雪風家伝
希更が嬉々として雑誌へと手を伸ばす横で、イチカが驚きの声をあげる。
「それって、私がいつも購読してる忍者雑誌・雪風家伝! どうしてこんな所に……」
すると希更は、イチカに獲物を奪われまいと、俊敏に雑誌を確保。
大切な物を胸元に保持してすぐ、イチカの言葉に疑問を抱いた。
「どうしても何も、この雑誌は、忍ヶ丘でしか流通していない指南書よ。むしろ、忍者でもなかった貴方が、どうしてこの本を知ってるの?」
秘密の多い忍ヶ丘だけに、流通が限定されている可能性は充分にある。
イチカは、希更の詰るような視線と口調に自信を失って、東雲保健医に助けを求めた。
「そんなぁ……。私、姉上に頼んで、送ってもらってるだけですよ。東雲先生、この街でしか売ってないって本当なんですか?」
すると東雲保健医は、イチカの質問に迷わず頷いた。
「ええ、本当のことよ……。噂程度ならまだしも、もし本当に忍者がいるなんて
証拠が世間に出回ったら、とても厄介だもの」
と解説するあいだ、今度は彼女が、イチカの言葉から不穏当な部分を抜きだす。
「ちょっと待って! 藤森さん……。まさか貴方、その雑誌を忍ヶ丘の外で保管しているの!?」
「えっ? あっ、ハイ。そうですけど……。それが何か?」
ポカンとしたイチカの答えに、無表情の希更が、禁則事項をポツリと呟く。
「忍びたる者、妄りに情報漏洩せしは、厳罰に値する……」
「えっ、厳罰?」
呆気に取られるイチカだが、電話一つで万死に相当する、時代錯誤なこの街のことだ。
もし愛読書に忍びの奥義が記されていれば、ある種の情報漏洩と見なされるだろう。
思い返せば家を出る直前、姉の葵とさよが、似たような議論を交わしていた気がする。
(あれっ……。私、試験とか死闘を待たずに、万死に値するとか? 死刑確定?)
イチカの脳裡に、なんだか判らない処刑の数々が去来する。
言葉にすれば、車輪裂きとか逆さ吊しなど、どれもすぐには死ねない『エグイ系』だ。
ちなみに逆さ吊しに関しては、イチカは既に裏門で喰らってるため、その手の
拷問から生還する熟練者と言えなくもない。
――これはいけません……。
と、イチカは俄かに愛想笑いを顔に浮かべて、保健室の主に聞いてみる。
「あの……。ちなみに厳罰って、どんな事になるんですか? アレですよね? せいぜい奉仕活動とか、そう言った感じですよね? たかだか本一冊のことですし」
すると東雲保健医は、同じ所を行ったり来たりと、忙しなく往復しながら、深刻そうに過去の事例を掘り起こす。
「えっと……。昔だったら、敵への寝返りと同様の扱いになるかも知れないから、下手をすると、一族郎党皆殺し…………だったかしら?」
「イチゾクロウトウ、皆ゴロシ……?」
心中、絶望の暗闇にクモの巣状の罅割れが走り、ガシャンと耳障りな音を立てて砕け散った。
イチカは『ポテッ……』と床に崩れ落ちると、恥も外聞もなく世を儚む。
「家族みんなが忍びのせいで、私、ここで死んじゃうの? 短かったぁ~、私の
人生~!」
窓の外を見ると、青空を背景に、姉が半透明にデカデカと浮かんで、こちらに
笑いかけてるように見えた。
どことなく自分を嘲笑ってる気がして、無性に腹が立つ。
イチカが人生のどん底で嘆いていると、長い黒髪を垂らした希更の顔が、視界の端から弩アップで割り込んでくる。
「あの……。絶望に打ち拉がれてる所に悪いんだけど、ちょっと良いかしら?」
イチカはグスッと洟を啜ると、覚悟を決めてしょんぼりと頷いた。
「ハイ……。介錯は出来る限り、すばやく正確にお願いします」
「否、処刑とか切腹の話じゃなくて……。いま言った家族全員が忍びって、どういう事なの?」
希更の喰らい付いた疑問に、東雲保健医も興味を示す。
「そういえば、一般人がその雑誌を手にすること自体、ちょっと不自然ですね。
入手経路としては有り得ないのに」
両者の指摘を総合して、イチカは二人の勘違いに気付く。
(そっか……。綾平先生や、近所に住んでるさよちゃん以外は、私が一般家庭の中から選ばれた生徒としか認識されてないんだ……)
イチカが家族構成を簡単に説明すると、二人の顔に安堵の笑みが広がった。
特に、おっかない想像を口にした東雲保健医は、自分が思い違いをしていた事もあり、両手を慌ただしく振って場を和ます。
「お姉さんが購入して、同じ忍者の家族に送る…………。今では、忍ヶ丘の外に
出て行く人も多いですし、それなら大丈夫ですよ。それにさっきの風習も、大昔に施行された一番厳しい内容を挙げただけで、実際に適用されるのは稀ですから」
