転校生を捕らえろ
地図によると、家から学園までは、自転車でおよそ5分の近い距離にある。
荒い砕石の駐車場を抜け、アパートの多い生活道を右折すると、横断歩道の向かいにクリーニング屋と文房具店が見える。
イチカは両者の間をまっすぐ突っ切り、ロープで仕切られた雑木林に沿って直進する。
やがて、十字路の左前方に緑のフェンスと体育館が見えた。
目の前の交差点を左に曲がって、フェンス伝いに道を進むと、目的地の裏門に辿り着く。
「ここが、これから私が通う忍術学園……」
忍ヶ丘くのいち忍術学園。
密教で用いられる早九字に肖り、臨・兵・闘組を一年生に、者・皆・陣組を二年生に、烈・在・前組を三年生とする、総生徒数270名の忍術指南校である。
校舎は木造三階建て。
上空から見るとYの字型に見える施設は、内部が旧来の日本建築を踏襲しており、抜刀や上段構えなどの長物対策として、各階層が低めに造られている。
校舎の外、敷地北西には、実戦訓練用の森林地帯と職員寮が建ち、南にはプールと体育館。それに付随して、忍犬・忍鳩といった忍動物の一時保護や、調教目的の飼育小屋がある。
これら実用主義の設備とは対照的に、敷地北東の正門から校庭南端にかけて、ジャングルジム、鉄棒、回旋塔といった遊具が並ぶ様子は、いささか子供染みた印象が否めない。
今時、そんな物で遊ぶ高校生など居ないだろう。
校内融和を図るオブジェだとすれば、あまりにも斬新な策だ。
人間心理を穿ちすぎて、物事が筒抜けに貫通しそうなくらい奇抜である。
半瞬の後、イチカはふと我に返って前へと踏み出す。
「えっと。まずは駐輪場は……っと」
自転車を駐めようと無警戒に裏門を抜けると、いきなり足首にロープが絡まり、『カラン×3!』と、木の板がぶつかり合う音に囲まれる。
「へっ!? なにコレ、なんの音ぉ~!?」
音の正体は鳴子。
乾き板を縄で繋いだ警報装置である。
忍び好きのイチカだって鳴子くらいは知っているが、まさかそれが、日常生活と地続きの空間に仕掛けられてるとは思わない。
鈍くさい自分と違って、姉なら苦もなく避けられただろう。
イチカは自転車を横倒しに、ワタワタとたたらを踏んで転倒を免れる。
すると其処へ、イチカの体勢が回復する前に、何者かの鋭い号令が走った。
「今だ、転校生を捕らえろー!!」
飛び出したのは5つの影。
右前方、体育館から出て来たのは、身長差の激しい凸凹コンビ。
一人は大太刀を背中に差した、グラマラスな肢体の日焼け少女。
膝丈にカットされた藤色の着物は、金色の刺繍が燃えるように鮮やかで、5人の中で一際攻撃的な存在感を放っている。
その隣りに並ぶのは、身長150㎝くらいの小柄な少女。
ニヒッと悪戯好きな表情に、大腿部にモモンガみたいな滑空布を格納した、特徴的な忍者服。
よほど変わった性格なのか、使用武器は鎖鎌。
最長15メートルは有ろう細い鎖を、腰裏と背中で輪っかに束ねている。
対して、反対側の森林地区からは三人。
先頭、眼鏡を掛けた怜悧な顔立ちの少女は、忍びとしては標準的な黒装束を、
忍具携行用の革ベルトと隠れ蓑のマントで装飾している。
その横に、長身スレンダーで健康的な美女が立つ。
蒼空を想わせる爽快な笑みに、服の下からでも分かる躍動感あふれる肢体。
誰よりも武装が少なく、拳骨部分に楕円形の金属 ― 拳骨平金を埋め込んだ革グローブと手甲、そして圧砕脚甲と呼ばれる軽合金の脛当てのみ。
直毛の艶やかなセミロングが、身体の動きに合わせて典雅に靡いている。
最後に二人の後ろ、水色の着物に黒い帯を締めた病弱そうな少女。
その肌は、白く壊れそうなくらいに色素が薄い。
長い黒髪と細い眉に、小作りな目鼻立ち。
そして何より、清潔感と引き替えの儚さが、見る者の不安を掻き立てる。
