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藤森イチカの忍術試験!  作者: 桜花 山水
1章 忍びの里の忍ヶ丘
3/83

 忍術修業など冗談ではない。

 そっちが家訓を盾にするなら、自分は約束通り入学して、さっさと元の学校に

復学してやる。

 回想から我に返ったイチカは、忍ヶ丘(しのびがおか)の住宅街で、母への憎悪を宙にぶちまける。


母上(ははうえ)、あなたは人間のゴミクズです!!」


 誰にでもなく言い切ったことで、少しは気分がスッキリした。

 ところが、返すはずのないその言葉に、何者かが恐怖の悲鳴を上げる。


「はにゅわぁ!? いったい(なん)ですか、急に……」


 気付くと、目の前に一人の少女がいた。

 身長、約145センチ。あどけなさを感じさせる声と、ハッキリと意志の整った口調からして、おそらく中学一年生と言ったところか。

 女の子は、白い無地の半袖シャツに、今では滅多に見られない、()()()のような(すそ)が膨らんだパンツを穿く。

 さらにはその上から、初夏だというのに、薄手の袢纏(はんてん)を羽織っていた。

 毛先が肩にふれるくらいの髪を、根本で短く二つに結んで、(うし)ろに流した素朴な風貌。

 過剰な装飾が一切見られない、人畜じんちくがいの塊みたいな存在だ。


 そんな彼女が、今は小動物のように震えて、くりっとしたつぶらな瞳をきつく閉じている。

――これはマズイ。

 どうやら自分は意図せぬ形で、見ず知らずの人を恫喝どうかつしてしまったみたいだ。

 しかも相手は、自分より年下の()()()()な少女である。

 イチカの胸に罪悪感が重く()し掛かる。


「ああっ! ごめんなさい。私、ちょっと嫌なことを思い出して、ウッカリ(ひと)(ごと)を口にしちゃっただけなんです。別に、あなたに向かって()()たりした訳じゃありませんから!」


 少女は、「ううっ……」と小さく泣きべそをかいて、怯えがちにイチカを見上げる。


「本当ですか?」


「ホントホント! 私の母上ははうえってば、(もの)()っっっっっごくマイペースな性格で、私の進路を勝手に決めちゃう、とにかく酷い人なんです。それなのに、誰にも相談できないものだから、さっきは思わず本音が出ちゃったんです」


 本当は、忍術修業や家庭の事情を事細(ことこま)かく説明したかったのだが、初対面の相手にいきなりそんな事を言っても、奇異な目で見られるだけである。

 少女はイチカの(ぶん)を素直に聞き入れて、ポコンと可愛らしい溜め息をついた。


「ハア……。それなら好かった。信じるです……」


 誤解が解けてホッとしたが、自分が迷子なことに変わりはない。

 見知らぬ土地で最初に会ったのが無辜の民(チビッコ)とは心細いが、黒装束でニンニン(しの)んじゃうやからよりはずっとマシである。

(私の愛読書、雪風(せっぷう)()(でん)・虎の巻にも『こう(いっ)すべからず』と書いてありました。こうして会ったのも何かの(えん)ですし、ここは一つ、ダメもとで道を聞いてみましょう!)

 イチカは思い切って、巻物型のメモを前に広げて少女に尋ねる。


「あの……。実は私、この地図を参考に、姉上の(うち)を探してるんですが、住宅街に入ってから()()()()小さな路地が多くて、道がよく分からないんです」


 すると少女はピコポコと近くへ歩み寄り、イチカの横に並んで、巻物を(ひもと)いてゆく。


「ふむふむ……。これは所謂(いわゆる)、密書という奴ですね。それを他人に見せちゃうなんて、お姉さんも相当(ごう)()な人です」


 密書などと、いやに古めかしい言葉を口にする。

 少女と言葉の関係がミスマッチに思えて、イチカの顔から笑みが零れた。


「密書だなんて……。これは単なる横長のメモじゃないですか。忍びの世界じゃあるまいし」

「……………………」(無言で密書を解読中(かいどくちゅう)


(ああっ、その反応……。やっぱりこの街には、忍者がいるんだ!)


 嫌な予感に気持ちが(ふさ)ぐイチカ。

 ややあって、地図の解読を終えた少女が、突然、爪先立ちとなる。


「あれれ? 此処(ここ)って多分、(アオイ)(うち)ですよ。だってこの地図、()()(うち)のお隣りですもん」


「お隣りさんって事は、ひょっとして、姉上を知ってるんですか?」


 自分の名前を『さよ』と口走る少女は、両手をフリフリと楽しそうに主張する。


「ハイです! (アオイ)は髪が長くて、暑い日以外は、十二単(じゅうにひとえ)みたいな上品な着物を着てスラッとスタイルの良い、理想のお姉さんです。ちょうど今から、さよも(うち)に帰る所ですし、どうせだったら、一緒に案内してあげるですよ」


