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【2022/5/26】修正/加筆済み

「成長のために働かせていただいて貰ってるんだろ、義贋!」


「よくこんな成績で会社、来れるねえ、義贋君」


「帰る暇あったら営業だろ、社会人なんだよ、分かってんのか、義贋」


「勿論、課長が正しいですよねぇ、なあ、義贋……って義贋もほら頭下げる!」


「駅前で名刺配る、それが終わったら、社則を五十回叫ぶ、声出せ、義贋!」


「ほら酒を注ぎに行けよ、分かってんだろ義贋よお!」


「飲んで飲んで! ほら義贋、もう一軒行くぞ!」


 いつもの怒号が脳内でリピート再生される。

 二日酔いもあり、義贋総司郎は吉祥寺の井の頭公園でぼーっとベンチに座りこんでいた。


 休日の土曜日なのに、何故俺は無給で訪問販売なんてしているんだ。

 月収十四万の為に、何故ここまでしなくてはいけないんだ。


 ブラック会社で働かずに新しい仕事を探せばいいのだろうが、三十五歳の俺にとって転職そのものが次のブラック会社に繋がってしまうのも分かっていた。


「もっと勉強していい会社に入れば良かったか」


 周りを見渡すと同じように井の頭公園のベンチで頭を抱えているサラリーマンが目に入った。

 地元の友人は東京大学卒で誰もが知っている超大手企業に就職したけど、数日は家に帰れず、上司にこびへつらう毎日だとぼやいていたのを思い出した。


 ホワイトな職場なんて存在しないか、前世で相当な善行を行っていないと巡り合えないらしい。


 井の頭公園の池の周りは、幸せそうなカップルや子連れの親子も歩いていた。

 あの人達も生きていくうえで大変なことはあるだろうが、なんて幸せそうなんだろう。

 

