不可視の存在
翌日の木曜授業。
この時期、忍術伝法の儀を受けていない、通称、『術ナシ』の一年生は、罠の
仕掛けと、陽忍術を控えた隠行技術を重点的に仕込まれる。
愚民の森表層。
先週の罠授業と入れ替わりで、索敵役と隠行側を定期的に変えた、一言で言うと高度な『隠れんぼ』が行われていた。
「えぇええ! また私が鬼ですかぁ~!?」
ほかの級友に先じて、一番最初に見付かるイチカ。
本日3度目の偵察役である。
恨みのこもったイチカの嘆きを、発見者の理乃が意地悪く突き放した。
「ヘッヘ~ン♪ そりゃあ勿論、イチカが先に見付かったからねぇ~」
そんな事はとっくに分かっている。
問題なのは、最初の餌食が、なぜ必ず自分なのかだ。
こちらの意図を知ったうえでの惚けた返しに、イチカは身体の横で拳を揺らして悔しがる。
「も~う……。どうして理乃さんは、私ばっかり見付けるんですか! 少しは手加減して下さい」
「や~だよ~。悔しかったら、ボクを捕まえてごら~ん♪」
相手の抗議を受け流し、両手を頭の後ろに組んで、交代までの時間を上機嫌に
潰す理乃。
ややあって、午後の特訓。
授業の会場と同じく愚民の森で、天狗どのが、数時間前のあらましを淡々と語り終える。
「……ということが先の授業であったのを、藤森殿は憶えておいでかな?」
普段から嫌味や虚飾を嫌う彼のことだから、イチカも、自分が怒られてはいないと分かっているのだが、あまりにも無惨な記憶なので、どうにも顔向けできない。
「ううっ、面目次第もありません。憶えてはいても、なぜそうなったのかはサッパリ……」
深い反省から、顔を落として妙に時代がかった弁解を垂れるイチカ。
弟子の練度と相手の力量を鑑みて、師匠の仁斎も降参とばかりに渋面を作る。
「こればかりは仕方あるまい。柳沼さんは、学年一の隠行の使い手じゃ。術ナシ
下忍でありながら、その技能は中忍に届かんとする勢い。彼女が相手では、ほかの誰でも結果は一緒じゃろうて」
「でも、どうして私ばっかり先に見付かるんですか? 実力の差は分かりますけど、基本的な条件だったら、ほかの人も一緒じゃないですか」
すると天狗どのは、岩の台座の上で小さく喉を鳴らし、イチカの泣き言へ明快に答える。
「ふむ……。それは恐らく、藤森殿から発せられる匂いが原因なのだろう」
その包み隠しのない表現は、年頃の乙女には、強烈な破壊力を伴って聞こえた。
イチカは激しいショックにビクンと伸び上がると、涙目になって、腕・肩・脇へと、鼻をスンスンと鳴らして近付ける。
「えぇ~、臭いですかぁ!? 私、汗とか変な臭いがしないように、服も身体も、『毎日しっかり』綺麗にしてるのに」
毎日しっかり、という部分を強調する辺り、彼女がこの点にどれだけ気を配っているのかがよく分かる。
嗅覚を刺激する表現だけでも、大きく分けて三つある。
臭いと匂い。
今回の場合、人の心を魅了する香りである。
天狗どのもこの点に逸早く気付いて、自分の言葉足らずを補った。
「否、藤森殿……。今回に限っては、その心掛けこそが仇となっているのだ。忍者服から漂う洗濯剤の香り。森や竹林でそんな匂いがしては、忍者でなくとも気に掛かるのは当然の事」
「そう言えば姉上も、シャンプーとかは無香性に拘るのに、洗濯粉だけは普通でした!」
ハッと息を飲んで心当たりを口にすると、仁斎がゆっくりと頷いて理由を語る。
「ウム……。常に忍者服でない者は、普段はそんなものじゃ。必要な時に限り、
軽く行水して身体の残り香を落としてから、無香性の戦闘服を着れば良いのじゃからな」
問題点の指摘が終わると、印象深い光景が記憶を掠めて、天狗どのが瞼を細めた。
「匂いの件は別にしても、潜伏技術と相手を探す勘に掛けては、中々に光る物がある。特に、勇気をもって隠れ場所を移動し、一度は確認された場所へ戻る件は痛快であった」
「ハイ。私、小さい頃は隠れんぼが得意でしたから!」
「なるほど。術を使わぬ隠行を隠れんぼとは、言い得て妙ですな……。とはいえ、このままでは柳沼殿と相対した場合、やや分が悪かろう」
「じゃあ、理乃さんが相手の場合は、広くて隠れられない場所で、相手が出てくるのを待つしかないんですか?」
術ナシ下忍のイチカでは、忍術持ちとの正面決戦が一番危険である。
仙人好みの幅広扇を弄びながら、天狗どのが否定的な意見を加えた。
「否。今度の試験が二人一組である以上、忍具で狙撃されるなり、二人掛かりで
襲われては、敗北は必定。ここは順当に、敵の弱点を突くのが宜しかろう」
「理乃さんにも弱点があるんですか? でしたら是非、私にソレを伝授して下さい!」
真っ正直に教えを乞うと、仁斎が近場の岩へと腰を下ろして、弟子の横着を窘める。
「否々……。教え子の弱点を埋めるのはともかく、第三者に他人の弱みをペラペラ喋るのは、教師として公平ではあるまい。第一、ヒントとなる事柄は、すべて授業の中に隠れておる。それを見抜く洞察力を磨くのも、一流の忍びになるための修業じゃて」
せっかくのチャンスをフイにされて、イチカが幼稚に口を尖らせる。
「ええぇ~。少しくらい、教えてくれても好いじゃないですか。師匠のケチ……」
甘えた調子が可愛らしくもあり、少し憎らしくも感じる。
自然とお茶目心が芽生えてきて、仁斎はわざとらしく、納得した小芝居を打った。
「ふむ……。そこまで言うなら仕方ない。柳沼さんの弱点を教える代わりに、公平さを考慮して、御主の新忍具の性能を、学年全員に公表しておくかの」
そんな事をされたら、万に一つの勝ち目もなくなる。
イチカは両手をすばやく振って、不用意な自分の発言を瞬時に取り消した。
「ああっ!! 嘘ですよ、うそうそ……。自分の力で見付けてみせます!」
天狗どのは、イチカの必死な様子に笑いを噛み殺して、修業開始の講義へと移った。
「結構、結構……。さらば、弱点探しは藤森殿の課題にするとして、今日は先週の続き、擬装罠の設置と対処に移ると致そう。一口に擬装と言っても、隠れて見えない物ばかりではなく、囮の罠と本命の罠を使い分ける手法もあるのだ」
こうして天狗どのの解説を皮切りに、愚民の森で、イチカの悪戦苦闘が今日も始まった。
忍ヶ丘のクリーニング屋さんは、顧客忍者のために、無香洗濯のサービスをやっています。
木下文房具店から路地を1本挟んで、すぐ隣り。(第6部分、冒頭参照)




