彼女の答え
辞めたいけど、辞められない。
誰も、自分の想いを聞いてはくれない。
そう思うと悔しくて、切なくて、イチカは世界中に叛逆してやる気分になって、吸盤付きの手裏剣を戦人形へ目掛けて打った。
だがそれは虚しく空を切るだけで、明後日の方向へと軌道が逸れる。
構わず二投目を投げるが、やはり当たらなかった。
まるで、デタラメな人生が自分を嘲笑うように、三投、四投、どれを打っても
狙いが外れる。
イチカは腰裏の忍者刀を逆手で放ち、檄を飛ばす。
「ぃやああああ!!」
闇雲に剣を振るい、吊り灌木に挑むイチカ。
なにが手応えなのかも分からぬまま、前へ前へと斬り進み、丸太に模造刀を叩き付ける。
三撃、四撃、五撃と振るい、背後から戻りくる灌木に肩を強く叩かれて、大きく斜めに突き飛ばされた。
イチカは立ち上がらない。
立ち上がったところで意味がない。
意地を張れず、刃は定まらず、このうえ何をした所で、運命に抗う術などなかった。
「けっきょく私は、なにも出来ないんだ……」
仰向けに倒れたまま空を見上げていると、叢の蔭から嗄れた声が響く。
「ふぉっふぉっふぉっ……。こりゃまた、分かりやすく青春しとるモンじゃわい」
第三者の呟きに、イチカは上体を起こし、無気力な声で尋ねる。
「…………どなたですか?」
ガサリと草を掻き分けて、杖を突いた白髪古老の老人が姿を現す。
見たことのある風貌と、丁髷型のひっつめ髪。
学園に来た初日、裏門で逆さ吊りの自分を救った用務員である。
剣士姿の老人はイチカへと近付くと、視差を埋めるため、踵を立ててしゃがみ込む。
髪は荒れ、毛先は跳ね放題。
忍者服のあちこちに土汚れが擦りつき、すりむいた肘と脛には、赤黒い傷が刻まれていた。
「なんとまぁ惨い……」
飄々とした態度が、悲哀の乗った空気へと一気に変わる。
まだあどけなさの残る少女に、こんな惨めな想いをさせたかと思うと、たとえ
悪気がなかったにせよ、自分たち学園関係者が情けなく思えてならない。
用務員は深い労りを声に乗せて、陰鬱な吐息を漏らす。
「見ないうちに、随分と草臥れた顔をするようになったのぅ……。もうこれ以上は、少しも頑張れんと言った感じじゃ」
「それは……」
イチカが答えようとすると、用務員の老人は、片手を前に揺らして制した。
「ああ、好い好い……。忍びの忍耐は、身体の我慢よりも、まずは心の自重からじゃ。無理に言わんでも、大体の事情は察しがつく」
わずかな無言のあいだ、用務員の老人は気不味い逡巡を重ねる。
実の所、彼はイチカに対して、ある残酷な仕打ちを隠していた。
――言うべきか、言うまいか……。
老人は短く考えた末、申し訳なさそうに白状した。
「本当はの……。あの学園に入ったが最後、決して退学できんことを知ったうえで、貴方さんを学園長室に向かわせたんじゃ」
老剣士が学園関係者であれば、退学不能の規則を知っていて当然である。
親切心から助けてくれた相手にも裏切られて、イチカは膝を抱えて縮こまり、
大粒の涙を零した。
「ひどいです……。みんなで寄って集って、私の高校生活をメチャクチャにして……。そんな事をして、何が楽しいんですか? それともこれも、忍びの訓練だとでも言うんですか?」
責める言葉にまったく覇気がない。
むしろ、人生すべてに絶望している感じだ。
老人は、自分自身に痛憤して、『嗚呼……』と小さく嘆く。
その様は、神仏に許しを乞う罪人を彷彿とさせた。
「そうではない……。否、貴方さんからすれば、陰湿すぎる事の数々じゃったろうが、少なくとも儂は、斯様に追いつめる積もりは更々なかった……。あの学園長とて、それは同じじゃ」
「じゃあ、なんで……」
イチカのザラついた泣き声に、用務員は若かりし頃の記憶を呼び覚まして、時折口籠もる。
