答えなど決まっている
不意を突いた出現に、その場の8人が、一斉に肝を冷やす。
中でもイチカの驚きは格別だったが、ここ3週間で見慣れた存在だけに、硬直から抜け出すのも一番早かった。
「あっ、師匠! いつの間に、金剛先生の後ろに居たんですか!?」
イチカの疑問はもっともだが、希更たちにとっては、イチカの発言の方がはるかに重大である。
「えっ!? もしかしてその人が、藤森さんの言ってた師匠なの!!」
希更の驚きが、なんとなく師匠の偉大さに思えて誇らしい。
イチカは照れくさそうに微笑むと、掌を上に向けて、指導教官の素性を簡単に明かした。
「エヘヘ……。そう言えば、希更ちゃんにも紹介がまだでしたね。この白髪丁髷をした用務員のお爺さんが、私の師匠なんですよ」
「フォッフォッフォッフォッ…………」
言葉の終わりに、仁斎は白い顎髭を撫でつつ、超然とした笑みを浮かべた。
それに対して戦術顧問の金剛先生は、イチカのぞんざいな説明を聞いて、荒波のような動揺を顔に表す。
「こ、コラ、藤森! この人……。否、この御方を用務員だなんて、なんと失礼なことを!」
「へっ? 以前、鋏を持って裏庭の整備をしてたみたいですし、違うんですか?」
驚愕続きで『震えるメガネ』と化した愛里が、青ざめた顔で呟く。
「藤森さん……。あなた、普段から職員室でなにを見ているの?」
これは明らかに失言であった。
ついさっき彼女自身が口にしたように、本来ならばイチカの如き凡人では、上級忍者の姿を目にすることなど不可能である。
愛里に続けて、あきえと華隠が息苦しく叫ぶ。
「っていうか、イチカの師匠!?」
「つまりはこのオジジに、イチカは普段から特訓を受けてるって事だわさか!?」
「えっ? えっ!? 否、まぁ、単位はほとんど貰えませんけど、教え方がすごく上手で、ちゃんと忍びの技も教えてもらってますし……。なにか問題でもあるんですか?」
金剛先生は、イチカの不遜な言葉の数々に目眩を感じながらも、相手の正体を
告げる。
「藤森。この方は、お前が考えてるような人物ではない。臥龍先生は、かつては『朧月の剣鬼』と畏れられた、忍ヶ丘でも有数の陽忍術の使い手。そして……、お前たちの学年主任だ!!!」
「でぇぇぇええ!? 師匠が、私たちの学年主任~!?」
イチカの盛大な驚きに、『学年主任』の仁斎が、茶目っ気タップリに大笑する。
「かっかっかっ!! 嘘は教えとらんよ。担当授業はないゆえ、活躍単位は与えてやれんし、剣豪じゃから忍びの端くれでしかなく、皆、儂のことを『先生』と呼んどったじゃろ?」
嘘ではなくとも、騙された感じが凄く強い。
イチカは悔しそうに、仁斎の評判を振り返った。
「そういえば東雲先生も、師匠が実はすごい人なんだって、言ってた気がする……」
心当たりを口にすると、理乃が突然、腹部にしがみ付いてくる。
「イチカの裏切り者ぉ~!!」
「裏切り者だなんて……。私、そんな積もりじゃありません!」
心外さを感じて反論するが、理乃は仁斎を指差して、涙ながらに訴える。
「だってこのお爺ちゃん、学園長が現役引退したせいで、実質、『忍ヶ丘最強』の忍者なんだよ!」
「忍ヶ丘最強!? そんな無茶苦茶な!!」
驚きに歪んだイチカの顔が、動揺を通り越して悲愴感すら漂わせる。
イチカの右前方、裏門前の土道と芝生を隔てる縁石近くで固まっていたこのえが、せっかく自信ありげに踏み出した足を、危機感から一歩退かせた。
「いいえ、すべて本当のことです。私も以前、石川先生に聞いた事がありますもの。同じ剣豪でも、石川先生がどうしても勝てなかった相手。それが、朧月の剣鬼だと……」
俄かに沸き立つ不安から、華隠があわてて仲間に呼びかける。
「こいつはヤバイ! みんな、早く霊場に散って、イチカの特訓を妨害するだわさ!」
「妨害って、そんなぁ……! 皆さんも、私と一緒に訓練を受ければ良いじゃないですか」
「シャラップ! オジジとの修業に加えて、特訓技まで盗み見られちゃ、実力の差は縮まるばかり。断固、お断りだわさ!!」
忍ヶ丘に外敵が侵入した際、各クラスの小隊長は、委員長が務める事になっている。
集団戦での慣例に従って、坂本愛里が鋭い声で散開を命じた。
「各自、とりあえずは得意科目に散って! 伝造先生たちの所には、あとで他の人を回すわ」
「合っ点!」 & 「オッケー♪」 & 「了!」
愛里の号令で、華隠、あきえ、理乃が一瞬で姿を消して、各教科の特訓妨害へと動く。
そんな中、獅堂このえが唯一人、芝生の上に残った。
イチカは、希更以外にも味方を見付けたような気がして、安堵の声で呼びかける。
