまで酔いそうだよ。アドル。」
「まあな。...さて、氷鼠の丸煮もくれ。」
「おう。こっちに来な。」
ジョフは俺を奥の部屋に招く。
肌寒い酒蔵に横たわる無数のタルの、突き当たりから3番目、左下を開ける。
中には酒では無く、地下に続く階段があった。
「誰が来ている。」
「フランクにキティ、あとマイケルが居る。」
「分かった。」
「しけって滑り易くなってるから気いつけな。じゃあ後でな。」
ジョフを見送り、自分はとっとと地下室に入って行く。
何度も使っている内に、埃くささはすっかりと抜けている。
一つ目の扉、ボイラー室。二つ目の扉、ジョフのコレクション酒蔵。三つ目、此処だ。
“ガチャ”
松明で照らされた、石壁土床石天井の地下室。
結構広めの作りで、中心には古めかしい木の机と、左の壁際に積み上げられた木の椅子、何年も前のサーカスのポスターが壁に数枚、あとは何も無かった。
「おおアドル。はるばるドイツからよくぞ。」
「フランク、久し振りだな。」
出迎えてくれたのは、短い金髪の筋肉質な男、フランクだ。
「アドル…?アドル!はぁ…!」
俺に気づいて胸に飛び込んできた小柄で茶髪で身重のアメリカ女はキティ。
いつ見ても彼女は美しい…
「アドル!来てくれて良かった!色々と話したい事があるんだ!」
「マイケルも久し振りだな。…ダイエットするんじゃ無かったのか?」
何というか…実に男らしい体型の、脂っこい黒髪を蓄えた彼が、今回の召集の主人だ。
「…で、マイケル、あれは見つかったんだな。」
「ああ。と言うか、此処にあるよ。イギリス政府が隠し持っていたんだ。」
マイケルがバッグから取り出したのは、30センチ程ある黒い金属で出来た三角錐。それぞれの面には別々な奇妙な紋章が、金色の線で描かれていた。
「今回もアニキのコネが役に立った。今イギリスにあるのはそっくりの偽物。まだ奴らはこいつの使い方を知らないから丁度いいのさ。」
「…これが、アフリカの油田の底から見つかったって言う…オブジェクトXか。」
マイケルから手渡されたそれは、ずっしりと重たく、金属らしい冷たさもあった。
…流石に、もう油は付いてないか。
「あたしはこれを手に入れた。オークランドの掘削溝から発見された石版。ここを見て、オブジェクトXを記した絵に、未解読文字の文章。絶対それと関係のあるものよ。」
キティがトランクから取り出したのは、色々な物の刻まれた黒曜石のプレートだ。
…下の方にでかでかと刻まれている4つの紋章、オブジェクトXにある物と同じだ。
「俺も、この数ヶ月ただクラブで遊んでただけじゃないぞ。こいつは、オブジェクトXの記録の写しだ。油田から見つかり、しばらくはその油田の持ち主、ムーハ皇子が所有していたんだが、その後イスタンブールが直々買い取り、そこから様々な場所を大金と共に各国を転々としていたんだ。しかしイギリスが買い取った時、詳しい考古学的な調査をするだかでオブジェクトXの旅はストップ。そこから数年間は人目にすら付かなかった。」
フランクの持っていたロール紙には、目を疑う様な金額があちらこちらに描かれていた。
もし俺が見つけてたら、豪邸で一生遊んで暮らせるな。
「みんな凄いな。もし裏切られたらひとたまりも無いぜ。」
フランクが茶々を入れた。
「で、俺は早くそのバッグの中を見たい。手掛かりでもワインでも大歓迎さ。」
「はは…分かった分かった。」
バッグの中から4枚の石版を取り出す。
おおと言う声が周囲から聞こえた。
“カン!カン!カン!”
机の上で、パズルの様につなぎ合わせて、一つの巨大な石版を完成させた。
「これは取扱説明書さ。どうやらオブジェクトXは、キティの持つ石版で制御する何かしらの装置らしいんだ。」
「ん?まだ解読が終わっていないのかい?それなら僕がちゃちゃっと…」
「いや、一枚足りないんだ。石板の中心に窪みがあるだろ?ここに円盤型の石板がはめ込まれて始めて完成する。逆に、ここが無ければ何も始まらない。」
マイケルが、手入れの行き届いた眼鏡をカチャリと上げる。
「で、今回わざわざロンドンを集合場所に指定した理由は何だい?」
「…大英博物館に、この石板の最後のパーツと思われる石板が昨日到着した。展示は明後日からだそうだ。」
「はは。相変わらず君らしいね。」
「褒め言葉どうも。さて、作戦はこうだ。まず明日の夜大英博物館の倉庫に侵入。石版を見つけ次第俺の持っている4分石版と組み合わせて内容を書き写し、可能ならば一切の痕跡を残さずに退却。その後此処に集合だ。」
◇
「此処に帰るのは久し振りだな。」
ロンドンの安アパートの一室…側から見れば見栄えが良いとは言えないけれど、俺にとっては立派な我が家だ。
「おかえりなさい。アドル。」
「ただいま。キティ。」
キティは両親の反対を押し切り、俺なんかと結婚してくれた。
なのに、家にすら滅多に帰れず、俺はまだ何も…
「どうぞ。」
「ん…?ああ。ありがとう。」
キティの淹れた暖かいコーヒーを一口啜る。
「はあ…この一杯が恋しかったよ。」
「そんな。豆ならドイツにだってあるでしょ?」
「違うんだ。君が淹れたコーヒーだからこそ、特別な価値があるのさ。」
「まあ…貴方、いつからそんなキザ男になったの?」
「はは。じゃ、少しシャワーを浴びてくる。」
出口に繋がる廊下の扉、此処がバスルームだ。
広くもなく、狭くもなく、シミだらけの天井。何も変わっていない。
“ザアアァァァァ…”
諜報委員に就任してから速10年、もしかしたら、今回は俺の…俺達の生涯にすら関わる大仕事になるかもしれない。
ドイツ政府から直々に依頼された、一定の物質に電気的反応を見せるオブジェクトXの調査、成功報酬は島一つ買える程の大金だ。
もし上手くいけば…キティの…俺達の子には、ちゃんと学校に行かせて、立派な夢も持って欲しいし、こんな危険な職を進める気も無い。気が早いかも知れないが、孫の顔に興味が無いと言えば嘘になるし。
“キ…”
相変わらずヒビだらけで、締まりも悪いシャワーだ。
パジャマ代わりの薄着に着替え、バスルームから出る。
「お前はもう入った…らしいな。」
リビングから繋がる寝室のベッドで、寝息をたてるキティの姿があった。
俺も、空いているその隣に横たわり、少し考え事をする。
「…あ、アドル…」
「済まないキティ、起こしたか?」
「ううん。久し振りだから、隣にもう一人居るの。」
「そうか。…ごめんな、いつも一緒に居てやれなくて…」
「いえ、良いの。…ねえ、約束、覚えてる?」
「ああ。その子の名前だろ?ドイツの潜伏先でずっと考えていたんだ。」
雨上がりの月明かりで若干照らされる天井を眺めながら、考え抜いた名前を伝える。
「男の子なら、今は引退した俺達のかつての仲間に因んで、ケビンって名前にしようと思う。」
「女の子なら。」
「俺(Aedor)とお前(Kity)の名前を混ぜて(Aeintyia)にしようと思う。」
「エインツィア?まるでお姫様ね。」
「駄目か?結構良い出来だと思うんだけどな…」
「気に入ったよ。この子の名前はエインツィア。エインツィア•E•ロッテンハート。」