竜虎の秘技
希更は相手を蹴り落としざま、霊術の緊急行使で、足場代わりの水柱を再び生み出す。
「今です、藤森さん。飛んで!」
簡潔だが無理な注文に、忍術無能者のイチカが、地上で声を張り上げる。
「飛んでって言われても、私、そんなに高くなんて無理ですよ~!!」
希更が水柱の上で印を結ぶと、イチカの足下に池の水がまとわり付いて、渦を巻いた。
「これは……。水虎先生の技とソックリだ!」
すかさず五部学長が、強い口調でイチカに命じる。
「敵の体勢が乱れた今こそ好機。友を信じ、臥龍先生に一太刀入れるのです」
――友を信じよ。
その一言がイチカの胸を強く打ち、膝を大きく曲げて、垂直跳びと同時に呼びかける。
「希更ちゃん、お願いします!」
希更はイチカの跳躍を感じ取ると、短く印を結んで霊術を発動させた。
「遡流・水柱尖!」
重力を振り切って上昇するイチカの身体が、地上から吹き上がる水柱によって
加速する。
急速に迫りくる弟子の姿に、空中を緩やかに舞う朧月が青ざめた。
「うっわ~! ヤバイヤバイヤバイ!!」
上昇を続けるイチカは、斬空刀を抜いたままだ。
激しい空気抵抗の中、逆手状態の右手に左手を添え、斬空刀の柄を押し上げるように逆風へと抗う。
凄まじい風速で、空気の塊が顔面に絶えずぶつかり、目が開けられない。
「師匠、今度こそ頂きます!」
「ちっくしょ~う! こうなりゃヤケだ!」
やがて、二人の身体が空中で交錯した。
腕に強い制動が掛かり、柄を支える拳が胸に衝突する。
イチカの斬撃が当たったのだ。
達成感が、胸に走る鈍痛を凌駕する。
「決まった!! 確かな手応えっ♪」
だが、その喜びも長くは続かなかった。
感動を声に表すや否や、イチカの身体は未知の引力に捕らわれて、刀に吸い寄せられるように、姿勢が時計回りに反転する。
上昇運動の一部が、斬空刀を中心に、回転運動へと置き換わっているのだ。
「うええぇぇ! なんで、なんでぇ!?」
イチカが不思議そうに叫ぶと、顔のすぐ近くから、踏ん張り声で反論があった。
「なんでって、そりゃ御前……。俺が両手で、刀を抑えてるからに決まってんだろ!」
目を開けると、朧月が、両手の間に斬空刀をガッチリとかしめ取っていた。
「真剣白刃取りぃ!? だったらこのまま、地面に叩き付けて……」
イチカが苦し紛れに空中で上位を保とうとするのを、朧月があわてて制止する。
「ちょっ、待った待った……。俺の負けだって。降参だ! 少しは落ち付けっての!」
意外な一言を聞いて、イチカが呆けた顔で全身の力を抜いた。
「へっ、降参?」
「そうだよ。てか、んなこと気にしてる場合じゃねぇ。このままじゃ転落死すんぞ!」
フッと視線を下に移すと、二人の身体は白刃取りの影響でわずかに高度を上げるが、現在は静止状態に移っており、じきに落下運動へと切り替わる兆しを見せていた。
「これって希更ちゃんが、さっきの技で安全に降ろしてくれるんじゃないんですか!!」
「ムチャ言うな! 下忍が四回も連続で霊術を使ってるんだぞ。……仕方ねぇ。五部学長、なんとかしてくれ!」
すると、滝上で緑茶を啜っていた五部学長が、そのままの姿勢で平然と返す。
「心配無用。元よりその積もりです……」
ゴソゴソと袖の下を片手で爪繰り、長い帯を前方へと勢いよく投げ延ばす。
「暗器・空旋帯!」
単なる帯を暗器に見立て、陽忍術で空を渡る布の行進。
その柔らかな道は、不平等院鳳凰堂の母屋に絡まり、空中に居る二人の足下をしっかりと支える。
五部学長の皆伝奥義の一つ、万物を武具へとなぞらえる暗器術、『万咢偸』である。
