それを言うならポニーテール
柳沼理乃。一見して猫の如し。
無邪気な瞳と、目にも留まらぬ素早い動きでマイペースにあちこちを観察し、イチカの正面で停止した。
やがて理乃は、不満そうに小さく唸ると、無遠慮な観測結果を口にする。
「見たところ、中はスポーツブラに白パンツ。外は、ワイシャツとチェックのスカートかぁ……。忍ヶ丘の外じゃ、案外、普通の物が流行ってるんだなぁ」
両手を縛られたままのイチカは、捲れ上がったスカートを押さえることもできず、頬を紅潮させて激昂する。
「ちょっ……、なにを見てるんですか! あと、これは流行とは関係ありません! 今日の入学手続きのために、無難な格好をしてきただけです!!」
「な~んだ、関係ないのか……。じゃ、僕はもう好いから、次の紹介に行って良いよ。希更ん」
ところが、誰もその催促に応じない。
不思議に思って理乃が振り返ると、そこには5人の端に並んでいた、病弱そうな少女の姿はなかった。
「あれっ、希更んは?」
理乃の疑問に、華隠が相変わらずの奇天烈な口調で答える。
「希更のヤツ、さっき体調が悪いとかで、さっさと保健室に戻っただわさ」
素っ気ない華隠とは違い、手甲を嵌めた格闘忍者のあきえが、希更の身を案じる。
「そっか……。水野っちは肺が弱いから、この時期は駄目なんだっけ」
どうやら深刻な症状らしく、常から感情を抑え気味の愛里も、沈んだ口調で訂正した。
「肺じゃなくて気管支よ、あきえ……。彼女は喘息持ちだもの。今まで、よく保ってる方だわ」
わずかな沈黙のあと、委員長の坂本愛里が、四人を代表して口を開く。
「さっきの青い和服の娘は、水野希更っていうの。あの子も、此処に居る私達と同じ、一年臨組の生徒。つまり、貴方のクラスメイトよ」
全員が同じクラスと知って、イチカの中で敵対心よりも親近感が上回る。
「同じクラスってことは、これから、皆さんと一緒の教室で勉強するんですよね?」
実際は、忍具の作成や座学を除いて、授業の大半は教室外で行う。
誰かが校外学習を説明しようとした所で、裏門から左、緑地帯正面の裏庭から、嗄れた年配の声が響く。
「はて……。御前さん達、そこで何を騒いでおる? よもや、悪巧みでもしとるんじゃ無かろうな」
悪巧みどころか、すでに悪事を遂行したあとだ。
教職員に見付かったが最後、間違いなく御仕置きされる。
委員長の愛里は喉の奥で呻いて、他の三人へとすばやく指示を飛ばした。
「不味いわね……。総員、解散っ!」
「合っ点!」 & 「オッケ~♪」 & 「了!」
三者三様の応答を返して、『シュパ!』っと一瞬で姿を消した。
イチカは四人の早技に感服するも、視界の違和感に、我が身の不自由を思い出す。
「って、まだ私、逆さ吊りのままじゃないですか! だ~れ~か~助けてぇぇ!」
イチカの叫びを聞いて、羽織袴のお爺さんが、せかせかと小走りに近付いてくる。
長い白髪を、丁髷みたいに頭頂部の後ろで結った、血色のいい好々爺。
顔に折り畳まれた皺は人生経験の深さを物語り、目測すれば、七十後半といった所だろう。
腰に二刀を佩いてはいるが、手にした高枝切り鋏からして、剣士ではなく用務員に違いない。
老人はイチカの惨状を目にすると、感心するやら呆れるやら、気の抜けた声で呟く。
「こりゃまた、分かりやすくやられたモンじゃわい。さては、さっきの連中の仕業じゃな……。ちと待っとれ。少々荒っぽいが、高枝切り鋏でチョキンと結び目を切ってやるからの」
剣士姿の用務員は爪先立ちとなり、淀みない手付きで縄を斬り解く。
それと同時に、イチカの身体は支えを失い、重力に引かれて落下運動を始めた。
危ういところで何とか半回転。
臀部から着地し、頭上へ向けて、突き抜けるような衝撃が走る。
「痛ったたたたた……。腰打ったぁ~」
イチカは難儀な表情で患部を摩りながら、ヨロヨロと緩慢な動きで立ち上がった。
別に誰のせいでもないのだが、習慣上、縄を切断した白髪の老人が、イチカに
