乙女心と身体測定
学校生活には不安はあるが、一ヶ月半なら、観光気分でギリギリ乗り切れる。
どうせなら、ついでに陽忍術とやらも囓っておこう。
忍術修業など、他所では滅多に出来るものじゃない。
そう思うと、途端に世界が輝いて見えた。
汚れを知らない少年時代のように、玄関を開けて外に出れば、その先に、必ず
何か素敵な事が待っている。
自分をゲームの主人公に置き換える、あの感覚……。
曲がり角には、何が潜んでるのか?
掌で躍る金貨の代わりに、胸一杯の幻想世界。
見知らぬ土地と故郷を隔てる森や川。
世界の命運を左右する試練など、仲間がいれば怖くはなかった。
そう思うと、背中に翼が生えたかのように身体が軽い。
イチカは跳ねるような足取りで廊下を進む。
校舎一階、東の最奥は宿直室で、保健室はその手前、東側昇降口の隣りにあった。
と其処でイチカは、ふと我に返った。
良く考えると、自分は一人ぼっちだ。
仲間など居るわけがない。
未知なる世界を冒険中の積もりだったが、この街は文字通り、危険を冒す忍びの世界。
メルヘン気分を緊張感に変えて、イチカはそっと保健室のドアに手を掛ける。
「失礼しま~す……。転校生の藤森イチカで~す。身体測定を受けに来ました~」
おっかなびっくりに扉を開けると、室内はごくごく普通の保健室であった。
ただ、他校と比べて実践的な授業が多いせいか、診療机が病院でよく見る本格的なタイプに近い。
レントゲン写真を貼り付け、裏から照明を当てる専門的な造りだが、威圧感や血腥さを感じないのは、室内の開放的な印象の御陰だろう。
木造校舎には珍しいリノリウムの床と、清潔で熱が溜まりにくいタイル壁。
風通しの良い広い窓で、純白のカーテンが風にそよいでいる。
診療机の前では、保健医の東雲清蘭が回転椅子に座り、転校生の来訪を待っていた。
薄桃色の看護服と白いエプロンを小さく揺らし、イチカへ柔和に微笑みかける。
「あら、ようやく来たわね……。初めまして。私は当学園の保健医、東雲清蘭よ。怪我や悩みごと、ほかにも色々と困ったことがあったら、なんでも相談に乗るわ」
容姿だけでなく、声もまた雲のように柔らかく、そよ風を連想させる涼しさである。
ボディラインは決して妖艶ではないが、それが却って控え目な魅力として、癒しの要素を引き立てている。
昔は好く、色の白いは七難隠すと言ったが、そこに細面で垂れ目の母性が加わっては、異性の難からは逃れるべくもない。
イチカは思わず彼女に見惚れて、その場に呆然と立ち尽くす。
「うわあ、綺麗……」
イチカの呟きを耳にして、東雲保健医は、くすぐったい笑みを浮かべた。
「フフッ、ありがとう……。でも、女性からいきなりそう言われたのは、あなたが初めてよ」
「あっ、ごめんなさい! 私ったら、つい……」
「謝らなくてもいいわよ。それより、はやく中にいらっしゃい。開けっ放しで身体測定なんて出来ないでしょう?」
「あっ、ハイ。そうですね」
イチカは入室して扉を閉めると、脱ぎ終えた衣服を空きベッドの上に畳んで、
身長、体重、スリーサイズの測定を受ける。
その途中途中に、イチカは保健室繋がりで、授業での負傷について質問してみた。
「あの、東雲先生……。授業中は、主にどんな怪我に気を付けるべきなんですか?」
口を動かしながらも、身長計に乗るイチカ。
東雲保健医は、イチカの天辺に測定器具を調節し、端に刻まれた目盛りに注目する。
「そうねぇ……。数で言うと、打ち身が多いかしら。忍者と一口に言っても、格闘主体の娘も居るし、刃だって刃は潰してあるから、全体的に被害が打撲傷となるの。だからこうして身体測定を受けて、忍者服を新調しないと駄目なのよ」
言い終えるあいだに、座高の測定へと移っていた。
イチカは背筋を伸ばして椅子に腰掛け、背凭れとの間に適度な隙間を作る。
「そういえば忍者服って、無音走行や身のこなしだけじゃなくて、もしもの時の
防具にもなるんでしたっけ」
「ええ、そうね……。ただ、この忍ヶ丘では陽忍術の影響と個人の癖もあるから、色々と細かい調整が必要になるの。ちなみにそういったことは、授業や特訓を通して初めて分かることだから、自分専用の装備が完成するには、もう少し時間が掛かると思うわ」
「なら、しばらくは私服とかで授業を受けても良いんですか♪」