「助かった。こういった技は、やっぱ学園長でないとな……」
「そんなことより、希更ちゃんが!」
イチカの叫びで頭上を見ると、希更は意識を保ったまま、全身を重力に預けている。
「ありゃあ、術の使い過ぎだな……。うっし。あれぐらいの高さなら、俺でも行ける!」
朧月と希更。彼我の高度は、今にも水平になろうとしている。
朧月は氣術を用いた強烈な踏み込みで、帯から宙へと、希更のもとへ跳躍する。
「水野ぉぉぉ!! 俺の手に掴まれー」
若き剣士の呼び声を聞いて、自由落下の希更が力を取り戻した。
「龍様が……、私に!? も、勿論です!」
なぜか、急に熱っぽい目で手を伸ばす希更。
意外に元気なモンだわい……と思いながらも、朧月は希更を抱き締めて、着地体勢を整える。
「いいか、絶対に俺を離すなよ!」
「はい……」
なにやら意味深な内容に脳内変換されているのか、希更ははにかんだ空気で短く答えた。
様子のおかしい生徒に構わず、朧月が、氣術・霊術・神通力の合成技で、落下の勢いを強引に緩和させる。
「秘剣・空裂斬波ぁ!」
朧月は片手で希更を支え、もう片方の手で逆手に抜刀。
斜め下へと強烈な衝撃波を放ち、落下速度を削いでから、ズムンと両足で地面を噛む。
「ぐお~ぅ……。脚、痛てえぇぇぇ」
足裏から膝・腰・頭上へ掛けて、鈍い圧力が全身の骨を順番に押し固める。
先に地上へ降りたイチカは、二人の許へと小走りに駆け寄り、青白い顔の親友を労る。
「お疲れさまです、希更ちゃん。大丈夫ですか? ずいぶん消耗してるみたいですけど」
ゆっくりと地面に降ろされた希更が、芯の太い横髪を解れさせて、力なく微笑み返す。
「ええ、なんとか……。少し休めば、すぐに良くなるわ」
同じく若返った仁斎も、気怠そうに肩を落として弱音を吐いた。
「あぁ~……。流石に俺も草臥れた。そろそろ元に戻るとすっかな」
「えっ……。元に戻るって、あの御年寄りの姿にですか?」
希更が名残惜しそうに呟くと、音もなく近くへ現れた五部学長が理由を説明する。
「身体活殺の法は、無限の命を許す陰忍術と違って、日頃の無理を省くことで得られる延命術のようなもの。短時間ならともかく、長時間での使用は、いたずらに
寿命を削る事になります」
陽忍術の真髄がサラリと語られるが、二人の意識には引っ掛からない。
学園長の解説をBGMに、イチカと希更は、朧月の老化現象へと釘付けになる。
「うわあぁぁ……。師匠がドンドン年を取っていく」
「ああっ、私の龍様……」
またもや変な呼び名を織り交ぜて、希更が酷くしょぼくれる。
若返りとはまったく逆で、朧月が静かに息を吐く度にゆっくりと身体は萎み、
腰は曲がって、前傾姿勢へと戻ってゆく。
やがて老化が滞りなく済むと、仁斎は、本来の好々爺口調で反省を述べた。
「やれやれ……。まさか儂が、斯様に追いつめられるとは思わなんだ。これでは他の者に示しが付かん。少しは忍び対策をせにゃならんわい」
・五部紫彩(彩)[2]
初代校長・九鬼照禅のもと、戦闘教官として生徒を指導する傍ら、重要忍務を次々とこなす忍ヶ丘の最重要人物。
移動の際は、忍び動物である巨大猫・マクラに乗ることが多く、その姿は子供たちから非常に評判が良かった。また、そのフワッフワの毛並みに埋もれてうたた寝をする様子も稀に目撃されている事から、本来は呑気な性格であった。
のちに、九鬼照禅より潜在能力を活性化させる術・忍術伝法の儀を習得すると、
2代目校長に就任して、忍務の多くを守り部に託す。
仁斎とは真逆で、多くの技を習得しており、万物を武具に見立てる陽忍術・万咢偸は、そのうちの1つに過ぎない。




