不平等院鳳凰堂
両者の背景で停滞していた時間が、再び動きだす。
臥龍仁斎が、快戦を祝う矍鑠とした笑みを鳴らした。
「カッカッカッ! 俄か、ライバルが大量出現じゃのぅ」
いっぽう希更は、不安の相貌を思案のポーズで支えて、クラスメイトの動きを
予測する。
「こうなった以上、藤森さんにだけではなく、私の所にまで、邪魔者の手が及ぶと考えるべきね」
昂揚から一転、二人の声で冷静になったイチカは、後悔から忍者服の裾を握り締める。
「ごめんなさい、希更ちゃん。私が不用意に、師匠のことをバラしたりしたから……」
すると、希更が慰めの言葉を掛けるより早く、仁斎が腹の底を呑気にぶちまける。
「なぁに、藤森さんが気に病むことはない。元よりこの四週間目は、儂がみっちり、稽古を付けてやる積もりだったんじゃからの」
仁斎はそのままの調子で、イチカの不安を言い当てる。
「それと言うのも藤森さんや、そろそろ特訓内容に、焦りを感じとりゃせんかな?」
「あっ、はい。さっきも希更ちゃんと、実戦経験の物足りなさを相談してた所なんです」
「ウム。よくぞ其処に気が付いた。実戦では敵は絶えず動き、攻撃を仕掛けてくる。とっさの対応力を磨くためにも、動きに防御と回避を混ぜた対人戦を積むしかあるまい」
訓練方針を明確にすると、仁斎はやおら、金剛先生へと向き直る。
「時に金剛先生や。水野さんの訓練も、そろそろ大詰めを迎えとりゃせんかな?」
二人の間に、なにか特別な関係でもあるのだろうか。
金剛先生は姿勢を正すと、謹直過剰な言動で答える。
「はい、仁斎様。戦闘訓練に忍具の扱い。それと、霊術制御に加え、急場凌ぎではありますが、意識的な陽忍術の隠密抑制を少々……。残すは、本格的な対人訓練のみとなっております」
「ほほぅ。そりゃまた、実に都合が宜しいわい……。さすれば藤森さんと同様、そちらの水野さんも、儂の所に預けてはくれんかな?」
思いがけない提案に、金剛先生の表情がスッキリと晴れ渡る。
「それは願ってもない事! これで私も心置きなく、他の生徒からの訓練要請に
応えられます」
澄み切った応答から一転、金剛先生は、片手を口元に当てて不安を訴える。
「……とはいえ、生徒たちが一斉に訓練場に現れるとなると、秘密特訓の効果が薄れますからな。はたして二人は、それで優位に立てるのでありましょうか?」
すると仁斎は、金剛先生の不安に迷いなく返す。
「なぁに、訓練場所ならいくらでもあるわい。しかも、この学園のすぐ近くでの……」
金剛先生が、肩を反らして息を飲む。
「まさか……。『不』平等院鳳凰堂を使うお積もりですか!?」
不平等院鳳凰堂。
その場所に秘められた誇大妄想的な来歴を、希更が声を潜めて語る。
「不平等院鳳凰堂……。人類は皆、産まれた時から不平等。その身も蓋もない真理を象徴に、場内で待ち受ける幾多の罠や刺客を退けることで、如何なる逆境にも打ち勝つ力を得るという、忍ヶ丘に存在する霊場の一つ」
仁斎は、希更の紹介へ厳かに頷き、その利用条件を付け加える。
「確かに彼の地は、中忍以上だけが立ち入りを許された難所じゃが、引率者がこの儂で、生徒も少人数。さらには、午後の特訓授業で庭先だけを修業場とするならば、話は別じゃろう」
金剛先生は胸の前で腕を組み、眉を寄せて思案する。
「利用者は上級生ばかりで、特訓の邪魔になる事も皆無……。分かりました。鳳凰堂の件は、私からも学園長にお願いして置きますので、水野希更のこと、よろしくお願い致します」
現れた時とは違い、金剛先生は『ピシャ!』とするどい動きで姿を消した。
試しにイチカは、神経を尖らせて気配を追うが、その痕跡は欠片も読み取れなかった。
やがてイチカは師匠の方へと注意を戻して、気掛かりな点を尋ねる。
「あの、師匠……。これから私達は、一体どんな修業を受けるんですか?」
「ふむ……。それについては、現地に向かいながら説明するとしよう」
イチカと希更は、仁斎の後ろに続いて裏門前を左へ曲がり、最初の十字路をまた左に折れて、車一台分の狭い路地を直進する。
密林の脇を通る道すがら、仁斎の口が休みなく言葉を紡いだ。
「お主たちは既に、一学期までに履修すべき内容を一通り学んでおる。しかし、
今回の試験方法を考えると、それら個々の技を磨いただけでは、充分な実力を身に付けたとは言えん」