裏門を通り過ぎた直後、いきなりくのいち5人から襲撃を受けたイチカは、身構えることはおろか心構えすらロクに出来ず、無抵抗のまま、近くの樹へと逆さ吊りにされてしまう。
「ちょ~っと~! いきなり何なんですかぁ~。は~な~し~て~!!」
ジタバタと藻掻くイチカの頭上、自分を生け捕りにした五人が、銘々、勝手な
批評を加える。
まず最初に口を開いたのは、野良猫を思わせる『飛び忍』の少女であった。
「あ~あ……。こんな簡単な縄抜けも出来ないなんて、期待外れも良い所だよ」
両手を後頭部に組んで、ひどく失望した声で呟くと、その横から、褐色肌の戦闘忍者が、変梃な語尾で口を挟んだ。
「それを言うなら、その前に、真っ正直に鳴子に引っ掛かった所だわさ。中途編入と聞くから、一体どんな猛者が来るかと思えば、まさか只のちんちくりんだとは……」
辛口発言の黄色ツインテールに続き、長身の軽装忍者が、爽やかに笑い飛ばした。
「アッハハ……! 言うねえ、ホムラも。でも、なかなかイイ顔してるじゃないか。どっちかって言うと、アタシ好みに近いかな?」
すると今度は、五人の中で最も堅物そうな眼鏡の忍者が、直前の浮付いた発言を窘める。
「あきえ……。今は、あなたの趣味とは関係ないでしょ。好みから離れなさい」
最後に、小太刀を差した細腕の少女が、イチカの全身を舐めるように観察し、それから、自身の胸に手を当ててボソリと呟いた。
「クッ。負けた……」
五人は自分勝手に一喜一憂するだけで、いつまで経っても、助け出そうと動かない。
イチカの反応が、眉の痙攣から憤怒の形相へと変化する。
「勝ち負けとか期待とか、そんなのどうでも好いですから、今すぐこの縄を解いて下さい! 私をこんな目に遭わせて、いったい何が目的なんですか!」
身体を左右に揺らして当然の権利を主張すると、リーダー格の眼鏡忍者が、同情もへったくれも無い声で前に出る。
「目的はただ一つ。本日付けでウチに転校して来る貴方の実力を、この眼で見極める事よ」
逆さ吊りのせいで、視界が今イチ安定しない。
イチカは振り子運動を極力抑えて、物騒なことを口走る黒服忍者に視線を定める。
「それで、こんな風に道行く人を捕縛するなんて、非常識にも程があります! いったい誰なんですか、貴方は!」
すると少女は、眼鏡の弦をクイッと正して自己紹介を始める。
「私? 私は一年臨組の委員長、坂本愛里よ。さっきも言った通り、委員長として、転校生の実力を計りに来たのだけれど、なにか問題でもあるのかしら?」
あります! と一言文句を入れたかったが、イチカがそうするより早く、愛里の横から、長身の格闘忍者が愛想よく話しかけてきた。
「やっ♪ アタシは、此処にいる愛里の幼馴染みで、金岡あきえってんだ。ヨロシクね♪」
中指と人差し指を立てて、カッコよくポーズを決める金岡あきえ。
彼女の服装を改めて観察したイチカは、忍ヶ丘特有の存在を初めて実感して、さっきまでの怒りを、綺麗サッパリ忘れてしまう。
「あっ、忍者服! ってことは……。忍者って、本当にこの街に居たんだぁ」
ぼけーっとイチカが感心していると、忍びの割にはやたらと目立つ戦闘衣の剣豪娘が、頭上の捕縛者を呆れ顔で見上げた。
「なにを素っ惚けたこと言ってるだわさ。普通、この街に来て学園に入ろうとするヤツが、それを知らない訳が無いっしょ……」
ボヤきに繋げて親指で自身を指差し、ムスッと不機嫌そうな口調で名乗る。
「あちしの名前は焰薙華隠。弱い奴は御断りの戦闘忍者だわさ。ちなみに今の二人が、練丹術の使い手と格闘忍者の氣術使いで、こっちが……」
態度の割には面倒見が良いのか、進んで全員の紹介をしようとする華隠。
その言葉を遮る形で、鎖鎌の飛び忍少女が、一方的に質問をぶつけた。
「ボクの名前は柳沼理乃だよ。ねえねえ、君ってさ、この街の外から来たんだよね?」
ああっ、違いますよ!
愛里は、ちゃんとした娘なんです。
ただちょっと、変な癖とかがあるだけなんです。