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聖刻の鉄道と歴史

この話で一旦完結表示とします

 

 1918年末、第二次世界大戦が終結すると、沙羅皇国の条西城県、条北条県、条南条県は切り離された。他国の国力分散を目的とした政策である。

 アルゴストリオン王国の聖刻自治州として編入されたが、元々王族が血縁関係で国境もパスポート無しで行き来できるところであったため、国民の影響は少なかった。


 1920年に第一次魔導革命が起きると、あらゆる面で人類は飛躍した。

 特に土木工事は凄まじく、最も中心となったアルゴストリオン王国は高速鉄道が再発展した。


 1921年に長大トンネルを100ほど掘り進め、複々線化が達成された。王都オストックから聖刻中央までの所要時間が22時間から9時間へと短縮された。

 スイッチバックや急勾配、迂回も解消された。


 オストックから聖刻中央を経由して東上までを結ぶ東聖刻本線。

 聖刻中央からカレーまでを結ぶ西聖刻本線。

 聖刻中央からロードスを経由してトロンヘイムまでを結ぶ聖刻縦断線。

 オストックからロードスまでを結ぶ王国横断本線。

 オストックからトロンヘイムを経由してアルダまでを結ぶ王国縦断本線。

 オストックから共和国へ至るオストック本線。


 1925年までに高規格での整備が進められた。

 支線も一部を除き、1930年までには改良工事が完了している。


 1930年にはサラトフ(沙羅皇国が戦後、ドルトン・パルミ国と連合を組んだ際に使用された名前)が独立し、沙羅皇国が再誕する。

 この時期に第二次魔導革命が起き、協定を結んでいた沙羅皇国とアルゴストリオン王国は更なる発展を遂げる。


 鉄道分野では、車両の高速化を実現した。

 魔導機関の利用が簡易的となり、効率も爆上がりした影響だ。

 昼行特急では、最高時速210kmでの運転を可能にした。もちろん、科学技術も相乗効果で発展し、安全に運行できるシステムが確立されたからこそできた芸当だ。

 

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