身体活殺の法
陽射しが辛うじて緩やかな水無月(6月)の午後、イチカは自転車のロックを外してスタンドを蹴り上げ、学園までの道程をかっ飛ばす。
やがて、自宅近くの通学路に合流すると、口寂しさから独り言を呟いた。
「よく考えたら、忍者なのに自転車移動って、すっごく地味な気がする……。どうせだったら、マンガみたいに屋根の上を通れたら一直線ですけど、アレって疲れそうだし、不法侵入とかにならないのかなぁ……」
余計なことを考えながらペダルを漕いでいると、突如、頭上に小さな影が掛かる。
見上げると、忍者服のゆとりを広げて、モモンガみたいに滑空するクラスメイト、柳沼理乃が空を飛んでいた。
イチカは、特に用事もないのに自転車を停めて、頭上の理乃に声を掛ける。
「お~い、理乃さ~ん!」
すると理乃は、空中でクイッと首を下に向け、『何だろね……』、と言った感じで方向転換。
停車中のイチカの傍へと着地した。
「よっと……。で、どしたの? なんかボクに用事?」
澄んだ瞳と、人懐っこく弾んだ声。
構うと向こうも期待してくれる理乃の反応に、イチカも屈託のない笑みで話しかける。
「今、ちょうど空を飛ぶことを考えてたんです。理乃さんって、移動するとき空を飛んでるみたいですけど、それって自転車と比べて、どちらが便利なんですか?」
理乃は大腿部に格納したロッドを指先で軽く叩いて、几帳面に問い直す。
「飛行翼のこと? そりゃ、空の方がラクに決まってるじゃん。なにせ自力でペダルを漕ぐ必要がないし、信号待ちもなければ、目的地まで一直線だもん♪」
釣られてイチカも、爽やかな笑みで同意する。
「そっかぁ……。それに、『飛び忍』同士の衝突以外、交通事故もありませんしね。納得です」
「そうそう♪」
瞬時に理乃は共感するが、問題点が頭をよぎり、顔色をすぐに沈ませる。
「あっ……。でも、風の無い時は自転車かな。あと、ちょっと困った事があるんだよね」
「困ったこと? 両手が塞がるとか、戦闘中の動きの問題ですか?」
「否、確かにそれも問題なんだけどさ……」
と理乃は言い掛けて、不意に話を切り上げる。
「あっ、やばっ! ゴメン、続きはまた今度!」
「えっ? 突然どうしたんですか、理乃さ~ん!」
理乃はイチカの追及に動きを止めず、隣家の屋根へと飛び移り、再び風に乗って、ユ~ラユラと何処かへと去っていった。
「なんか、慌てて行っちゃいました……」
直後、右後方の家、2階の窓が急に開いて、見たまんまのガンコ爺が身を乗りだす。
「コラ~! いったい何度、他人ん家の屋根を、空中サービスエリアに使うなと言えば分かる。屋根が傷むじゃろうが~!」
その言葉は間違いなく、つい今しがた、この場から退散した理乃へと向けられたものだ。
その迫力と、腕をガッシガシと曲げ伸ばす古典的な動作に圧倒されたイチカは、その場で思わず悲鳴を上げる。
「ひいいぃぃ! 困ってる事って、やっぱり不法侵入のことぉ? しかもあの御爺さん、ちょっぴり面白い表現を使いながら怒ってる!」
余計な一言が災いして、ガンコ爺の怒りが飛び火する。
「なんじゃ! ジジイが上手いことを言ったらイカンか!」
「いえいえ! 滅相もありません!」
首をフルフル振って否定するイチカを、ガンコ爺の『眼球フロントガラス(目玉)』が捉える。
「むっ、忍者服とな? すると御前さん、さっきのノラネコ忍者の関係者か!」
こいつはヤバイ。
即座に足をペダルにセット。
イチカの生存本能が、逃走準備へと駆り立てる。
「そんなぁ……。確かにクラスメイトですけど、私、さっきの事とは関係ありません!」
「ええい、黙らっしゃい! そこで待っておれ。すぐにでもレッカーして、理性という名のブレーキ確認してやるわい!」
「ひぃぃええぇぇ! なんで全部、車用語ぉ~!!」
イチカの『人力エンジン(両太腿)』が火を噴いて、一目散にその場から逃走した。
それからおよそ3分後。
まんまと学園裏門へと逃げ延びたイチカは、自転車置き場に駐輪しつつ、文句を垂れる。
「まったく、理乃さんってば……。おかげで空中滑泳の謎は解けましたけど、私、すっかり共犯者だと思われちゃったじゃないですか」
言い終えてすぐ、イチカは無意味な感傷に囚われる。
(あれは言うなれば、変わり身の術ではなく、身代わりの術でしょうか?)