 道端で『ゴミクズ』呼ばわりされてしまった事も忘れて、無垢なる少女・さよが前を行く。

 イチカはさよの後ろに続いて、駐車場とアパートに挟まれた()(みち)を抜ける。

 奥まった場所を右に曲がり、砕石さいせき敷きの駐車場から、地盤が一段いちだん高い左隣りの

敷地に足を踏み入れた。


 段差を越えて左を向くと、目的の家はあった。

 周囲の立派な二階建てと比べると、その家は見劣りが著しい。

 粒子が粗いセメント瓦に、焦げ茶色のいたを打ち付けた薄い外壁。

 駐輪場を兼ねた右奥のせまい庭の一角に、自分こそがこの家の(ヌシ)であるかのように、杉の巨木が天高く(そび)える。

 玄関脇には黒土()()しの厳しい環境に耐え、左は(ささ)、右にはバラが咲き、閑寂(かんじゃく)とした(いおり)に風雅な(おもむき)を添えていた。

 古い時代の街並みに、更なるふるめかしさをもって時代に叛逆(はんぎゃく)する一戸建て。

 その玄関戸を、さよが小さな拳でノックする。


「ア~オイ~、さよですよ~♪ (アオイ)に会いたいってうお客さんを連れて来たです~♪」


 細い金属格子(フレーム)の玄関戸が、立て付けの悪さから『ガザン、バザン!』と耳障りに揺れた。

 ややあって、中からとおった声で返事があった。


「はいは~い♪」


(あっ! 母上と声がソックリ……)

 実際の声色こわいろはまったく別だが、その響きには何処(どこ)となく、自分の家族を連想させた。

――この玄関(ついたて)の向こうに姉がいる。

 イチカは不図、もどかしい衝動に駆られた。

 さよの説明によると、髪は長いらしい。

 なら、顔立ちは?

 身長は、もう追い越しただろうか?

 才媛さいえん(うた)われた姉と、不出来な妹。

(私は、姉上に追い着けたのかな……?)

 やがて、くもりガラスの引き戸が左にスライドして、藤森(あおい)の姿がハッキリと確認できた。

 長身細身で、白く肌理(きめ)細かな肌。

 腰まで届く芯の太い黒髪。

 色鮮やかな着物の上に、藤色ふじいろの上掛けを羽織り、金粉を散らせた黒の細帯が、

重ね着をウエストの(あた)りで緩やかに留めていた。

 目は切れ長で鼻筋はなすじは高く、眉は細くて長い。

 理知的な顔立ちで、黙っていれば氷のような(するど)ささえ感じられる。


 イチカはしばし、その場で声もなく立ち尽くす。

 美しさに見惚(みと)れた訳ではない。

 女性としての器量の違いに嫉妬したのでもない。

 内面から(にじ()す一人の人間としての風格に、唯々(ただただ)、姉が光って見えた。

 玄関戸を開けて中へと吹き込む静かな風に、逆巻きもせずたなく漆黒の艶髪つやがみ

 その姿は、運命の風に(さら)されてなお、勇敢に立ち向かう、一人の女騎士を思わせた。

(運命……)

 イチカは、(おの)が身ひとつ(まま)ならない。

 だからこそ自分は今、忍ヶ丘(ここ)にいる。


――自分はただ女騎士(それ)を見仰ぐ、泥に(まみ)れた町娘なのだ。


 再会の喜びと劣等感に、言葉がうまく出て来なかった……。

 いっぽう、肉親と長らく(はな)(ばな)れだった(あおい)も、掛ける言葉がすぐには見付からない。

 長い時間の空隙(くうげき)は、容易に埋められるものだろうか?

 妹を前にした(あおい)は、(うる)んだ瞳を笑顔で隠し、震える声でイチカを迎える。


「家を出てから10年くらいになるかしら。本当に大きくなったわね、イチカ……」


 対するイチカも、なつかしさが胸一杯に込み上げて、途切れ途切れに言葉を返す。


姉上あねうえこそ……。顔は昔と変わりませんが、かみも、前よりずっと長くなりましたね」


 (あおい)は胸を()む後悔に、再び短く無言の(ささや)きを重ねる。

 変わったのは外見だけではない。

 自分は、しの大学だいがくに進学した『上忍(じょうにん)』である。

 それに引き替え、イチカはどうか? 

 両親が言うには、イチカにしのびの才能はない。

 だからこそ、隣り街へと()()()()()のだ……。

 そんな自分に出来る事といえば、一人の姉としてあかるく振る舞い、これから厳しい修行に身をとうじる妹を励ますことだけだ。

 今度は遠慮や逡巡を一切いっさい感じさせず、二人を気さくに中へと招く。


「とりあえず、イチカも()()も中に入りなさい。外では気分が落ち着かないし、イチカは、この街に初めて来たんだから、色々と込み入った説明が必要でしょ?」


 (おど)けた空気と柔らかい口調は、かつて一緒に暮らしていた頃と、まったく同じ

印象だ。

 幼い頃の記憶がボンヤリと蘇って、イチカはった笑顔で(あおい)に返す。


「ハイ、お世話になります!」

ちなみに、祖父(基一の父)の名前は『藤森ふじもり新十郎しんじゅうろう』。

イチカの姉の名前が『あおい』であることから、夫婦のどちらが名付け親なのか、割と簡単に想像がつきます。

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