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藤森イチカの忍術試験!  作者: 桜花 山水
2章 成りたい自分
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実体なき未来

 いっぽう、一年臨組(りんぐみ)の教室内。

 担任教師が教室から出て行くと、クラス内では、お決まりのテスト談義に活気づいた。

 しかし、その結末を(すで)に心に決めているイチカは、胸の奥がズシンと重くなり、教室をひそかに抜け出した。

 行く当てなどない。

 クラスメイトに()()()()混ざっている自分。

 偽善に似た何かから目を背けられれば、それで充分だった。

 まるで誰かを待つかのように、イチカは下駄(げた)(ばこ)前の廊下をブラブラと彷徨(さまよ)う。


「待って、藤森さん」


 水道(よこ)、裏庭へ続く勝手口の隣りで、希更が呼び止める。

 その後ろ、獅堂このえが、深刻な空気を飲み込んで立っていた。

 希更は(すが)るような空気を滲ませ、無垢な瞳を(うれ)いに曇らせる。


「なんだか急に(つら)そうに出て行ったけど、ひょっとして、どこか具合でも悪いんですか?」


 イチカは希更と目を合わすことができず、(うつむ)いたまま、力なく首を振った。


「…………ううん。そうじゃないんです」


 その雰囲気に、このえは(なか)ば原因を特定しながら、努めて冷静に申し出る。


「なら、なにか悩み事があるのでしょう? 困ったことがあるのなら、わたくしたちが力になりますわよ」


 その優しさに、罪悪感が一層(つの)る。

 その一方で、このまま自分の気持ちを隠し通す方がよっぽど不誠実に思えた。

 イチカは思い切って、二人に本心を打ち明ける。 


「希更ちゃん、獅堂さん。私……。本当はこの学園を、自分から()めようと思ってるんです」


 言おうと決意して置きながら、イチカはくちびるがみっともなく震えるのを感じた。

 希更はイチカの答えを予想していながら、()()それを聞いて、激しく心を()みだす。


「そんな! せっかくこの前、お友達になれたのに……。藤森さんは、忍者に憧れてたんじゃないんですか?」


 この一週間で、自分の実力はいたいほど分かっている。

 自分には、忍びの才能が()()()ない。

 なりたくても、なれない……。

 その()()()()という気持ちも、淡く(はかな)いもので、希更のようなつよい決意とはまったく違う。

(私は結局、忍者になりたいなんて、これっぽっちもおもってなかったのかも知れない……)

 イチカは寂しそうに首を振り、日々、整理されてゆく心境を吐露する。


「確かにそういった気持ちはありました……。でもそれは、男の子がヒーローモノやゲームの主人公に憧れるのとおんなじで、実際に自分がそうなるのとは、少し違うんです」


 くのいちを本気で目指す希更にとって、それはまさしく残酷な告白であった。

 縷々(るる)として語られる本音に、希更は悪夢に(あらが)うような執拗さを見せる。


「そんなの分かりません! 私は男子でもないし、なりたい存在(もの)を目指すのが、

進路とか、希望とか、将来の夢ではないんですか!?」


 くのいちと言えど、一皮()けば普通の女子高生である。

 の学生の誰もが抱える漠然ばくぜんとした不安を、希更は悲痛に絞り出した。

 彼女はいま、イチカの存在に自分自身を重ねている。

 イチカは自分の未来を示唆(しさ)するように、再びボンヤリと首を振った。


「ううん、そうじゃなくて……。今まで憧れていた存在(もの)が、実は想像していた(もの)とは違う、なにか『別の存在』だったんだと思う。自分の願望とか理想を、忍びっていう『身近な存在』にたまたま投影してただけで、本当に望む未来は、きっと別の所にあると思うんです」


 まったく情け容赦のない、()()しの台詞。

 それだけに、老若男女を問わず、現代人によくある感傷かんしょうを正確無比に捉えていた。

 真理の(やいば)が胸を(えぐ)って、希更は喉をカラカラと空転させる。


「別の所……?」


「憧れていた『既存のヒーロー』になるんじゃなくて、『なりたい自分』を目指すこと。そこに必ずしも、くのいちの道があるとは限らないと思うんです……。まぁ、なりたい自分が(なん)なのかは、まだ分かってないんですけどね」


 イチカの自虐的な笑みに、このえは、日曜日の別れ際を思いだした。

 あの日、自分が口にした言葉は、やはりなんの解決も生まなかったのだ。

 失望とも同情とも付かぬ暗い声で、このえはイチカに語りかける。


「藤森さん……。あなた、あの日からいっも踏み出せずに居たんですね」


「……ハイ」


 沈黙が辺りを支配する前に、視界の端で、黄砂の影がすばやく舞い降りる。


「なりたい自分なんて、あちしら若人(わこうど)には重すぎるし、いきなり分かるわけもないだわさ」


 階段と下駄箱をへだてる壁に背中を預けて、怪しい方言を口にする華隠。

 彼女の不意の登場に、三人の中で最も冷静なこのえが、するどく振り向いた。


焰薙(ほむらぎ)さん。貴方(あなた)、いつの間に……。まさか、今の話を聞いてらしたの?」


 華隠はガサツに腕を組み、普段通りの()(だる)い調子で返す。


「聞いてもいたし、聞く気がなくても、イチカと教頭の噂なんて、とっくに(おおやけ)の事実だわさ。まぁ、イチカはこのザマで忍者には向いてないし、それで人生(つぶ)すのも(こく)ってなモンっしょ。さっさと()()()()を辞めて巻き返しを図るのも、立派な選択肢の一つだわさ」