人差し指を頬に当て、その場で軽く思案していると、体育館と校舎をつなぐ渡り廊下から、何者かに呼び止められた。
「あらっ、藤森さん。ちょうど良い所で会ったわ」
振り返ると、袖が膨らんだ旧式看護服に、白いフリルをあしらったエプロンが目に映った。
色白で滑らかな肌と、母性を湛える垂れ目が特徴の保健医、東雲清蘭である。
イチカは相手を見付けるなり、眩い笑みで会釈する。
「こんにちは、東雲先生。私、明日からの特訓のために、師匠と打ち合わせに来ました」
イチカがハキハキと事情を述べると、東雲保健医が小さな苦笑を漏らした。
「知ってるわよ……。あの『お爺ちゃん先生』に教えてもらうみたいね」
イチカは土足を片手にぶら下げると、渡り廊下で東雲保健医と横並びに歩きだす。
「その様子からして、東雲先生は、師匠のことをご存じなんですか?」
他人からの受け売りを肴に、東雲保健医が頬を緩める。
「それは勿論よ。あの人は学園長と同じで、この学園の最古参だもの。そのぶん、色々と有名でね。昔は美貌の剣士で、お酒と女遊びに余念がなかったとも言うわ」
「へえぇ……。師匠って、昔はヤンチャな感じだったんですねぇ」
「今でも、そんな名残がありますけどね。はにかんだ笑顔のあたりとか」
「あっ、なんか分かります。他には他には♪」
イチカが楽しみに急かすと、東雲保健医は顎の右側を人差し指でトントンと叩いて思案する。
「そうねぇ……。藤森さんは、身体活殺の法を知ってるかしら?」
「ハイ! 陽忍術の根幹をなす、能力コントロールの技法ですね」
「それなんだけど……。あの人、見かけに寄らず、その技の達人なの。私達の場合、肉体が活性化して、超人的な力を発揮する程度だけど、臥龍先生の場合は、その比じゃないわよ。なんと言っても『若返り』だもの……」
イチカは掌を上下に振り、オバサンくさい手付きで場を和ます。
「ま~た、またぁ……。その手には乗りませんって。若返りなんて、オカルト超えの奇跡ですよ。学校医の先生がソレを言っちゃ、お終いじゃないですか~♪」
イチカのぞんざいな返しに、『むうぅ……』と東雲保健医が、子供っぽく機嫌を損ねる。
「藤森さん。私は何も、生徒である貴方をからかってる訳じゃないんですよ」
東雲保健医の砕けた雰囲気に釣られて、イチカも同級生の雑談と同じノリで返す。
「ええぇ~。だって身体活殺の法って、戦闘中だけの話じゃないんですか~?」
「いいえ。むしろ日常生活の中でこそ、本領を発揮するものなの。普段は『殺』の部分を機能させることで細胞分裂を抑え、危険が身近に迫った瞬間、生命力と体力を爆発的に高めるの。藤森さんも余裕がある時は、日常生活と修業をリンクさせると良いわ。ただ息を吸って吐くだけでも、意外と奥が深いんだから」
話を聞いているうちに、自分が所属する臨組を通り過ぎていた。
イチカは東雲保健医を廊下に待たせて、自分の靴箱へと小走りに向かう。
上履きに手を伸ばす動きの途中、ふと、東雲保健医が自身の用件を思い出した。
「あっ、すっかり忘れてたわ……。藤森さん、臥龍先生の言う通り、貴方にピッタリの忍者服を仕立てておいたから、教室へ戻る前に、保健室に寄ってらっしゃい」
真新しい室内履きに足を引っ掛けて、イチカが眉を跳ねあげる。
「えっ、もう出来たんですか!?」
「忍者服の素材とデザインは昔から決まってるから、あんまり手を加える必要はないもの♪」
東雲保健医はテンポよく返してすぐ、視線を外して平静を装う。
「それはそうと藤森さん、この前の雑誌の件なんだけど……」
(うわっ! なんだか、いやらしい言葉づかいで来た……)
彼女は、イチカの所蔵する隠行術の真髄が記された雑誌、雪風家伝創刊号に痛く御執心なのだ。
イチカは、相手の見え透いた魂胆を読み取って、しょんぼりとした空気で肩を落とした。
「分かってます……。本当はそのために、大至急、私の忍者服を用意してくれたんですね」
「ウンウン、その通りです♪ それで、創刊号は何処ですか?」
掌を上にしてニコリと催促する彼女に、イチカは上体を軽く反らして、気後れと共に答える。
「午前中、喘息で寝込んでる希更ちゃんに貸してきましたから、今は持ってませんってば……」
「ええっ!? じゃあ、すぐには読めないんですか……」
今度はシュンと項垂れて、上目づかいで哀願してくる。
その眼差しに、ペットショップの仔犬を連想して、キュンと胸をときめかせるイチカ。
危うく『なんとかします!』と言いかけて、揺れ動く心に『待った』を掛ける。
(ハッ! これはまさか、先生の瞳術!?)
イチカは咄嗟に目を瞑ると、相手の脇をすり抜けて走り去る。
「クッ……。そんな手には乗りませ~んっ!!」
「あっ、逃げたっ。待ちなさ~い!」
両手をグーにして、ダダッコ風に追跡する東雲保健医。
しかし、スリッパ履きという不利が祟って、出遅れた差を埋められない。
イチカは徐々に開く距離を利用して、保健室から新品の忍者服を奪取すると、
廊下や階段、あらゆる立体交差を駆使して、大ハシャギの東雲保健医を振り切った。
・雪風
陽忍術、初代皆伝者。
幕府の命を受けて天海衆の里を焼き、今日の陰陽・両忍者の争いを作った。
以来、虐殺者の汚名を着せられた雪風は幕府から距離を置くも、江戸を古くから
守る『封印氏族』の掟に従い、陽忍集団・五部と何度も戦う。
のちに、幕府と天海衆の暴走を止めるべく、陽忍たちと手を組む。
なお、封印氏族とは元々、江戸を霊的に守護する一族のこと。
転じて忍ヶ丘では、天海衆五忍将を封じた者たちの呼び名となった。