「儂もこれまで、長いこと生きてきた。貴方さん達には分かるまいが、戦争を……、この日本の最も暗い時代を生き抜いた。あの当時は、何処も彼処も、とにかく悲惨じゃ……。生き残るほうが酷じゃったかも知れん。当然、罪を犯した忍びを大勢見てきた。正直に言うと、この手に掛けたこともある。一般人には、忍びの相手は務まらんでの」
イチカも子供ではない。
手に掛けるという言葉が、何を意味するのかをよく分かっている。
つまりはこの用務員の手は、人殺しの手である。
左脇腹に視線を向けると、帯の内に二刀を佩いていた。
彼もまた、この忍ヶ丘で修練を積んだ一人の剣士なのである。
老剣士の追憶には、深い悲哀と懊悩が滲み出ていた。
「望んで死を選んだ者も居る。みずから剣を求める捨て鉢な輩もおった……。皆、一様に、『死にたい』と口にしていたが、当時の儂には、その真意がサッパリ分からなんだ……。儂の未熟な腕と心の迷いで、辛うじて一命を取り留めた者もいれば、斬り殺してしもうた奴も居る。今の儂なら、あんな莫迦なマネは二度とすまい」
黙祷と慟哭。
老剣士はしばしの間、視線を空へと移し、未来という名の可能性の糸が断ち切られる無念を、狂おしい想いで見送った。
緋群尚武。
忍ヶ丘北部の豪族、緋群一刀の一人息子。
その名が示すように、武芸・勝負事に強い彼は、幼い頃から清廉潔白。
その逞しさと慈しみは、時として忍ヶ丘の外へも向けられた。
高潔な精神が仇となったのだろう……。
里の古老が止めるのも聞かず、有志を集って従軍し、敗戦後のショックから反乱勢力を率いた彼とその仲間を、老剣士は断腸の思いで斬り伏せた。
――同じ過ちを二度とすまい。
その誓いを果たす一心で、老剣士はイチカに訴える。
「彼等が本当は何を言ってたのか、貴方さんには分かるかな? 口では『死にたい』とは言ってても、…………本当はそうじゃない。他に適当な言葉が見付からなかっただけで、手近にあったからそう発音しただけで、本当は違う」
唇を震わせながらも、老剣士は真実を告げる。
「本当は、『生きていたい』と言っておった……。『死にたい』という音を口にしながら、『生きていたい』と、全力で叫んでおったんじゃよ……」
――生きていたい。
その言葉は、自分の想いに何処か通ずるものがあった。
イチカは無意識のうちに、その一言を反芻する。
「生きて……、いたい…………」
「誰もがそうじゃ。死にたくて生まれてくる者など、一人も居りゃあせん。み~んな、生きていたいと思っておる。自由に、想うが侭に、時には力の限り何かにぶつかり、生きていたいと願っておる」
忍者修業への未練と苦痛の狭間で、イチカは今、なにを選択するのか?
老剣士は聖者のごとく、イチカの瞳を静かに射貫く。
「貴方さんが学園に来た時も、以前に運命選定法で呼ばれた他の娘らと同じような顔をしておった……。じゃが、これほどまでに強く拒んだ者は、ほかに一人も見た事がない。じゃから、勇気を出して正直に言うて欲しい。貴方さんが、本当はどうしたいのかを」
老剣士は、イチカの本心を直感的に見抜いていた。
大切なのは、忍びの修業自体ではない。
充実した高校生活を送れるかどうかだ。
外の世界の常識を奪われた事実が、彼女に忍術学園の生活を拒ませていただけである。
――諦めたくない!
本当は、なにもかも捨てたくなどなかった。
友人とか、青春とか、幼い頃に抱いた憧れすらも!
――嗚呼……。私は本当に、この世界に惚れ込んでいる……。
自分が出会った全ての物事に恋をしている。
六日前、友人達との帰り道、希更とこのえの背中に夢想したあの光景が、なによりの答えだ。
去来する幾つもの顔と出来事。
巻き込まれ、戸惑うことばかりの七日間。
その中を必死に生き、抗う自分の姿に誇りはあるか?