なおも、仁斎の漫ろ歩きと講釈は続いた。
「そもそも、今回の試験が対決方式となったのは、今年の一年生が皆、異常なまでに単一忍術に秀でたため、複合的な技の扱い方を審査しなければ、適正な評価ができない点にある」
仁斎の説明を手掛かりに、イチカと希更が、通常審査の問題点を挙げる。
「そっか……。みんなが試験で、得意忍術ばかりを披露すれば、成績評価はグッと上がる」
「それなのに、試験で使わなかった他の技が、実はまったく修練できてなかったとしたら、実際の能力は、試験で推定されたものよりも、ずっと下ってことになるものね……」
「うむ。対人戦では一つの技のキレよりも、技と技との組み合わせこそが重要なのじゃ。二人一組ならば、さらには味方との連携も審査することができる」
右手の土塀に沿って歩くこと数分、三人は巨大な門の前で立ち止まった。
一見、時代劇でよく目にする立派な家屋敷の門構え。
その上部に横掛けされた杉板には、『不平等院鳳凰堂』と、堂々たる墨文字で書き抜かれていた。
錆びた乳鋲で頑丈に繋ぎ止められた門扉。
その横に立て掛けられた高札には、中へ入るに当たり、様々な注意事項が綴られている。
しかもその末尾は、いずれも世の酷薄無情さを物語るように、『死して屍拾う者なし』と冷徹に結ばれていた。
不吉な文言を連ねる和紙を見て、イチカと希更が『ゴクリ……』と喉を鳴らす。
先頭の仁斎は、弟子たちが怖じ気付くのを気に掛けて、普段の飄々とした空気で述べた。
「そう固くなるでない。儂の後について来れば、な~んも危ない事なんぞありゃせんよ」
古めかしい軋み音を立てて扉が開かれる。
門の先に広がっていたのは、見通しの良い和風庭園であった。
視界の向こうに大きな茅葺き屋根の日本家屋があり、そこへ向けて、足下に飛び飛びの敷石が地面に埋まり、道行きを風雅に案内する。
広い座敷を有するであろう母屋から離れて右に、松が数本、玉砂利の間に間に
幹を伸ばし、その奥に水面の澄んだ池と小さな滝が見える。
視線を右前方から左側へ移すと、まるで城壁に囲まれた都市のように、土塀の
内側が視界の先まで延々と続き、本殿、僧坊、そのほか国宝遺産に指定されそうな、木造の立派な道場や蔵が並んでいた。
イチカは勿論、名家の令嬢である希更ですら声を失い、仁斎の後ろを大人しく続く。
先ほど、視界の先に捉えた池の畔にやって来た。
左側へ離れた位置に、木製・藁製の戦人形や手裏剣の投擲場があり、池から
一定範囲の足下は、訓練用に玉石が疎らに取り除けられていた。
やがて、池の前で立ち止まった仁斎は、ゆっくりと振り向いて、訓練計画を説明する。
「これから6日間、二人一組で修業を行う。特訓内容は、2日区切りの三段階。
月曜火曜は、戦人形を相手に、剣術と忍具を一戦闘中に適宜入れ替え、やがては一つの連続技へと昇華させる。次の水曜木曜は本番を想定し、御主ら二人に、一対一の模擬戦をしてもらう」
「ええっ!? 私と希更ちゃんが戦うんですか?」
「然様。戦いには複数の技を連携させ、攻めの姿勢に重点を置いた訓練をしてもらう。ちと荒っぽい内容じゃが、それで動く敵を相手とした連続技の実践としよう」
「では臥龍先生、金曜日と土曜日は、どうなさる御積もりですか?」
二人の実力差を考慮して、仁斎は大まかな予定を組み立てる。
「詳しくは、特訓の成果を見てから決めようと思うが、日曜日を休息とすると、
土曜日には、忍具の点検と軽い自主訓練を行う。消去法で言えば、金曜日が特訓の総仕上げとなろう……。まず本日は、戦人形を相手に、連続技の手応えを掴むのじゃ。二人とも、準備は良いな?」
「ハイ!」 & 「承知!」
「ウム、いい返事じゃ。ならば早速、連続技の練習に取り掛かるぞ!」
こうして本番を想定した、厳しい特訓が始まった。
・金剛先生
中東諸国を転戦していた元傭兵。現代戦や外国事情に詳しいことから忍ヶ丘で高い評価を受け、臥龍仁斎の直弟子として鍛えられる。
忍術皆伝の腕前ながらも急拵えの実情を理解しており、得意技を持たないことから戦術眼を磨く。
集団戦では全体的な思考と用心深さに優れ、補給線と情報連携を常に意識して拠点を守る。自身の戦闘力も手伝ってか、敵の遊撃隊を除いて、陰忍や盗掘者の一団に拠点を抜かれたことがない。
情に厚く、涙もろい性格。




