発覚
それから二日後の月曜日、テスト前の『最後の一週間』が始まった。
この時期になると、学園全体の雰囲気が、なんとなく色めき立っている。
特に、試験が一番早い1年生は尚更だ。
所によっては試験当日を待たず、今にも戦いが激発しかねない空気ではあったが、裏門から左、校舎西の一角にある裏庭は、物々しい雰囲気とはまったくの無縁であった。
午前の必修授業を終えたイチカと希更は、ゆったりとした昼食の時間を過ごして、食休みに互いの近況を取り交わす。
「それで藤森さん、特訓の成果はどうなんですか?」
イチカは紺色のリュックに弁当箱を詰めながら、自信の笑みを小さく浮かべた。
「そうですねぇ……。私が思うに、だいぶ順調だと思いますよ。ただ、少し贅沢を言えば、実戦経験が少ないせいで、技の完成度に不安があるんです」
授業の組手を参考に取れば、イチカの懸念もよく分かる。
希更は明言を避けて、やんわりとした表現で提案した。
「なら、もう少し実戦に時間を割くように、藤森さんからお願いするのはどうかしら?」
「やっぱり、それしか無いですよねぇ……。分かりました。あとで師匠にお願いしてみます」
今までイチカの師匠とは、顔も名前も分からず終いだった事もある。
どうせだったら、自分も会っておきたい。
希更は思い切って、不安の種を打ち明ける。
「それで藤森さん、その師匠って人のことなんだけど……」
話の途中、裏門方向から、キンキンとした騒ぎ声が近付いてきて、希更は言葉を
飲み込んだ。
相手グループの一人も、裏庭の二人を発見して声を弾ませる。
「あっ、ほら見なよ。あそこに水野っち達がいる」
このヘンテコな呼び方は、金岡あきえ独特のものである。
不思議センスでは負けてはいない柳沼理乃が、あきえの長身の蔭からピョコンと顔を出して、大きく手を振った。
「あっ、ホントだ! お~い、イチカに希更~ん。そこで何やってんの~♪」
興味津々の二人に加えて、このえ・華隠・愛里の3人が後ろに続き、2対5の
構図で寄り集まる。
芝生と欅だけの開放的な野辺に、温気を払う息の長い風が吹き抜けた。
希更は頬を撫でる涼風に目を細めて、顔の前へと乱れた長髪を掻き分ける。
「あっ、皆さん……。今、藤森さんと訓練について話し合ってた所です」
五人の認識では、イチカと希更のスタンスには、大きな隔たりがある。
希更の返事に興味が湧いて、このえの整った表情が意外さに揺れた。
「訓練? 水野さんはともかく、藤森さんは今度の試験で、わざと落ちるんでしたのよね」
華隠の見解もまったく同じで、クラスメイトを相手に、容赦のない言葉をぶつけた。
「そうそう。大ケガ対策のイチカと相談した所で、希更には何の得にもならんだわさ」
自業自得ではあるが、その言い方は、あまりにも決め付けが過ぎる。
ムキになったイチカは、集中特訓が露見するリスクも忘れて反論する。
「あっ、そんな言い方ってヒドイです!! 私、確かに獅堂さん達の前で忍びを辞めるような事を言いましたけど、今は改心して、精一杯に頑張るって決めたんですから!」
その一言で、愛里の眉がピクリと跳ねた。
イチカが身が乗りだした拍子に、忍者服から漂う洗濯剤の香りが鼻腔をくすぐる。
人工的な香りに誰よりも早く気付いた理乃は、締まりのない笑みを浮かべて、
イチカの周りを余裕タップリに歩き回った。
「へえぇ~。あのダメ尽くしのイチカが、ボク達と戦おうっていうの? いったい何秒保つのかな~♪」
「秒単位の瞬殺じゃありません。皆さんとの差だって、着実に埋まってきてるんです」
口論の最中、希更から制する意図のするどい視線を感じて、すぐに我に返った。
イチカは遅まきながらも、『多分……』と虚勢の一言を付け加える。
普段の未熟な言動が幸いして、危ういところで刷り込みは成功した。
華隠は呆れた時の癖である、両手を後頭部に組んだ姿勢で言い放つ。
「多分で済んだら、忍者はとっくに廃業だわさ……。第一、あちし等との差は入学以前の経験を含めた年単位。逆立ちしながら宙に浮くぐらいの無茶でもしなきゃ、まともな勝負にはならないっしょ」
今、華隠が面白いことを言った。
構われ好きの理乃が、したり顔で華隠を見上げる。
「宙に浮いたら、逆立ちは要らないけどね~♪」
物の喩えだと言うのに、コイツ、分かってておちょくってやがる。
華隠は両手を荒鷲のように歪めて、怪獣みたいにのし歩く。
「ンガ~! 他人の揚げ足を取るヤツは、こうしてやるだわさ~!!」
「うわぁ~。頭かじられる~!」
キャッキャッとふざけ始める理乃達とは違い、あきえは好意的な意見である。
「でも、アタシはイチカの特訓には賛成かな♪」
優しい言葉を聞いたイチカは、両手の指を交互に組み、祈るような手付きで訴える。
