転校
皆さん、初めまして。桜花山水です。
文章が読みやすくなるよう、本作の肝となる80話を除いて、レイアウトの大幅変更や章立てを行いました。
現状、完結指定にしておいて活動は中断していますが、2巻目以降の設定は出来あがっていますので、機会があれば執筆&投稿しようかと思います。
では、1話からどうぞ。
世に、陰陽五行の力を借りる異形の術あり。
木の神通力、火の法術、土の練丹術、金の氣術、水の霊術。
五芒星を描くその力は、木から火、火から土、土から金と、五つの循環する要素が力を高めて相生し、対極にある力を相剋して打ち消す。
森羅万象の理に応じたその特殊な力を、今なお現代社会に生きる『忍び』達はこう呼んだ。
――陽忍術、と……。
五月上旬、高校一年目のゴールデンウィーク。
イチカは壁際のクローゼットを開けると、鼻唄混じりに、お気に入りのカーディガンへと手を伸ばす。
(もう冬もとっくに過ぎたし、さすがにコレじゃ、すこし暑いかなぁ……)
一度だけ袖を通してから、すぐ止めにした。
これを着るのは、今度の秋までお預けにしよう。
とはいえ、ときおり風は冷たい。
シャツの上から黒い柔毛の上着を通して、下は臙脂色のミニスカート。
腰まわりに締めたベルトには、ウエストポーチを左右に一つずつ装着。
濃紺厚手のデニムリュックに貴重品を入れて、外出準備が整った。
ポーチの中には、季節に合わせたお菓子が入っている。
ビニール袋に密閉された、薄桃色や淡い緑の色鮮やかな金平糖。
2階の自室から階段を降りるたび、袋の中でザクザクと勇ましい音を奏でる。
財宝みたいで良い気分だ……。
そうして階段を降り終えると、台所から洗い物の音が聞こえてくる。
「行って来ま~す」
イチカは横着にも玄関前で呼びかけると、ドアの向こうから、母親に呼び止められた。
「あら、イチカ? ちょうど良かった。実は、貴方に言っとかなくちゃいけない事があったの。ちょっと此方にいらっしゃい」
朝御飯も食べたし、宿題だって気にする程の量じゃない。
イチカは怪訝な表情でリビングの扉を開けると、流しで洗い物を続ける母へ、カウンター越しに話し掛ける。
「言って置かねばならぬ事とは何ですか、母上……」
現代人ならまず最初に、イチカの言葉づかいに疑問を抱く所だが、あろう事か、この武家言葉こそ、藤森家の標準仕様。
したがって、自ら進んで時代錯誤な言語教育を揮った張本人、藤森さやかが口にしたのは、娘の言動とはまったく別の内容であった。
「アンタ、来月から今の高校を辞めて、隣り街にある別の高校へ行く事になったから」
「……………………」
当然の長い沈黙。
やはりこの母親、頭が少しおかしいのだ。
いったい何の権限があって、本人の許可なしにそんな事が出来るというのか。
イチカは失意の忘却から抜け出して、胸に渦巻く怒りを、ほんの短い文言に託して叫ぶ。
「はぁ? 今の高校を辞めてぇ?」
イチカの母は、良心の呵責を一切交えず、洗い物の片付けをしながら淡々と返す。
「当たり前じゃない。それとも何? アンタ、高校を2つも掛け持ちする気なの?」
「否、嫌、厭、そうでは無くて! 私はついこの間、せっかく厳しい受験戦争を乗り切って入学したというのに、それを一ヶ月そこらで転校しろと言うんですか? しかも、本人の与り知らぬ形で!」
「だって仕方ないじゃないの。厳正な書類審査のうえ、先方たっての願いなんだもの。学校からの推薦誘致なんて、現代教育では滅多にない事なのよ? もっと誇りに思いなさい」
気のない素振りで放った台詞が、イチカの功名心を刺激する。
言われてみると、確かにそうかも知れない。
仲の良かった友達とも、受験先の関係で、別の高校へと離れ離れになっている。
イチカは其処まで考えて、どうせならばと好条件を引き出すために、心にもない難色を示した。