謝罪する。
「いやはや、済まん事をしたのぅ。見たところ、ウチの学園の生徒じゃないと言うに……」
「いいえ! むしろ、用務員さんの御陰で助かりました。それに、今はまだ此処の生徒じゃないですけど、私、明日から、この学校に通うことになるんです」
否定と肯定が入り混じる複雑な事情に、老人は顎に手を添えて思考を悩ます。
「明日から、この学園に……? 一体そりゃあ、どういう意味かの?」
せっかく助けてもらったのに、礼を述べるだけで立ち去るのも、少し薄情である。
イチカは思案を重ねる用務員に、要点を掻い摘んで、これまでの事情を説明した。
「………………という訳なんです」
時間にして、ものの五分。
たったそれだけの時間で語れてしまう情けない事実に、後半、イチカは鼻がツーンとして、涙腺を軽く弛ませた。
ほんの短い無言を挟んで、用務員の老人は、声に哀れみの色を深めて嘆く。
「成る程のう……。貴方さんに、そんな事情があったのか」
「ハイ……。この学園の人に、忍術修行や転校が嫌だって言うのは気が引けますけど、外から来た私にとって、くのいちの修業とか言われても、全然、ピンと来ないんです」
「さも有りなん、さも有りなん……。儂もこの学校が長い故、貴方さんみたいな娘を何人も見てきたわい。御主が間違うとるとは、決して言えれんて……」
用務員の老人は、腕を組んでふんふんと首肯し、やがて陰鬱な溜め息をついて
振り仰ぐ。
「まぁ、じゃからと言って、儂では学生さん一人をどうこうする事も出来んしのう……。それに貴方さんも、母君に向かって『誓願』なる物を立ててしまったと言うんじゃ。まずはその約束を果たしたうえで、己が処遇を決めるしかあるまい」
予想通りの答えだが、落胆はない。
むしろ、背中を押してもらったような気がして踏ん切りが付いた。
イチカは逆境に負けまいと、拳を強く握り込む。
「やっぱりそうですよね……。登校拒否に訴えたところで、自分の首を絞めるだけですし、在学中、別の高校へ移る手段だってあるんですから」
「フォッフォッフォッ……。学校関係者の前で、こうも不満を口にするとは……。最近の若い者は、なかなかに勇気があるわい」
「あっ、ごめんなさい! 私、別に、この学校を莫迦にする積もりで言ったんじゃ無いんです」
あわてて弁解するイチカに、老人は掌を気さくに振って話を流した。
「否々、そう過剰に反応する事もあるまいて……。それより、行くなら早い方が好い。あんまり先生方を待たすと、印象が悪かろう。学園長室は、目の前の渡り廊下を横切って、職員玄関から二階に上がってすぐ右じゃ。階段先に職員室が見えるから、特に迷うことも無かろう」
裏門の右前方には体育館。
そこから向かい合わせの校舎へ向けて、渡り廊下が南北に走っている。
建物の位置取りを確認したイチカは、スッキリとした表情で用務員に会釈した。
「助けてくれたうえに、相談にまで乗って下さって、本当にありがとうございました」
イチカは軽快にその場を離れるが、急に立ち止まって振り返り、渡り廊下の向こう側から、用務員へと大きく手を振る。
「それじゃあ今度は、ここの生徒として会いに来ま~す!!」
数奇な出会いはさて置いて、別れの礼儀は及第以上だ。
見送る側の老人も満足げな表情で頷き返し、親切心から忠告を叫ぶ。
「うむうむ、達者での……。生徒も教師も、皆、一癖持った変わり者じゃ。油断せんようにな」
イチカは軽く頷き、校舎沿いの道へと振り返る。
校庭西側にあたる左前方、体育倉庫の少し先に、マリーゴールドとパンジーを
植えた細長い花壇。
視線を頭上へ転じると、空は澄み、陽射しの温もりが頬を叩く。
敷地の何処かで、キュイキュイと、独特にして雅な鳥の囀りが聞こえた。
微かに鼻を突く土臭さ。
よく見ると、校庭一面に、擦過傷を防ぐための黄色い砂がうっすらと撒かれていた。
イチカは雅だと思っていますが、実際は、
忍び動物が侵入者の存在を使い手に知らせる鳴き声です。