同情と密約
職員室への直通扉が乱暴に開かれる。
現れたのは、パリッとしたカッターシャツにスラックスを身に付けた、二十代
半ばの青年。
若さと野心に見合ったその髪は、太い芯とハリに恵まれ、大地に繁茂する叢のように、ゆるく弧を描いて重力に逆らう。
そのくせ、身体は細身で容姿は童顔。
厳つい所はまるでなく、大学新卒の社会人風味を遺憾なく発散している。
男の強引な登場に、五部学長は、字面だけは驚かせて応対する。
「おや、教頭先生ですか? 一体どうしたのですか、そんなに大声を出して」
若くして教頭の地位という不自然な男・時村守人が、不吉な笑みで理由を語る。
「フッフッフッ……。なぁに、校舎の案内なら俺に任せて下さい。なにせ俺も、この忍ヶ丘の外から来た人間だし、説明や疑問点なら、お互い、気が合って分かりやすいんじゃないかと思いましてね」
明らかに取って付けたような言い分だが、表立って否定する根拠は見当たらない。
ホワホワ感漂うこと日常的な綾平担任が、時村の主張に他愛なく共感した。
「なるほど~。それに、教頭先生の自己紹介もまだですし、ちょうど良い機会ですね♪」
五部学長はしばし黙り込むが、やがて平静を装って渋々と同意した。
「そうですか……。なら、藤森さんの案内は、時村先生に任せるとしましょう」
「うっしゃあ!」
時村は軽率にもガッツポーズを決めると、イチカの前へと、片手を爽やかに差し出す。
「っつー訳だから、よろしくな。俺の名前は時村守人。なにかあったら、頼りにしてくれよ」
握手を交わすイチカの態度からは、塞ぎ込んだ様子がありありと感じられる。
しかも、自分の名字が『藤森』である事を原因に、語呂を間違えて名前を記憶する。
「はあ……。よろしくお願いします、時守先生」
時村は、イチカの間違いに軽くずっこけると、額をかいて訂正する。
「ぬあっとと……。俺は時村だっつーの。……ったく、調子狂うなぁ」
やがて、ゲンナリとした空気で握手を済ませた時村は、イチカを連れて学園長室を離れた。
そうして二人が立ち去ると、綾平担任が、ひた隠しにしていた感情を露わにする。
「藤森さん、やっぱり落ち込んでましたね……」
すべては、相手の気持ちに気付いたうえでの、無神経な演技だった。
こんな騙し討ちみたいな方法で、他人の人生が開ける訳がない。
イチカの高校生活は台無しである。
それでも五部紫彩は、学園長の責務に従い、イチカに忍術修業を強要させる道を選んだ。
「運命選定法……。はたして藤森さんの何が、この街へと呼び寄せる要因となったのやら」
運命選定法。
一見、無作為に思えるその儀式は、イチカの母が知る以上の手続きを要し、卜占(占い)の流れを継承している。
決して、無為無用の選出方法などではない。
そのような事情で選ばれた生徒なら、こちらから勧誘してまで入学させる必要はなかった。
しかし、学園長である五部紫彩ですら、今回の決定には真意が読み取れなかった。
迷える視線を、窓の外へと移す。
空には、一塊の白雲が流れていた。
流れゆく雲は自在にその姿を変えるが、どこへ向かい流離うのかは、自分では分からない。
直線で描き切る絵画がないのと同じように、右に左に翻弄されて、すべてが終わった時に、己が何者であるかを初めて知るのだ。
イチカの身の上もまた、いまだ空を流れる一群れの雲塊も同じであった……。
時村教頭の後ろに続き、三階から順々に校内の説明を受けるイチカだが、萎んだ心と苦悩渦巻く頭には、その内容は、まるで意味を伴って聞こえてこなかった。
階段を下り、一年臨組の前で足を止めた時村教頭が、教室並びのまとめに移る。
「以上で分かったと思うが、一般授業の教室のほかに、一階には購買部、二階には職員室が配置されてるんだ。あと校舎北側は、どの階も実習系の教室が…………」
つらつらと案内箇所を振り返ってゆくあいだも、イチカは無言を保っている。
見るからに落ち込んだ様子のイチカに気付いて、時村教頭はニヤけた顔を近付けた。
「ハハ~ン。さては御前、『これから私、こんな学校に通うのか……』って落ち込んでるんだろ」
見事に図星を射されたイチカは、あせあせと表情を入れ替える。
「そ、そんな事ありません! ただちょっと、さっきからボーッとしてただけで……」
「隠すな隠すな。正直に言っちまえって。学園長室で言った通り、俺も忍ヶ丘の外から来た人間なんだぜ? ここが普通じゃないって事くらい、よぅく分かってるっての」
爽やかな演技をして、こちらを試してるのかも知れない。
そう思うと、あとが恐くて素直になれない。
疑心暗鬼に駆られるイチカに、時村教頭は後頭部を摩って告白する。
「まっ、どうせ学園のみんなには知られちまってるし、隠してても、すぐにバレるから言っちまうけどよ。俺って実は中央政府……、つまり、日本政府の回し者なんだ」
「日本国政府の回し者……?」
イチカが怪訝な表情で呟くと、時村は悪びれもせず、不敵な笑みで話を続ける。
「そっ♪ それでコネを持ってるモンだから、教頭に就任してるんだ。市立である以上、一応、この学園も政府の支援を受けてるから、俺みたいな監視役が必要なんだよ」