「里の出身者が情報漏洩を犯すとは思えないし、おそらく家の人が、最低限の管理くらいしてると思うわ」
希更のボソリとした同意を聞き終えて、イチカはホッと胸を撫で下ろす。
「あ~、良かったぁ……。せっかく創刊号から買い集めてたのに、あやうく買い物が原因で死ぬとか、最低の死因を作る所でした」
「「えっ、創刊号!?」」
希更と東雲保健医の驚愕が不意に重なる。
もしかしたらという期待から、希更は硬直した顔でイチカに尋ねた。
「藤森さん。今、創刊号って言ったけど、ソレってまさか、雪風家伝の初版本とか……」
事情も価値も知らないイチカは、希更の問いに平然と返す。
「ハイ! 私、いま思えば、母上たちの影響で忍者好きに洗脳されていたんですね。たしか十年くらい前に、『忍者の何かが欲しい』って駄々を捏ねたら、姉上が送ってきてくれたんです。それ以来、私の家に毎月届くようになったんですけど……」
答えの途中、イチカは二人の態度から怪しい空気を感じ取り、次第に声が小さくなって、ついには途切れてしまった。
いっぽう質問者の希更は、同じく事情を知るであろう東雲保健医に小さく手招きすると、片手を立てて耳打ちを始めた。
『十年前だと、私もまだ、忍ヶ丘の外に居たので定かではないんですけど……。
時期的に考えて、彼女が持ってる初版本って、本物なんですか?』
東雲保健医はしばし戸惑い、やがて不明瞭に頷く。
『多分、間違いないと思います。確か初版本の付録には、天狗どのが雑誌創刊の御祝いに隠行術の真髄を載せたとかで、ただちに出版差し止めのうえ、『禁書庫』送りになったとか……』
内緒話の声は徐々にヒートアップし、後半のキナ臭い内容は、イチカの耳にもバッチリ届いていた。
「あの、東雲先生。いま、禁書庫とかって聞こえましたけど、なんですか、ソレ……」
イチカの質問に、東雲保健医は、まるで怪談話を聞かせるような声で、ゆっくりと説明を始める。
「学園の近くにある、冠婚葬祭や図書館などの公共施設を集めた、通称、『底知れぬコミュニティーセンター』。その地下に眠る財宝と、忍びの秘伝書を納めた秘密の保管庫。そこに厳重保管されてる物の一つが、雪風家伝・創刊号なの……」
聞くんじゃなかった……。
イチカは今更になって、脱力感から肩を落とす。
「また思いがけない形で、私の記憶に、碌でもない迷宮の名が刻まれてゆく……」
イチカの軽率な発言を、東雲保健医が眉を寄せて注意する。
「ロクでも無いだなんて駄目よ、藤森さん。この忍ヶ丘にとって、禁書庫行きの
書物は、言わば国宝級。それを納めた施設となれば、われわれ忍びにとって絶対
防衛線も同じです」
そうして窘めたかと思えば、東雲保健医は急に猫なで声で、イチカに破格の
待遇を仄めかす。
「あっ、そうだった……! 藤森さん、実は最近、実家から高級カステラと玉露が届いたんですけど、好かったら、少し御茶して行きませんか?」
忍びにしては、あまりにも下手すぎる罠だ!
怪しい悪寒が全身を伝い、イチカはゆっくりと後退る。
「な、なんですか。やぶから棒に……」
同じく、付録狙いの希更が勢いよくシーツを跳ね除け、東雲保健医を激しく非難する。
「そうですよ、先生。お菓子と御茶で藤森さんを籠絡しようだなんて、卑劣です。恥を知って下さい!」
返す刀で、イチカの腕をガッチリ固定。
一人芝居も待ったなしに捲し立てる。
「それより藤森さん、この街のこと、まだよく知りませんよね? えっ、案内して欲しい!? 是非……じゃなくて、その忍務、病を押して任されました!」
どうやら希更は東雲保健医に対抗して、友達関係捏造作戦で来たようだ。
独り善がりな遣り取りのあいだに、イチカは何度も、『あっ、否……』とか、『別に一人で……』などの妨害コマンドを実行するが、相手の希更はサッパリ入力を受け付けない。
それどころか、病人とは思えない俊敏さで身支度を整えて、イチカを保健室の外へと連れだす。
「それでは東雲先生、私は今から藤森さんを街に案内するので、これにて失礼します」
「えっ? あの……。私、別に頼んだ憶えは……。あっ、ちょっと!?」
イチカの戸惑いを宙に残して、同行者共々、一瞬で姿を消す希更。
その場に取り残された東雲保健医は、ガッカリとした様子から一転、再戦の決意を固めて拳を握り込む。
「クッ、別に好いわ……。なにせ私には、忍者服の件がありますから!」
あきえに希更に東雲保健医。
人によって理由は違えど、女性にモテる素質のイチカ。
そんな彼女ですが、このあと孰れ、もっと多くの人に狙われます。




