07. 佐久間と陛下、ドラゴンを見る。
街の中に入ると一気に人の波に飲まれそうになった。行き交う人を避けながら、馬の手綱を引く陛下の後に続く。
顔立ちを見ていると、本当に西洋系の人が多いようだ。私のようなアジア系は服装も珍しいらしく、ちらちらと視線が向けられる。居住まいの悪さに身を竦ませ、前を歩く陛下を見た。
どこの誰かが分からなかったため出来るだけ当たり障りのない態度を取っていたが、皇帝となると話は別だ。気を付けなければ私の首がひとつかふたつは跳んでいる。……しかし、本当に皇帝なんだよなぁ、としっかりと鍛えられた背中を見て思う。想像していた皇帝は、もっと威厳たっぷりで近寄りがたく、もっと怖い存在だった。それなのに、実際に目の前にいる皇帝陛下――ルドルフ・フォン・ハプスブルク様は気さくだ。話しかけやすい。何故だろう。
伯爵だったこともあるのだろうか……でも伯爵も偉そうでお金持ちのイメージがあるよな……変わっている、のか? それともこれがオーソドックスなのだろうか。
「サクマ、ちょっとここで待ってろ。何かあったらすぐ呼べ」
「はい」
馬がたくさんいるところに着いた。厩の前で私は待機し、陛下が馬を連れて店主のいるカウンターへと向かう。二人とも目立つ格好をしているから、離れた方が多少は都合がいいだろう。厩を覗くと、色んな毛並みの馬が並んでいる。触ってみたいが、商品だから怒られてしまうだろう。……今回売るあの子、盗品だけどバレないのかな……そう思いながら馬を眺めていると、影が上から降って来た。見上げた空にいたのは、長い首に長い尻尾、大きな皮膜を広げて飛ぶ、ドラゴン……ドラゴン!?
「サクマ、終わったぞ」
店から出て来た陛下は、大きな布製の袋を持っていた。コインがたくさん入っていそうだが、今はそれどころじゃない。
「どうしたんだ?」
「陛下……今、ドラゴンが空飛んでた」
「ドラゴン?」
「ドラゴン。竜です。こんな大きいのが」
陛下が空を見上げる。白い雲が所々に浮かんでいる、抜けるような青い空だ。
「いないぞ。腹が空きすぎて幻覚が見えたか?」
「違いますよ! たった今上を横切ったんです!」
「ははは、何言っているんだサクマ。ドラゴンなんているわけが」
大きな影が、強い風を伴って空を横切った。赤銅色の鱗が日の光でぎらりと輝いた。
皮膜の翼をゆっくりと羽ばたかせ、街の上空を飛んで行く。まるで、空の王者だ。馬鹿野郎、低く飛ぶなと誰かが叫んだ。それすらも吸い込まれていく。空を舞う竜を二人で見えなくなるまで目で追った。
「……今の」
「ドラゴン、でしたね」
「………………」
「………………」
「……あれは実在するものなのか?」
「いいえ。初めて見ました。いたのですね」
「………………」
「…………食べたら美味しいのかなぁ」
「おい」
冗談で口にすると、もう姿がほとんど見えなくなっていたドラゴンを見ていた陛下がこちらを真顔で見る。
「お前、それは流石にやめとけ。腹壊すぞ。お前の国ではあんなのも食べるのか」
「私の国では食べませんよ。でも異国ではトカゲも食べると聞きます。鳥っぽいらしいですよ」
「見た目全然違うだろ」
「そうですか?」
「え?」
「鶏と蜥蜴を比べてください。似ているとは思いませんか?」
非常に難しい顔で陛下が顎に手を置いて考えている。イケメンにはどんな顔をさせても様になるな……ではなくて、ここで進化論の話をしても長くなるだけだから割愛しておこう。恐竜が鳥になった、と言っても説明するのが面倒くさそうだし。……あ。
「……陛下」
「なんだ?」
「空、ドラゴンが飛んでいたってことは」
ひくりと、口元が引きつる。
「空から捜索されたりとか、先の街に伝達したりとか、ありません?」
陛下の眉根が寄せられる。口を手で覆って考えていたが、いや、それはないだろうとすぐに答えを出した。
「あんな空からの探し方では粗が多くて探すのが難しい。ましてや木々だってこんなに生えているんだ。影に隠れられたらすぐに見失ってしまう」
「なるほど」