 落ち着いて聞けば穏当な批評だが、言い方が不味(まず)かった。

 他人ひとの神経を逆撫でする口調に、希更は声を荒げて突っかかる。


「そんな事ないわ! たとえ才能がなくっても、忍びを辞める理由にはならないもの!! それとも焰薙(ほむらぎ)さんは、努力を重ねて腕を磨くのが無意味だとでも言うの?」


 希更の有無を言わさぬ空気を()(あま)して、華隠はあらぬ方へと視線を背けた。


「別に、そこまでキツク言っては()りんせんが、忍びの世界はきびしいものと相場が決まってるだわさ。それに、今の希更のセリフ、まるで自分に言い聞かせてるようにも聞こえただわさ」


「クッ……!」


 (のぞみ)(あらた)にする。

 その名前とは裏腹に、古い憧憬(しょうけい)に固執する彼女には、最も指摘されたくなかった事であった。

 希更は目にうっすらと涙を浮かべて、三人の前から瞬時に姿を消した。

 このえは、華隠が放った無神経な言葉に腹を立てて、非難の眼差しを向ける。


焰薙(ほむらぎ)さん。今の言い方は、いくら(なん)でもあんまりですわ。あれでは藤森さんにだけでなく、水野さんにも()()()()を辞めるよう、言ってるみたいじゃありませんの!」


――言いたいことが上手(うま)く伝わらない。

 華隠はもどかしさに、天井を見上げてふかい溜め息をついた。


「さっき、あちし()が教室で使った隠行(おんぎょう)なんて、先生にはアッサリ見抜かれたうえ、素人(しろうと)のイチカにすら、注視されただけで見破られるレベル。つまりはそういう事だわさ……」


 謎かけめいた華隠の(ひと)(ごと)に、イチカは沈黙したまま眉を寄せる。

 相手の困惑した素振(そぶ)りに構わず、華隠はなおも独白を続けた。


「あちし()ごときの隠行(おんぎょう)じゃ、所詮は上級生の(モノ)マネが限界。本物の隠行術なら、あんな事でバレる訳がない。事実、教室では誰も身動きできず、会話だって不可能だっただわさ」


「ぐっ。それは……」


 図星を射されて、このえは思わず小さく呻いた。

 彼女の言う通り、ホームルームの前、イチカの(ひと)(ごと)に平常心を乱し、静寂に小さな亀裂を作ってしまった。

 しかもそれを、忍術無能者であるイチカに気取(けど)られた節すらある。


 抽象的な言葉が続いたが、ただ一つ、明確に言える事がある。

 それは、自分達はあまりにも未熟であることだ。

 答えにだいぶ近付いてきたが、華隠には其処(そこ)までが精々だ。

――これから学園を辞めるヤツに、これ以上、なにが言える?

 華隠は、自分の(くち)下手(べた)を恨んだ。

 お節介さにくさくもなってきた。

 冷静に考えたら、終始(しゅうし)、忍術話に落ち着いている。

 華隠は両手でワシャワシャと頭を()き回して、二人に背中を向ける。


「あ~!! あちしとした事が、何をこんな、しんみり語ってるんだか……。馴れない事なんてする(モン)じゃなかっただわさ!」


 希更に続いて華隠もまた、行く影をとどめずに姿を消した。

 その場に取り残されたイチカは、彼女の残した台詞を思い返して真意を探る。

 (よう)は隠行をダシに、自分達の実力不足を伝えに来たのだ。

 転じてそれは、イチカも希更も、華隠とは大差がない事を示している。


「ひょっとして華隠さん、私を励ましに来てくれたんでしょうか?」


 イチカが曖昧(あいまい)に問いかけると、このえは意味ありげに呟き返す。


「さあ、どうなのかしら? 焰薙(ほむらぎ)華隠。一年生筆頭(ひっとう)の実力を持つ戦闘中毒者(バトルジャンキー)。でも、彼女がそうまでして戦いを求める理由は、一部の先生以外、誰も知りませんわ」


「それじゃあ、あの華隠さんにも、なにか苦しんでる事があるのかも知れませんね」


 このえは短く黙り込み、謎めいた答えを口にする。


「現代社会にしのびあり。何もかもが(いびつ)なこの街では、誰もがそうした命題に(とら)われて居ますのよ」


「もしかして……、獅堂さんもその一人なんですか?」


 このえは何も答えない。

 まるで自分には答える資格がないように、顔を落として沈黙する。

 まもなく、教室(よこ)の階段から、長い黒髪の女性が降りてきた。

 巫女装束に似たしろほうに、緋色袴(ひいろばかま)と紫リボンの短い髪留め。

 土曜日一限の練丹術(れんたんじゅつ)講師、つち(かど)ひなたである。

 ひなたは、廊下で立ち尽くす二人を見付けると、なになく声を掛けた。


「あら? 貴方(あなた)たち、もう授業を始めるわよ」


「あっ、ハイ。いま、席に着きます!」


 反射的に答えるその声に、さっきまでの(かげ)りはない。

 不思議とイチカは、誰かが抱える懊悩(おうのう)と不器用さに照らされて、元の明るさを

取り戻していた。

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