「まぁ、そこまで相手に言われては、無碍に断れないのも判ります。ですが、私にだって立場という物があります。ホイホイと自分の居場所を変えるような、無節操な人間じゃありません! まして、何処とも知れない歴史の浅い学校なんてお断りですよ!」
するとイチカの母は、好都合とばかりに声を弾ませる。
「あら、それなら大丈夫よ。なにせ、私の通ってた学校ですもの♪」
「へっ? 母上の母校って……。それじゃあ母上も、そこで勉強してたんですか?」
意外な事実に、俄然、興味を示すイチカ。
イチカの母も思わず得意気な表情で振り返り、上機嫌に話を膨らませる。
「いいえ、それだけじゃないわよ。歴史だって超古い! 技は戦国、創立は明治。その実績は、ざっと150年って所かしらね」
「百五十年~!? ソレってもしかすると、都内の有名大学と同じくらいって事ですよね? 凄い凄い♪ 私、そんな所からスカウトされてるなんて、夢にも思いませんでした」
額面通りに話を捉えたイチカは、その場でピョンピョンと小さく飛び跳ねる。
ひとしきり喜びを噛み締めたあと、期待を胸一杯に膨らませて、カウンターの上から前のめりに尋ねた。
「母上! それで、その超名門校とやらは、いったい何処にあるんですか?」
「何処って、名前だけなら聞いた事がない? 隣り街の『忍ヶ丘』って所なんだけど」
「ああ! 姉上が、私好みの雑誌や品物を送ってきてくれる、あの場所ですね♪」
「そうよ。葵は忍ヶ丘に一人暮らしで、大学に通ってるんですもの。ちょうど好いから、アンタも其処に下宿させて貰いなさい」
するとイチカは一瞬、言葉に詰まり、視線を宙に彷徨わせる。
「姉上と会うのは小学校の時以来ですから、一緒に暮らすのも悪くないなぁ……」
イチカとは四つ違いの姉・藤森葵は、なにをするにも要領がよく、近所でも評判の秀才であった。
だが、イチカが小学校に上がる頃、彼女は持ち前の運動神経を見込まれて、スポーツ推薦で隣り街の市立小学校に転校している。
葵はその後どういう訳か、盆・暮れ・正月にすら実家へ戻る事はなかった。
その代わり、愚図るイチカへ横に長い『短冊状の文』と、イチカ好みの雑誌や
土産物が毎月送られてきた。
(これも一つの縁という奴でしょうか……)
目を閉じると、瞼の裏で、幼き日の姉が微笑む。
自分と姉をつなぐ絆が、思い出以外に、毎月の贈り物だけというのは寂しすぎる。
今度は欲望とは別に、イチカの胸に純粋な想いが生まれた。
懐かしさから強く頷き、イチカは女子高生らしからぬ、古臭い言葉づかいで宣誓する。
「不肖、この藤森イチカ、決心しました。明くる月の水無月、私はその学校へ転校します!!」
藤森家家訓の一つ、『誓願』が打ち立てられた。
藤森家曰く、人生とは一瞬一瞬を懸命に生き、己が意志を未来へ繋ぐ行為である。
この誓いは、決して破られる事はない!
誓願を破りし時、それ即ち、イチカが自身の過去を捨てることを意味している。
思わず母もガッツポーズ。
不退転の決意を固める我が子に、敬意を込めた笑みを捧げる。
「よく言ったわ、イチカ! それでこそ藤森家の一員よ。いったん誓願を口にした以上、途中で責務を投げ出すことは決して許されないわ」
「それは元より承知の上です、母上!」
イチカは母に断言すると、いくらか時代掛かった口調を残して再び尋ねる。
「して、これから通うその学校ですが、如何なる名前なのですか?」
すると母親は、待ってましたと云わん許りに腰へ手を当て、不敵な笑みを浮かべる。
「フッフッフッフッ……。聞いて驚きなさい、イチカ。あなたが来月から通う高校は、その名も、『忍ヶ丘・くのいち忍術学園』。貴方はそこで、くのいちとして
忍術修業するのよ!!」
注意一瞬、怪我一生。
その奇天烈な内容も然ることながら、イチカは直感した。
これこそ、姉が長年帰って来なかった理由なのだ!
それどころか、もしかすると自分と同じように、ウッカリ誓願を立ててしまった可能性すら考えられる。
イチカはまさかの事実に驚き、後悔から顔面をクシャクシャに歪めて叫ぶ。
「えええぇぇ!! 忍術修行ぅ~!?」