妄想、暴走、即・逃走
学園から1kmほど離れた場所に広がる、忍ヶ丘南部の森林地帯。
険しい密林を背負い、小さな石柱が二本、来訪者を寡黙に出迎える。
サバイバル公園、壇ノ浦。
関東大震災により、遺跡中枢の『蛇骨洞』は完全に崩落。
現在、その周辺地域は、忍者志望の訓練場として一般市民にも開かれており、その入り口には、申し訳程度に公園が敷設されている。
それゆえに、付いた名前が『サバイバル公園・壇ノ浦』という訳だ。
生存本能と隣り合わせのネーミングセンスは、入植者のイチカにとっては全く
親しみが持てない。
公園とは言うものの、最深部の遺跡が崩落して、奥が立ち入り禁止なうえに、
今もなお、本格霊場の一つに挙げられる険路である。
薄気味悪い森の奥から、『ケキョー、ケキョー』と怪鳥の鳴き声がした。
思わず、ブルッと背筋が震える。
話には聞いていたが、実際に足を踏み入れるとなると、やはり怖い。
綻び具合が尋常ならざる袖に縋りつくイチカに、金剛先生が困り顔で不安を
宥める。
「ぬう……。藤森、そうビクビクするな。我々が訓練する位置は、言わば迷宮の
入り口。つまりは安全な場所だ。近所のやんちゃ坊主だって、時には訪れるくらいだぞ」
「やんちゃ坊主って、先生みたいな人のことですか?」
「そっちの坊主ではない! 子供という意味の方だ。それと、先生は坊さんでもなければイタズラ小僧でもないから、早々に考えを改めろ!」
石柱から6メートル先、緊張感の抜ける遣り取りを聞いて、黒髪の少女がクスリと笑った。
「なんだか凄く楽しそうですね……。なにか面白いことでもあったんですか?」
親しみの籠もった呼びかけと儚げな音色。
水色の着流しに、二振りの小太刀を腰裏に差した水野希更である。
公園内に顔見知りの姿を発見したイチカは、心細さが一気に和らいだ。
「あっ、希更ちゃんだ! でも、どうしてこんな所に? 自主訓練でもしてるんですか?」
すると、イチカの背後で金剛先生が仁王立ちに腕を組み、修業風味を一層強く
醸しだす。
「いいや。それは違うぞ、藤森……。彼女こそ、お前と共に訓練を受ける生徒、
水野希更だ」
「えええぇ!? 陽忍術を使える希更ちゃんが、特訓~?」
意外な事実に狼狽えていると、希更が俯き、愁いを帯びた表情で理由を語る。
「私は煙や埃に弱いから、最近は授業の欠席が多くて、単位を不足しがちなの」
希更が事情を言い終えると、金剛先生は自身の顎を一撫でして、訓練教官にピッタリの口調で前口上を始める。
「ふむ……。どうやら二人とも、自己紹介の必要はなさそうだな。なら早速ではあるが、訓練を始めるに当たり、忍者としての心構えを試させてもらう。忍びの基礎概念という奴なのだが……。藤森、4つの要素、すべて答えられるか?」
急な質問でイチカは少し戸惑ったが、愛読書・雪風家伝の記事を参考に、四つの解を諳んじる。
「えっと……。確か、忍・斬・隠・逃の四つです!」
「その通りだ。忍とは忍術や忍具の扱い。斬とは戦闘術。隠は、敵から身を隠す隠密行動を表し、逃は、安全な場所へと逃れる遁走術に当たる」
慎重を期すつもりか、金剛先生は、イチカに非常識な質問を投げかける。
「時に藤森、おまえは今、陽忍術が使えるか?」
するとイチカは、ウンザリとした顔で、手裏剣の先端に付いた吸盤をオデコに
着脱させて弄ぶ。
「そんなのムリに決まってるじゃないですか~。一応、学校から訓練用の模造刀と手裏剣を受け取りましたけど、それだって真面に扱えるかどうか……」
「となると、藤森は自動的に4つの内の隠と逃、すなわち、逃げ担当となる。ちなみにこれは、忍びにとって至上の目的、不居遂任の思想と合致している」
「不居遂任……?」
「居らずして、己が任務を全うする……という意味だ。目的を果たしたところで、敵に見付かって戦闘となれば、『追い剥ぎ』程度と大差ないからな」
続いて金剛先生は、顔の向きを変えて希更に告げる。
「対する水野は、逃げる相手を安全距離から仕留める、命中精度が重要だ。両者の課題を鑑みて、逃げる藤森を水野が追いかけ、手裏剣を投げ当てる特訓が望ましい」
大枠の方針が固まると、金剛先生が首の数珠を前に掲げて、御題を読みあげる。
「ではこれより、特訓を開始する。まず最初は、忍具を携行しつつ、安全区域をグルリと10周せよ。お前たちの基礎体力、この目で確と見届けてくれる!」