「それに、交代の時間から考えてサクマが逃げたのに気づくのが早くても真夜中。夜間に捜索が入るとしても周辺。日が昇ってから少し拡大して馬を盗んだ街……俺を召喚したことに気づかれていないのなら、女ひとりで逃げ出したと思われているはずだ。あまり遠くへはいかないと判断して、しばらくは捜索範囲を広げないだろう。賢いのなら馬が盗まれたと報告を聞いて勘付くかもしれないが……馬なんてよく盗まれるから気にも留めない可能性もある」
馬って、自転車や傘と同じ扱いだったのか……。
「首都に教会の本部があるなら早馬やドラゴンを飛ばして連絡するかもしれないが……あの高慢な男が自分の失態を素直に報告すると思うか?」
「しないですね」
「だろ? なら捜索している間は連絡することはないと思うぞ」
ならば少しは安心できるか、と肩を撫で下ろす。
「陛下。それでお金は」
「あ、ああ。渡すから移動しよう。ここだと人目につく」
「かしこまりました」
周りをちらりと見てから、陛下の後に続く。私がいた日本よりも、文明があまり発達している様子はない。文化的には中世ヨーロッパが近いのだろうか。映画で見た光景とかなり似ている。しかし、世界史はよく知らないからいつの時代のどこの国なのかさっぱりと分からない。……高校の選択授業、日本史取ったしなぁ……漫画の影響で世界史も少しは齧ったけれど、主にWW2の頃だし。日本史の取り分け戦国時代だったら、細部まで答えられるのだけどなぁ……はぁ。
「サクマ」
陛下について向かった先は通りから離れた路地裏だった。振り返った陛下が袋に手を入れ、コインを数枚取り出す。
「ひとまずこれだけ渡しておく。恐らく足りるだろう」
手のひらに乗せられた数枚のコインを眺めて目を丸くする。金貨だ。初めて手にとって見た。しかももらったコインが全て金貨だ。
「どうした?」
「足りるとは思うのですが、金貨って庶民には手に届かないものと聞いています。支払って怪しまれたり、狙われたりしないですか?」
「……お前、金貨を見た事がないのか」
今度は陛下が目を丸くした。
「はい。私の国ではもう金貨は使われていません。大抵銅貨か紙幣です」
「高額なのは?」
「紙幣ですね」
「……それ、信頼が置けるものなのか? 紙ならすぐに破れて偽物が出回りやすいだろ」
「丈夫に作られていますし、偽札と区別がつきやすいように様々な工夫が凝らされているのです。分かりやすいところで言えば、透かしたらすぐに見分けがつきますよ」
「へぇ。未来は変わっているんだな。金貨数枚くらいなら問題ないはずだ……多分」
「多分」
「危なくなったら俺がちゃんと助ける。金貨は全て取り出すな。一枚ずつにしろ」
「了解です。買うものは私の外套と食事、でしたね。結局食事はどうしましょう? 適当に買って適当に済ませます?」
「任せる」
「好き嫌いは? もしくはアレルギーはありますか?」
「アレルギー?」
「食べたら異変を起こすものです。人によって様々ですが、小麦粉とか、卵とか」
「嫌いなものも食べられないものも……特にはないな」
「了解しました。買ってきましょう。その間陛下は?」
「これを持ってその中に隠れておくさ」
金貨の入った袋を掲げ、指を指したのは私のポケットに入っているスマートフォン。
「陛下が入れるのは知っていますが、他のものまで……」
視線を上げた先には、既に陛下の姿はなかった。目を瞬かせていると、おお、いけたいけたとポケットからくぐもった声が聞こえてきた。
……隠れるのなら一言言ってほしい、びっくりするじゃないか。口に出そうと思ったが、それよりも疲れが先に来てしまい、はぁ、とため息だけが溢れた。
静かな路地裏に、表通りの喧騒が耳に届く。……やっていけるのか? 私一人で? 右も左も価値観も分からないのに? そう思うと、急に身を締め付けるような不安が――。
「頑張れよー」
ポケットから聞こえて来た声に脱力しそうになった。ああ、そうだ。もうひとりいる。
「頑張りますよ、もう」
先ほどから鼻につく臭いに眉根をしかめ、ポケット――陛下が入っているスマホとは逆側にコインを入れると、一枚だけそれを掴み、踵を返して表側へと向かった。