私という忍び
決着から、ものの十秒。
「獅堂さん……、獅堂さん! しっかりして下さい!」
このえは、身体を揺する乱雑な刺激に目を覚ました。
自分では精一杯早くのつもりだが、ゆっくりと目を開けると、目の前に涙目のイチカの顔が見えた。
このえは初めて、自分が彼女に抱きかかえられているのだと知る。
ほかにも、もう一つ……。
――自分は彼女に負けたのだ。
「まったく乱暴ですわね……。敗者の私になんの積もりですの?」
捨て鉢な感情から、自嘲の笑みと共に刺のある言葉が生まれた。
イチカは、安堵と悲哀に声を枯らして叱責する。
「もうっ! こんな時に何を言ってるんですか。意識がなかったし、もしかしたらって、すっごく心配したんですよ!!」
その傍ら、イチカとは正反対の方向で、天狗どのが事態のあらましを説明する。
「藤森殿の仕掛けた罠に嵌り、貴殿の幻体が暴走して符術が次々に発動。拙僧が起こした突風により、それをムリヤリ吹き飛ばした次第である」
「そう……でしたの」
やっぱり自分は負けたのだ。
原因の一端は自身の未熟さにあるが、戦局を変えたのは、間違いなく彼女の発想にある。
このえは力なくイチカに尋ねた。
「見事なお手並みでしたわ。いったい何時、私の術を見破ったのかしら?」
「ほとんど偶然でした。私、開始直後に二人の敵に囲まれたんですけど、その内の一人が、委員長さんに狙撃されたんです。その時、近くで判定してたのが土御門先生でした」
衰弱したとはいえ、思考はなおも健在であった。
たったそれだけのエピソードで、このえは結論を導きだす。
「なるほど……。逆に言えば、互いの得意科目に応じて、担当教師が現れるという訳ですわね」
「ハイ。今年の新入生は一部の技が使えるせいで、どの先生が近くに居るかで、自然と相手の特技が絞り込めてしまうんです」
二人の話を聞いていた天狗どのは、思わぬ失態に狼狽し、膝立ち姿勢から勢いよく立ち上がった。
「そういう事か! 複数個の忍術持ちなら特定は困難だが、一つ二つの少数ならば、自身の技とは無縁と分かると、相手方の特技を暗示することになる! 済まぬが拙僧、これより、ほかの先生がたに急ぎ伝えて参る。御免っ!」
風に乗って、天狗どのが飛翔する。
周囲に敵の気配はない……。
今日、もしもイチカが負けるような事があれば、彼女はこの街を追われ、二度と話す機会がないだろう。
試験中のワガママとは知りながら、このえは敢えて、イチカの心根深くに忍び込んだ。
「一体いつから、こんなに真剣にくのいちになろうと思ったんですの?」
イチカは無言で夜空を見上げる。
天上には金色の満月に二群れの白雲。
月輪は夜空に真円の軌跡を描き、一人の少女が負った数奇な運命に涙した。
雨も降らさず泣いていた。
「たぶん、ずっと前からです。だって、産まれた時から、実は周りが忍者ばかりで、自分も忍びに憧れてて、姉上も立派で……。それなのに、好きにならない訳がないじゃないですか」
月光が、彼女の相貌を儚く照らす。
イチカの頬が切なく揺れた。
「でも私って、手裏剣もロクに飛ばせないし、授業では教室を爆発させちゃうようなおっちょこちょいだから……。こんなのカッコよくない。なんでも器用にこなせて、しれっと澄ましていられる姉上みたいに私は成れない……」
劣等感が積み重なり、心臓が一度だけ、ドクンと鮮明にリズムを乱す。
イチカは一瞬、他所へと外れかけた視線を、このえの面上へすぐに戻した。
「それに何より、私の意志を無視する強引な転校……。挫折って言うんですか、こういうの? どれも私には、残酷な現実でした」
強がりに微笑んでみせるイチカ。
その顔は、不格好にも土と汗で汚れている。
どこかで聞こえるヒキガエルの合唱。
このえには、慰めと健闘を称える勲の共鳴にも聞こえた。
一瞬、夜空を渡る雲が地上に影を落として、またすぐに晴れる。
イチカの泣き笑いが、金色の光を浴びてキラリと輝いた。
「でも、こうして泥だらけになって気付いたんです。こういった青春もアリかなぁ。こんなくのいちもアリなのかなぁ……って。これがきっと、私という忍び……。泥に塗れて、失敗して、そうやって掴む私の未来」
イチカは笑う。
泥臭さと清き憧れの間に生じる、『愛着』の笑みに瞳が潤む。
「私は…………、くのいちになりたい……」
言われてしまった。
こんな不器用で、優雅さの欠片もない転校生に……。
自分は彼女を笑えない。
腹を立てる資格だって本当はなかった。
幼い頃、封印氏族の末裔として忍びになるとは決めた。
だがそこに、責任感が混ざっていないと、どうして言える?
はたして自分は、彼女のように、心からの意志で修業をしているのだろうか?
(ズルイ女……。こんな強引な生き方で、私の前を征くなんて)
このえは泣き顔めいた笑みを浮かべてイチカに告げる。
「もう行きなさい。水野さんは校舎の中ですわ」
「えっ、希更ちゃんが!?」
「さっき、窓の向こうに見えましたもの。鍵が開いてるのは、昇降口だけの規定ですわ」
「そっかぁ……。希更ちゃん、プールじゃなかったんだぁ」
肩へと回されていた腕が離れ、草臥れた身体がゆっくりと地面に横たわる。
いつから抵抗を感じるようになったのか。
久方振りに感じる土の感触。
死ぬ時は、こんな風に人と大地に抱かれるのも悪くはない。
このえは心静かにそう思った。
早速イチカは昇降口へと向かおうとするが、何を思ったか、急に踵を返す。
「あっ、そうだ♪ 今、思い付いたんですけど……。獅堂さんに、お願いしたい事があるんです」
なにか、途方もない悪事を考え付いたような笑みだ。
このえは疲労と困惑に、乾いた溜め息をつく。
「私に? すでに死亡判定ですのよ」
「だからこそですよ。私、これから地雷を練習用の空砲状態に切り替えて、外から見える場所に設置します。獅堂さんは、私がそこまで運んだって設定で、その上に寝転がってて下さい」
それを仲間が助け起こせばどうなるか。
イチカの悪どい発想を見抜いて、このえの顔が引き攣る。
「藤森さん。あなた、意外と悪辣ですわね……」
・忍ヶ丘北部
中央政府は利用できる、と考える革新派の多い地域。
広大な田園地帯と水源を持ち、忍ヶ丘の胃袋を支える一方、秩父山岳に居を構え、一般祭祀を司る近宮家に、懲罰や警備部門を担う『守り部』の獅堂家、忍ヶ丘に近代文明をもたらした老獪、緋群一刀が属しており、忍ヶ丘の実務を一手に引き受けている。
権力の一極集中を防ぐため、重要祭祀や里の大まかな方針決定から外されることも多く、忍ヶ丘の実権を握る五部紫彩と臥龍仁斎を苦々しく思ってる節がある。
なお、近宮神宮の鳥居前は9時~17時が狛犬だが、それ以外の時間はキツネ。たまにシーサーとなる。(狛犬かキツネが休暇を取ったとき)
特に、シーサーに代わった瞬間を目撃した者は、幸せになれるという都市伝説がある。