忍びの次は、自称スパイの登場である。
相手が忍者の敵であっても、自分の味方とは限らない。
次から次へと不審者が現れる展開に、イチカは一層、用心深くなる。
「そんな事をわざわざ私に明かして、先生は何を企んでるんですか?」
相手の警戒心を察知して、時村教頭は呆れた空気で腰に手を当てる。
「にっぶいなぁ……。お互い協力しようって言ってるんだよ。俺としては、忍術学園なんて危なっかしい学校は潰して、最新機器を取り入れたハイテク学校にしようって決めてんだ。生徒が一人辞め、二人辞め、ついでに世間に色々と吹聴してくれると、少しはその道も近付くって寸法だよ」
退学を示唆する内容を聞いて、イチカの顔が一気に輝きを取り戻す。
「まさか、私が学校を辞めるのを支援してくれるんですか!?」
「そりゃ勿論だ。言っとくけど、辞めさせるだけなんて、ケチなこと言う積もりはないぜ。ちゃ~んと元の高校に戻るなり、別の学校に転校させるなり、最後まで面倒見てやるよ」
「て、転校…………」
自然と涙が頬を伝う。
思えばこの一ヶ月間、悲劇の連続だった。
突然の転校に始まり、身内全員にも見放され、いざ校内に入れば、クラスメイトに逆さ吊りにされる。
学校説明ともなると、聞けば聞くほど物騒な内容ばかりで、挙げ句は退学不可能である。
イチカは泣き顔を繕いもせず、時村の手をガッチリ握って、感謝の気持ちを伝える。
「ありがとうございます。私、その提案に全力で乗っかります!」
「おいおい、なにも泣く事はないだろ、泣く事は……」
イチカは時折しゃくり上げながらも、ポツリポツリと胸の内を明かしてゆく。
「だって……。一生懸命に頑張って受かった学校を辞めさせられて。しかも、忍者好きだからって、考えた事もない道を選ばされて、もう辞められないだなんて……」
両手で涙を拭う不憫な光景に、時村は思わず目頭を熱くさせる。
下心はあっても、このまま口籠もるのは、自分も彼女を突き放してるみたいで
残酷だ。
時村は強引に、慰めの言葉を絞りだす。
「まぁ、そりゃそうだろうなぁ……。いくら好きな物でも、他人に強制されたんじゃ興味が失せるし、普通の女子高生には、忍術修業なんて過酷だからな」
(一応、俺の通ってる職場なんだけどなぁ……)
余計な一言は飲み込んで、時村教頭が話をまとめる。
「うっし、それなら取引は成立だな! 俺が中央政府の役人として、『無試験合格は不公平だ~!』って騒げば、さすがの学園長といえど、入学審査くらいはするだろう」
「そっか! それで特別試験を課せられた際、わざと落ちれば良いって事ですよね♪」
「飲み込みが早くて助かるぜ。試験っていっても、今から新しく作るわけにも行かないし……。今度の学期末にある、進級試験とセットでどうだ?」
学校方針に国の意向が何処まで介入できるかは知らないが、一般的な力関係は、市立高校よりも国家権力の方が上だ。
そこへ更に本人の意志が加われば、計画成功は堅い。
ハア……とイチカは全身で安堵し、両手の指を頭上で絡めて背筋を伸ばす。
「ようやく肩の荷が下りました……。要は次の試験に落ちさえすれば、私は元の
生活に戻れるんですね?」
てっきり肯定されると思いきや、計画首謀者の時村は、真顔でイチカに警告する。
「いいや、気を抜くのはまだ早い。今から試験前日まで不登校なんか続けて、学園長に睨まれでもしてみろ。俺達の密約なんて、どうしたって簡単にバレるんだ。
悪質な反対行動の罰で、俺が教頭を辞めさせられちまう。そうなったらもう、誰もお前を助けちゃくれないんだぞ。一応、授業は真剣に受けておけよ」
「えーっ!! じゃあ私、これから皆勤賞を取る勢いで、忍術修業を受けなきゃいけないんですかぁ!?」
イチカが気後れに後退ると、時村は気難しい表情で腕組みをする。
「次の試験までは、大体、あと一ヶ月半はある。それまで訓練は勿論、このイカれた街で、生き抜かなくちゃいけないんだからな。武器は模造刀だし、殺しや重傷は御法度でも、自分で事故ったらその限りじゃない。まっ、注意するんだぜ」
「私、本当にこの学校を、無事に辞められるんでしょうか……」
ゲンナリと肩を落とすイチカに、他人事と謀の中間で、時村が気安く元気付ける。
「そんなにクヨクヨすんなって。一ヶ月半なんて、あっと言う間だよ。あっと言う間……」
裏取引も終わり、道案内も済んだ所で、時村はようやく教育者らしい一面を見せる。
「おっと、言い忘れてた……。保健室は、この廊下を反対側にまっすぐ歩いて、行き止まりの手前にあるからな。ちゃんと身体測定を受けて、怪我しないよう、専用の忍者服を仕立ててもらうんだぞ」
人助けの名目にも関わらず、時村は自分の野望達成を夢見て、足取り軽く去ってゆく。
忍術修業は避けられなかったが、本来の生活に戻るには、これで一歩前進だ。
イチカは、教頭の背中に頭を軽く下げると、小さな声で名前を言い間違える。
「時守先生、ありがとうございます」
しつこいようだが、彼の名前は時村守人である。
時村教頭は、実は第1巻のキーパーソンの1人です。
彼の暗躍が、イチカにどのような影響を与えるのか考えながら読むと、後々、感慨深いものを感じられます。