第0話 2
2
製造部の中間プラントは旧事務棟から比較的近いためすぐに到着できた。中間プラント入り口シャッター前には早くも銀色の防護服を着た自衛消防隊員が10名ほど集まっていた。自衛消防隊とは普段は工場内で自分の仕事をしているが、有事には場内の消火活動などを行う組織のことだ。隊員の中にはあたしの同期の月平も来ていた。体が大きいからすぐにわかるよ。
自衛消防隊に指示を出しているのは、製造部の狩場沢部長。普段から鬼より怖いと恐れられている人で、今はさらに殺気立っていた。
「なにが漏れたか報告しろ!」
「はい!パイロットプラントのKC-MoNStEr ⅡのAIRBAG FLOG-5050です!」
若い隊員が緊張しているのか、まるで軍隊のような口調で報告する。
「まずいな。量は?今どんな状況だ?早くしろ!」
うわっ、いらいらしているのがここまで伝わるよー。
「はい!製造サイズは500リッターで、全量流出した模様です。現在はプラントの中にいて、まだ建屋外には出ていません!」
「よし!今のうちに押さえ込むぞ!環境安全いるか?MSDSで有害性と漏洩時の対策を報告しろ!」
MSDSとは、MoNStEr Safety Data Sheetの略で、MoNStErを取り扱ったり、輸送したりするときの危険性について書かれたモノだ。
あたしは持ってきたタブレットPCのMSDSソフトで該当の製品を検索してから、本能寺先輩にすっと手渡した。部長に自分で直接報告するのは恐いので。
先輩はあたしをにらみながら、
「えー、有害性は、『皮膚から刺激性物質を放出する恐れあり。衝撃によって膨張する恐れあり。食欲が旺盛で基本何でも摂取する。河川に漏洩すると汚染の恐れがある』、漏洩時の対策は、『直接素手で触らない。目に刺激物が入らないようにする。刺激を出来るだけ与えない。回収した製品は素早く密閉容器に入れて冷却する。回収はできるだけ膨張する前に行う。膨張した場合はネット等で動けなくしてから吸引器等により小さくする』とのことです!」
「よし!防護服がきちんと着られているか、お互いに点検してから、建屋に突入だ!防毒マスクも忘れるな!それから防護ネットと回収用の1トンコンテナを用意しろ!」
隊員達は慣れているのか、既にネットやスコップを持ってきており、後ろからフォークリフトで金属製の1トンのIBCコンテナが運ばれて来た。
「さあ、行くぞ!」
狩場沢部長はなんだかいきいきと中間プラント建屋の開いている大きなシャッターに向かっていった。もしかしてトラブルで張り切るタイプなの?
自衛消防隊員三名が部長とともに建屋に突入した途端、建屋の金属製のシャッターが膨張して、部長と隊員達が押し出されてきた。
「なんてこった!既に中で膨張しているぞ!」
「部長!中間プラントに繋がっている原料タンクの貯蔵量がどんどん少なくなっています!原料配管が破れて、そこから吸い取られているかのようです!原料名は酢酸ブチル、有機溶剤です!20キロリッター容量のタンクに12キロリッターの貯蔵量のはずですが・・・、えーと現在9キロリッターまで残量が減少していて、まだ下がっています!」
「第一プラントと第二プラントに今現在、酢酸ブチルを引いているか聞いとけ!おい本能寺!酢酸ブチルが飲まれたときの危険性を挙げろ!」
うっわー、3000リッターも酢ブチ飲んじゃったんだ。3000リッターといったら、お風呂15杯分の量だよー。もったいなー。(注:マキちゃんちのお風呂は200リッターです)
「酢酸ブチルは危険物四類第二石油類で、引火性が強く、眼の刺激、水生生物に有害、引火点は22℃、発火点は425℃、爆発範囲は1.2から7.6%、蒸気密度は4.0で空気より重く、液体の密度は0.882で水に溶けにくく水に浮きやすい、蒸気の暴露限界はACGIHによると150ppmと言われています。三浦市の現在の気温は12℃、風速は北西から3m。以上のことから推定すると、最大のリスクは酢酸ブチルの漏洩による河川の汚染、次に漏洩した酢酸ブチルに静電気着火による大規模火災、さらには構内の従業員への健康被害が懸念されます!」
えー、先輩はタブレットPCを見ないですらすら答えちゃったよ!なにこの人、全部憶えてるの?まったく化学オタクってやつは・・・。
緊急事態にもかかわらず、あたしが妙な感心(八割はあきれている)をしていると、本能寺先輩があたしのほっぺたをつねりながら、「おい、マキちゃん。なんか失礼なことを考えていただろう?」とにらみつけてきた。
「いふぁい、いふぁいですっ。わふぁしのこころを読まないでくだひゃいよ!」
「本当に思っていたのか・・・」先輩が思いっきりため息をついた。
「それにしても500リッターのFLOGがベッセルから全量漏れ出すなんて、不自然だな・・・」本能寺先輩が不思議がっている。