 俺は大変なだけで、幸せだなんて思えることは一つもない。

 普通に憧れて上京したが、普通に生きるのがこんなに難しいなんて思わなかった。


 彼女もなく、金もなく、仕事も上手くいかない三重苦だ。

 生きるために働いているのか、働く為に生きているのか、ここ最近は全く分からない。


「さて、そろそろ行かないと、仕事を取ってこなきゃ……」


 身体は疲れていないが、ふらつく足で立ち上がる。

 泥水の中にいるようだ。心はもう歩きたくないと叫んでいるようだが、心の耳を塞いで一歩を踏み出す。


「きゃっ」

「おっと」


 俺がふらふらと歩き出したせいで、歩いていた人に気が付かず、ぶつかってしまう。

 相手は眼鏡をかけた三つ編みのセーラー服姿の女子高生だった。


「ごめんね、君」


 尻もちをついた女子高生へそっと手を伸ばすが、出した後におっさんが手を出して気持ち悪いかなと考えて動きが鈍ってしまう。

 しかし眼鏡をした少女は何も気にせず「ありがとうございます」といって、俺の手を掴んで立ち上がった。


 少女は色白な手で制服を叩いて土ぼこりを落とし、俺の顔を見て目を見開く。


「えっと、どうかした」


 見開いたかと思うと、焦点が定まらず空や風景を見回しているようだった。

 数秒間そうしていたかと思うと、次第に瞳の動きは遅くなり、起き抜けのようにぼーっとしていく。


「だ、大丈夫、何処か打った?」


「あ—……いえ、すみません、大丈夫です」


 俺の声にハッとして正気に戻り、ぱっと手を放して再度「大丈夫ですから」と言って駆けだしていってしまった。


「やっぱ、おっさんだとちょっと驚いちゃったよな」


 俺は軽く頭を掻いてぼやき、すぐに歩きだす。

 生気の抜けたおっさんじゃ尚更気味悪がられたかもしれない。

 そこは正直申し訳なかった。なら手を差し出さなければ良かったと反省する。


 しかしなんだかよく分からないが、ぼーっとした子だった。

 けれど、若いことが羨ましい。彼女は輝いていてそれだけで様々な未来への選択肢が用意されているようだった。


「はあ、ぱっとしない人生だ」


 俺のように人生の選択を誤り、選択肢すら残っていない「生活の奴隷」のような人間じゃなかった。


 彼女のように多彩な選択肢が残る若さに戻ることはできないが、俺もこの辺りの家族やカップルのように『誰かのために生きる』事が出来れば、人生は楽しいのだろうか。


 社会のルールやがんじがらめの人間関係だけに悩むことは、なくなるのだろうか。

 自分の意志や選択を尊重して、人生を歩んでいけるのだろうか。


「……はあ」


 無理だろうな。

 仕事で出会いの時間もなければ、金もない。

 そして圧倒的にこれまでの人生の積み重ねが不足していた。


 全部自分の選択が悪いと、ただ流れに身を任せてきた自分が悪なのだと、気が付いたときには遅いのだ。


「けどさ、俺も誰かを幸せにして笑顔にしてさ、誰かも俺の笑顔で幸せになってほしい。一度でいいからそんな絵空事みたいな綺麗ごとみたいな時間を生きたいじゃないか」


 空を仰ぎ見て、何度目かの溜息をつく。

 出来ることなら守りたい誰かの為に生きてみたい。

 それが幸せかどうかすら判断できるチャンスもないなんて悔しすぎる。


「————大丈夫ですよ!」

「うおっ!」


 突然の元気な声に俺は口から心臓が出そうになり、その場で文字通り飛び跳ねる。


「あの、先ほどのお礼です、ありがとうございました!」


 女子高生は俺の胸に豆腐ドーナツを押し付ける。


「このドーナツは確か……」

 

 井の頭公園の入り口くらいで売られていた豆腐ドーナツだったと思う。

 この女子高生、まさかそれを買いにさっきは走り去っていったのか?

 俺がぶつかったのに、ただ手を差し伸べただけなのに?

 そんな些細なことで——?


「わ、私が見たことは本当になるから——おじさんは優しい人だから、優しさは必ず廻ってきます!」


 少女は「忘れないでください、辛くても必ずです!」と最高の笑顔と共に駆けていく。


 俺は突然渡された豆腐ドーナツを頬張り、なんだか目頭が熱くなった。

 必ず、なんて大人になったら苦し紛れにしか使わない。


 けど今はその「必ず」が心に強く鳴り響く。


「分かってるけど、改めておじさんって呼ばれると、結構きついなあ……」


 きっと、おじさんと呼ばれたから俺は泣いているのだ。




 ★ ★ ★




 そろそろ辺りが暗くなった頃。


 俺は営業での収穫がないまま、絶望的な気持ちで再び井の頭公園のベンチに座っていた。

 現実はいくらやる気を出したって、早々すぐに上手くいくわけじゃなかった。


 これじゃ出社した月曜日にまた怒号が飛んでくる。

 そう思うと心がまた沈んだ。


 まあいい、明日は日曜日だ。

 日曜日にしっかりと寝て、少しでも心の栄養にしなければいけない。


「お、義贋じゃないか」


 けれど、今だけは絶対に聞きたくない声が、頭上から聞こえた。


「部長……」


 そういえば吉祥寺に住んでたっけ。思い出したくもない事実だが。

 よく見ると部長の隣には小奇麗な奥さんの他に赤ちゃんを乗せたベビーカーも置かれていた。


 部長は俺の様子を見るやいなや、「その様子じゃ全然ダメだったようだな」と苦笑いする。

 内心ではそれが面白くて仕方ないというのが口元から見て取れる。


「ええ、まあ」


 俺は「ははは」と乾いた笑いを浮かべる。

 下手に言葉を言い返すと、その言葉の上げ足をすぐにとってくるからだ。


「こんなところで休んでいるからお前はダメなんだ。休まなければいつか仕事は取れる。営業は常にお客様の事を優先して努力だ。お客様の為に無償で働き、全力で会社に貢献するんだぞ、この俺のようにな」


 あらあらと奥さんはにっこり笑っている。奥さんとお子さんに罪はないが、普段の部長を知っているからこそ、家族の前で良い人ぶる部長の顔は見たくなかった。


 正直、心の奥にどす黒い雲が渦巻いていくのがよく分かる。

 けど何とか憎しみを抑え、喉から声をやっと絞りだした。


「あ、ありがとうございます、では直帰しますので、また月曜日に」


 これ以上この場にいたら心が砕けそうだ。

 俺は足早にその場を後にしようとするが、部長がさっと手を上げて俺を制する。


「義贋、あの資料まとめておいてくれ、月曜までな、俺のデスクに頼む」


 ニヤリと笑う目元。

 こいつ——ワザとこのタイミングで仕事を振りやがったな。


「——分かりました」


 日曜日も消えた。

 なんでいつもこうなんだ、他人の物事にばかり左右される俺の人生。


 がんじがらめで選択肢なんてない未来。

 一生救いのない世界。


「きゃああああ!」


 得意げな部長を背にして足早に歩き出した直後、断末魔の叫び声が聞こえる。


 振り返ると部長たちの目の前に、いつの間にか全身が真っ青な炎に包まれた、二足歩行の毛むくじゃらのバケモノがいた。

 見ようによっては燃える狼男だった。

この度は作品を読んでいただきありがとうございます。


『少し先を読んでもいいかなぁ』

『異世界 VS 現代SFに興味がある』

『かっこいいバトルと可愛いヒロインがもっとみたいかも』


と思っていただけましたら、最新話の広告下にある評価や、下のブクマを頂けますと、作品を続けていけるモチベーションへと繋がります。

もしよろしければお気軽にどうぞ。

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