(…………ある!!)
なりたい存在など分からずとも、『理想の自分』はハッキリしている。
涙と失態に塗れてなお、イチカは本当の願いを口にした。
「こんな時……、友達のために、真剣に戦う自分でありたい」
泣きながら、嘆きながら、なんでもない日々から掴み取った真実を叫ぶ!
「進級試験に合格して、立派な忍者になりたいです!!」
藤森家・誓願が打ち立てられた。
この誓いは、決して破られる事はない!!
拒む力が強ければこそ、その憧れもまた、誰よりも強いものであった。
嘘も遠慮も虚飾もない望みに、老剣士は涙を堪えて、イチカの両手をひしと握る。
「良ぅ言った……。よくぞ其処まで言ってくれたな、藤森さんや! さればこの儂も、全力でその望みに応えよう!!」
やがて老剣士は、涙で滲んだ視界を袖で拭うと、照れくさそうに威儀を正した。
「いやはや……。年甲斐もなく、つい熱くなってしもうた」
ややあって、用務員の老人は、改まった様子でイチカの顔を覗き込む。
「して、藤森さんや……。そもそも、こんな所で何を遣っとったんかのう? 午後の授業の代わりに、自主訓練も許可されとるが、貴方さんに一人修業は、まだ早かろう」
それを言うなら、もともと自分には、修業に打ち込む殊勝な心掛けなど全くなかった。
(今までは……ですけど。そう、今までは!)
心の中で前置きを入れて、イチカはおもむろに口を開いた。
「それが……。私、金剛先生の指示で、この森を一人で脱出しないと行けないんです」
脱出だけでも、訓練ゼロの転入生には荷が重い。
老剣士が怪しからん想いで眉を顰める。
「金剛の奴が? ふむ……。その話、この爺めに詳しく聞かせてはくれんかの?」
イチカが事の顛末を簡単に説明すると、老剣士は小刻みに頷いて納得する。
「なるほど、そういう訳じゃったか……。ようやく全てに合点が行ったわい」
このうえ何を隠す必要もなく、イチカはしょんぼりと後悔を付け加える。
「でも私ってば、自分が辞めたい一心で試験を放棄しようとしたり、頑張ろうとは思っても、授業について行けないうえに、訓練だってロクにこなせない……」
徐々に気を落としてゆくイチカを、老剣士が難儀な口調で慰める。
「まぁ、そう落ち込みなさんな……。忍ヶ丘の外から来た者は、生まれついての忍びでは無かろうて。まして貴方さんは、途中入学なんじゃぞ。上手にこなせる方がどうかしておる」
さらには複雑な事情を繙くように、希更が父親と結んだ『捨て身の条件』に賛同する。
「それに、水野さんが父親にムチャな約束をしたという件。アレにも、ちゃ~んとした計算があっての事じゃ。おそらく水野さんは、試験合格で受けられる忍術伝法の儀によって陽忍術を会得し、病気や毒への抵抗力を高めて、喘息を克服する気なのじゃ」
「でも、今度の試験に失敗したら、その可能性は永久に失われるんですよね……」
イチカの弱気を、老剣士が自信満々に吹き飛ばす。
「まぁ、そう心配するでない。この儂が助太刀してやると言うんじゃからな」
言うが早いか、杖を手にした老剣士が、神気に溢れた動きでせかせかと歩き始める。
「ほれっ、もう動けるじゃろう? ここはひとまず、儂について参れ。今から学校の近くにある、木下文房具店に向かうぞい」
勝手に歩を進める老剣士に、イチカが疑問と警告を連打する。
「えっ、なんでそんな所に? しかもそっちは、森の奥のほうですよ?」
「なになに、心配無用じゃ。万事、この爺めに任されぃ」
ようやく、本作らしい空気が出てきました。
イチカの特訓が始まる作品後編は、もう目の前です。
なお、アクションシーンが怒涛の勢いで盛り込まれた期末試験は、
まだまだ先の終盤となります。