微笑ましい発想に、東雲保健医は和やかに注意する。
「そうは行きませんよ。間に合わせの忍者服がありますから、当面はそれで我慢して下さい。じゃ、あっちに乗って」
身長と座高を測り終え、あっちの正体が体重計だと気付き、反射的に及び腰となった。
イチカは上体を前に屈め、両手を膝について哀願する。
「うわあぁ……。やらなきゃ駄目ですかぁ~?」
生徒の泣きつくような反応を見て、東雲保健医が面白半分の空気で指導する。
「当たり前じゃないですか。ホラッ、チャチャッと乗る!」
「はぁい……」
審判の時は来た。
忍びの里にも電気は来ている。
電子計測の体重計が、非情にも物理法則に則った数字を吐きだし、抗いようのない事実を酷示する。
精神的な責め苦を越えた先には、今度はスリーサイズの測定が待っていた。
本人の健康と安全を守る身体測定は、その親切さとは裏腹に、思春期の婦女子にとって、サブミッションのような悪辣な機能で構成されている。
少しでも計測結果を惑わせよう。
でも、悪い方には止めて……。
と、複雑な乙女心を働かせて、イチカは東雲保健医に話しかける。
「今まで、酷い怪我ってどんなのがありましたか?」
イチカの妨害もなんのその。
東雲保健医は過たずメジャーを操り、ウエストを正確に計測する。
「午前中は、先生がたの監督があるから良いのだけれど、午後、『霊場』の探索に向かった娘の中には、深刻な症状もありますよ? 額パックリとか、内臓が見えてるものとか……」
「内臓見えてるって、普通、死んじゃいますよ!」
驚きに息を飲んだ拍子に、メジャーの締め付けに狂いが生じた。
東雲保健医の口から、すばやくクレームが飛び出す。
「あっ、こら! 無闇にお腹を動かさないの。誤差が出るでしょ」
「あっ、済みません。スウゥゥゥ…………」
女子高生のムダな抵抗に、東雲保健医が軽く吹きだす。
「吐くな吐くな……。そんなにムリして、お腹を凹まさない!」
「ううぅ、だってぇ~」
注意を受けて元のサイズを保つが、骨太の健康体で、取り立てて太っているとは言えない。
ストンとまっすぐ見下ろすと、緩やかな稜線の隙間から、内側へ弓なりの平野が見えた。
(っていうか、まっすぐ見下ろせるんだ、私……)
視界良好の事実に、沈痛な面持ちで閉口するイチカ。
胴回りの計測も終わり、東雲保健医は臀部にメジャーを通して、イチカの心境を言い当てる。
「藤森さんは、忍びの修練なんて……と思うかも知れないけど、実際には、凄く為になるのよ。忍びの体技を修めれば、運動・勉強・休息の方法を身体が憶えて、常に最適な状態で生活に臨めるの。一流大学なんかより、この学園に通いたいって娘も沢山いるんだから」
東雲保健医は雑談を軽く交え、スリーサイズを記入しながら問う。
「藤森さん、たとえば一秒間に二つの事をこなせる人と、一つの事しか出来ない人。寿命はたまたま一緒だとして、どちらの方が長生きしたと思う?」
イチカは質問に集中し、下着姿のまま、眉間に皺を寄せる。
「えっと……。一秒にふた……、あっ! 否、どっちも同じです!」
子供染みた問答をなんとか切り抜けるが、東雲保健医の意図は別にあった。
「そうね……。でも、片方は二倍の行動を行い、その分だけの経験を積んだ。主観的に見れば、もう片方よりも、二倍は長く生きたのと同じなの」
「つまりは戦いだけでなく、普段からも、充実した日々を送れるって意味ですか?」
「そう言うことです♪」
ややあって、必要事項の記入が終わると、東雲保健医は、計測結果を悪戯っぽく読み上げる。
「ふうぅん、体重は○5キロか……。変なダイエットはしてないみたいね。優秀♪」
「言わなくても良いのにぃ~」
拗ねた感じが可愛く思えて、東雲保健医が軽快に鼻を鳴らした。
「フフッ……。最近の娘は、体重を気にしすぎですよ。それじゃ、これが間に合わせの忍者服ですから、しばらくはソレを着たままで過ごして下さいね」
「むうぅぅ……。はぁ~い」
イチカは着替え用と予備の二着を受け取り、ベッド脇に移動してカーテンを閉める。
壁に貼られた掲示物を参考にして、忍者服へと着替えるあいだ、イチカは、東雲保健医の語る訓練計画に耳を傾けた。
イチカと東雲保険医のやりとりは、猫のじゃれ合いみたいで楽しく書けました。