戦術教官お決まりの号令が決まると、イチカと希更が同時に応答する。
「ハイ!」 & 「承知!」
一般市民に公園として開かれた安全区域は、一周りがおよそ200メートル。
一周だけならまだしも、10セットとなると、全力で走れば後の訓練に支障をきたす。
金剛先生は、戦術教官の審美眼から、余裕を持った二人の走りに正当な評価を
下した。
「うむ。10と分かれば、己が力量に応じて速度を調節する。ましてこれは、訓練前の小手調べだ。まずは佳き判断と言えよう」
訓練姿勢の全体評価に続いて、金剛先生は、イチカが希更の前を走る点に注目する。
「ほう……。藤森、なかなか様になった走りではないか。さては何処かで指導を
受けたな」
「ハイ! 中学校まで、バスケットボールをしてました」
「なるほど。それで女子特有の、肩を振った走りではない訳か。身体の軸がブレないだけに、疲労や失速が少ない。体力的にも、一般女子のやや上といったところだな」
今度は希更に視線を移すと、上半身を虚脱させた『忍び固有の走り方』でイチカを追尾する。
――忍駆け。
速度が制限される代わりに両手が自由になり、不意の襲撃にも対応できる走り方だ。
そこへ無音走行の単位と、無駄のない足捌きで疲労と失速を防ぐ『神行歩』が
重なることで、初めて『狢走り』が完成する。
ただし、一定の隠行スキルに加え、膝関節への負担と強靱な脚力を要求されるため、今の希更では、習得など及びもつかなかった。
(やはり今の水野には、体力向上と基礎訓練は必須だな……)
戦術教官は、生徒の弱点を正確に見抜き、賞賛の中に教訓をしっかりと混ぜ込む。
「ウム。水野の場合、忍術訓練校を出てるだけあって、基礎がしっかり出来ている。今は藤森に後れを取っているが、所詮は余力を残した走りだ。これがいつ逆転できるかで、『活躍単位』の認定が決まってくる。精進するのだぞ」
最後は希更への激励で結ばれていたが、忍術修業が始まって以来の誉め言葉である。
思わず調子に乗ったイチカは、照れ隠しに卑屈な言葉を並べた。
「エヘヘ……。私って、胸が少し小さいですからね。そのぶん、肩を窄めて走る
動きに、ほとんど抵抗がないんですよ」
偶然にも、斜に構えて受け流す空気が、希更の癇に障った。
劣等感の絡まり縺れた被害妄想に、それまで落ち着いていた呼吸を、不自然に
停止させる。
「な、何ですってええぇぇぇぇぇ!!!!」
突然の怒号と、魂の芯が凍てつく殺気を感じて、イチカが足を止めて振り返る。
「へえっ!? どうしたんですか、希更ちゃん」
聞き捨てならない、その余裕……。
希更は、全身からネットリとした瘴気を放ち、精神病質的な空笑いを持続させる。
「ねえ、藤森さん。さっきの話を要約すると、私の胸が『無い』って事ですよね。遠回しに『ロリぺったん』だとか、莫迦にしてるんですよね? って言うか、そうなんでしょお!!」
糸のキレた操り人形みたく、カタカタと狂った痙攣が猟奇的だ。
確かに、金剛先生の説とイチカの理論を一組にすれば成り立つが、いくら何でも邪推が過ぎる。
しかし、初対面でも『胸』を気にしていたように、彼女にとってソレは、敏感なスイッチのようである。
(こんな殺人鬼、映画で見たことがある……)
イチカは無遠慮にも、クラスメイトを精神異常者に見立てて短く叫んだ。
「ち、違いますって、希更ちゃん!! 私が言いたいのは……」
弁解の途中、イチカの横髪を『シュカ!』と飛来物が掠めた。
「ウワッ!! 今、手裏剣が飛んできた! 戦闘訓練は、まだ先のはずですよ!」
「問答無用!」
父の仇より乳の仇。
阿修羅みたいな形相で迫る希更に、イチカが全力で地面を踏み抜いて逃走する。
――自分はいったい、何をやっているんだろう?
助けを求めてベンチを一瞥するが、大物なのか愚鈍なのか、金剛先生は破顔一笑の構えだ。
手は、カンフー映画の主人公みたいに、『掛かって来い』みたいな体勢で生徒を煽る。
「やる気があって大いに結構。お前たちにその気があるのなら、好きに始めると宜しい!!」
「全然よろしくありませ~~~~ん!」
〇主要霊場
木:愚民の森
火:飛龍製鉄所
土:サバイバル公園・壇ノ浦(蛇骨洞)
金:秩父山岳
水:人口湖『赤壁』
主要霊場の最深部には、天海衆・五忍将が封印されている。
五忍将の解放を目的とした陰忍襲撃により、およそ10年前、忍ヶ丘は甚大な被害を受けた。