「良かったぁ……。どこにも行かないって事は、獅堂さんは、私の特訓を邪魔しないんですね」
イチカが親愛の笑みを向けると、このえは一瞬、ニコリと返した。
「ええ、勿論です。そのような無粋な真似、私は好みませんもの……」
しかし、言い終えてすぐ、このえは背筋がゾクリとするような笑みで腕を組み、芯の太い声で宣言する。
「ですが、以前にも教えた通り、私は封印氏族の末裔にして、忍ヶ丘の平穏を司る『守り部』の一員です。忍びの道を志すと言うのなら、その覚悟と実力、試させて頂きます!」
「試すって、どうする積もりですか?」
「簡単なこと……。今度の進級試験、あなたとの直接対決で、修業の成果を見極めます!」
「そんな……。直接対決なんて、どうやって!」
「心配には及びません。なにやら時村教頭が画策しているようですし、彼を焚き付ければ、組み合わせの調節くらい造作もありません。もちろん、不正のない形で……ですけど」
こちらには、希更の将来が懸かっているのだ。
実力試しの場が期末試験になるのは都合が悪い。
イチカは、このえに一歩近付くと、意志の揺らいだ瞳で語りかける。
「腕試しなら、いつか別の時でも良いじゃないですか。それに私、獅堂さんを友達だと思ってたのに……。こんな時、獅堂さんは協力してくれないんですか?」
このえは暫し、相手の懇願に心を痛めて俯くが、やがてすぐに覚悟を決めて、
イチカを真摯に見つめる。
「そのいつかとやらで、あなたは本当に全力が出せますの? 戦って、負けても
平気な事情があって、それを覚悟と言えますの?」
「それは…………」
すぐには言葉が出て来ない。
当たり前だ。
自分は、友情に媚びたのだから……。
顔を落として沈黙を続けるイチカへ向けて、このえはゆっくりと本音を吐き出す。
「私もきっと、内心では、あなたに苛ついてたんだと思います。だって、忍びの
秘術を伝えるこの街に来て『忍びを辞めたい』だなんて、馬鹿にしてるとしか思えませんもの……」
こちらも返す言葉がなかった。
人生を覆される戸惑いと反抗心とは別に、真剣に修練を積み重ねるクラスメイトに対して、自分は敬虔さに欠けていた。
このえが憤るのも当然である。
「それでも…………」
ほんの僅かな戸惑いのあと、このえは、心の奥底にある想いを明かす。
「あなたが真面目に修業をしてると知って、今ではホッとしてますの」
「えっ……?」
俯いた顔を上げると、このえは何かの呪縛から解放されたように、澄み切った
表情をしていた。
「以前、街を案内した時に、私がこう言ったのを憶えているかしら? 今の道を諦める必要はない。修業を続けて行くうちに、なにか見えて来るものがある……と言ったのを」
イチカは暫し口を噤んで、
「ハイ……」
と短く答えると、このえは、切なさと共に微笑んだ。
「アレ、どう考えても苦し紛れですもの。それでも…………、間違いではなかった」
安堵の表情に変わりゆく姿に、イチカは、このえの本心に初めて触れた気がした。
迷い苦しんでいたのは、自分だけではない。
あの日、当たり障りのない事しか言えなかった、彼女自身もなのだ。
このえは、返ってくる言葉を承知したうえで穏やかに問う。
「真剣にくのいちになると決めて、私を友達だと想っているのなら、本気でぶつかるしかないでしょう? それでも貴方は、友達を理由に、私に手加減をせびりますの?」
このえはすでに、自分の為すべき事を決めている。
ならば、イチカはどうか?
答えなど、たった一つに決まってる。
――イチカは、他人の情けで生きて行く事など耐えられなかった!!
決意の堅さが拳に宿り、固く引き結ばれた唇が、使命感をもって開かれる。
「そうですね…………。分かりました! 不肖、この藤森イチカ。試験の際には
粉骨砕身の覚悟で臨み、必ずや、獅堂さんに打ち勝って見せます!」
藤森家・誓願が打ち立てられた。
この誓いは、決して破られる事はない!!
全身全霊の決意を受け止め、このえは颯爽とその場を離れる。
口角に浮かぶ愉悦の笑みが、決戦への期待で小刻みに震えていた。
・陽忍集団『五部』
紫水晶の独占に失敗した幕府が、天海衆の敵意を逸らし、あわよくば彼らを撃退させるために組織した対・異能精鋭部隊。最初は確かな名前すらなく、異能力を持たない剣客や忍の寄せ集めでしかなかった。
戦闘忍者の彩。江戸から京を股にかけて旅する無頼の剣客・朧月。
頭に手ぬぐいを巻いた格闘家・石飛。舶来メイドの暗殺者・獅堂。
そして、彼らに初めて異能力を伝え、すぐに命を落としてしまった近宮祈。
この5人を始めとすることから、陽忍集団『五部』を名乗る。