「あきえさん……。あきえさんはやっぱり、私のこと、ちゃんと訓練してるように見えるんですね?」
するとあきえは、イチカの期待を裏切るように、くすんだ笑みで視線を泳がせた。
「いや……。実力はともかく、水野っちの足手まといに成んないようにするのは、感心できるなぁ、と思ってね」
「ん、そうですか……」
「藤森さん……」
しょぼんと肩を落とすイチカを、希更がそっと気づかう。
あきえは、暗く沈んだイチカの態度に罪悪感を感じて、親友に救いを求めた。
「あっ、えっと……。愛里はどうかな? せめてイチカもこうすれば、試験で長く生き延びられるとか、役に立ちそうなアドバイスは」
苦し紛れに話を振るが、当の愛里は、ガラス細工の向こうで真顔を保ったまま、一切、口を開かない。
「あれ? どうしたんだい、愛里。そんな真面目な顔なんかして……」
「あきえ。貴方、本当にそう思う?」
やっと喋ったかと思ったら、同意や助言ではなく、剣呑さすら漂う反問である。
愛里が放つするどい空気に、追いかけっこの華隠と理乃も、緊張を感じて動きを止めた。
両者のあいだで、名状しがたい空気が急速に高まる。
特訓成果を見破られる前に、イチカは、芝生の上からゆっくりと腰を上げた。
「えっと……。済みません、皆さん。私、ちょっとお花を摘みに……」
行動の不自然さは、態度よりも言葉づかいに表れた。
死滅した表現でトイレに向かうイチカの正面を、『シュバ!』と素早い動きで
愛里が遮る。
「うえぇぇ、なにぃ!?」
短い悲鳴を上げて立ち止まるイチカに、愛里は小さく『やっぱり……』と口にした。
やがて、隠行状態を解いた愛里は、イチカの肩越しに、華隠達へと視線を向ける。
「みんな、憶えてる? 一昨日の戦闘訓練、藤森さんは見学してたわよね」
「見学? それの何処がおかしいんだわさ」
「そうだよ。あの時のイチカ、イイ子にしてボク達を見てたじゃん」
華隠と理乃の反応は、感覚の麻痺という奴である。
忍術学園は線路沿いに位置しているため、校庭訓練の際は、万が一の目撃者対策として、訓練生全員に隠行術を義務付けている。
術を持たない1年生の真似事でも、一般人相手にはそれで充分だ。
そうした条件をもとに、愛里が決定的な矛盾を指摘する。
「だとすると、以前の藤森さんなら、金剛先生の姿も含めて、『誰も視えてない』って事なのよ!」
見えていないというのなら、出席扱いの保健室療養でも充分なのだ。
事の重大さをようやく認識したあきえは、大きく目を瞠り、掠れた声でうろたえる。
「ウソだろ……。それじゃあイチカは、アタシ達とおんなじくらい、隠行術を身に付けてるって事じゃないのさ!!」
ずもももも……と、五人の強烈な重圧に追いつめられてゆくイチカと希更。
やがて、そのうちの誰かが核心を突く前に、遠く、金剛先生が朗らかに呼び掛ける。
「お~い、水野~。待たせたな~。先週組んだ予定の通り、特訓の総仕上げと行くぞ~!」
華隠たちとは逆方向の焼却炉側から、つったかつったかと草鞋をつっかけ、金剛先生が現れた。
やがて、視界の中に想定外の五人を見付けると、その足取りが困惑につんのめる。
「ややっ! 坂本に獅堂。それに焰薙達まで……。お前たち、秘密特訓ではなかったのか?」
すると、このえが一歩前へと踏み出し、掌を胸に当てて畏まる。
「はい……。その甲斐あって、各々、自分の得意とする陽忍術を、ある程度は制御できるようになりました。ですから今週は各先生に師事して、技の精度を高める予定です」
個人特訓の真意を理解して、金剛先生が低く唸る。
「むうぅ、その手があったか……。確かにそれで試験に臨めば、仮に強者と当たって敗北しても、技術点で多くの単位を確保できるからな」
金剛先生の呟きに、イチカが期待を込めて追及する。
「でも先生、以前、下忍じゃ技術点なんか期待できないって仰ってましたよね?」
「それは、本来ならこの時期のお前たちが、忍術持ちではないからだ。技術点の採点基準は、忍びの体技だけではなく、陽忍術の難易度や特異性も評価される」
「それじゃあ今回に限り、使えた時点で、技術点が加算されるって事ですか!? だったら希更ちゃんにも、技術点を大量に稼ぐチャンスがあるって事ですよね♪」
イチカの気持ちが分かるだけに、金剛先生の口調からは、失意と困惑が窺える。
「まぁ待て、藤森。高札にも掲載した通り、二人一組での技術点は、二人の平均値となる。片方ばかりが高得点でも、もう片方がそれに頼り切りでは、正しい評価にならんからな」
その直後、金剛先生の真後ろから、臥龍仁斎の新たな解説が加わった。
「代わりに、二人一組の忍術なんぞも出来るがの~♪」
イチカの苦労が、少しずつ実を結んで行きます。
彼女の意思が何処にあるのか、それは次話で明らかになるでしょう。




