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02. 佐久間、召喚する。

「救世主様には、救世主様の世界の英雄・偉人を使い魔として召喚し、使役する力があります」

「………………」

「これは神に選ばれた方にのみ与えられた力です。その力を持って、救世主様はこの国を救うのです。どうです? すごいことでしょう?」


 目の前で少女は手を合わせ、きらきらとした視線を――眼は布で隠れていて全く見えないが――向けてくる。正直、ウンザリとしてしまいそうだ。


「それで? 偉人や英雄を召喚してどうするの?」

「戦わせます」

「……何と?」

「何って、異教徒ですよ。この国を取り囲む、神の意志に従わない者たちのことです」

「……言っておくけど、あなたたちから見れば私も異教徒だし、偉人や英雄も色んな宗教観を持っていて全員異教徒よ?」

「そんなことありません! 救世主様は神がお選びになった方ですし、使い魔の方々も、救世主様に従うのなら神のご意向に従う意志があるはずです。異教徒達とは違います!」

「……ああ、そう」


 思わず頭を押さえた。ダメだ、情報を聞き出そうと思ったが、価値観が違いすぎて頭が痛い。


 ここに来て、早数日が経過していた。

 塔に閉じ込められている現状は変わらず、人との接触は食事のときや身の回りの世話をしに巫女がやってくるくらいだ。最初、食事を運んでくるのは憲兵だったが、こちらが危害を加える気がないと思ったのか、今はあの白髪の巫女が持ってくる。年齢は様々で、幼い子もいれば年配の人もいる。私に対してまるで腫れ物を扱うかのような態度で、物を置いたらさっさと出て行ってしまう。一度、体を拭こうかと申し出されたが……断るとほっとした様子だった。

 逃げ出す準備は、着々と進んでいる。

 毎食後、出たスープを口に含んで鉄格子にかけることを繰り返した結果、錆が少しずつ進んできた。この調子なら窓から逃げることも可能だろう。降りるための縄は、シーツの交換の度に夜に端を(やぶ)き、それをベッドの隙間に隠している。分からない程度に裂いているが、これは気づかれたらすぐに対策されてしまうだろう。どちらにしても、早くここから出る必要がある。

 しかし、問題が山積みだ。

 まず、この国がどこにあるのか、今がいつなのかが分からない。憲兵の武装を見る限り、ヨーロッパあたりだとは思うのだが……見た景色と言えば、連れてこられた時に見た神殿の内部と、この塔の部屋と、窓から見える丘陵くらい。自分の記憶にあるどの景色と当てはまるのかが全く分からない。高校で選択していたのが日本史で西洋史には疎いから尚更だ。

 文化も分からない。場所も分からないのでは、逃げ出してからどうすればいいのかが分からない。せめて情報があれば助かるのだが……そう思って、私の依代だと言う少女に聞いたのだが。


「レンツラウは海に面していまして、それ以外は異教徒の国です」

「こう……もうちょっと、詳しいことは分からない? どこにどの国があるとか」

「ええっと、南に帝国、北に騎士公国、西には王国があって、さらに西には亜人たちが多く暮らしているとは聞いています」

「亜人? 亜人(デミ)がいるの?」

「はい。エルフにドワーフ、リザードマン。さらに海にはセイレーンがいるそうです」


 これはいよいよ、ファンタジーじみて来たなと思う。エルフにドワーフがいるのなら、中つ国が近い可能性がある。しかしそうなると、現実離れして余計に戻ることが難しくなってきた。

 ……いや、まだ諦めるのは早い。魔法や召喚術があり、その手法で呼ばれたのなら、きっと帰る手段は何かあるはずだ。法則で雁字搦(がんじがら)めの現代よりまだ夢がある……はず。


「それぞれの国の成り立ちは?」

「分かりません……あ、神官長様にお聞きしたら分かるかも!」

「絶対、嫌だ」


 あの、出会い頭に訳の分からないことを言っていたおっさんのことだろう。出来ることなら二度と会いたくない。


「やっぱりです? 神官長様、来た時からあの態度なので嫌っている人が多いみたいです」

「そうでしょうね……他に、日本という国や倭の国、ジャパン、ヤポンという名前に心当たりは?」

「存じております! 救世主様の国ですよね!」


 嬉しそうに答えた少女に、そう来たかと肩を落とす。


「どんな国なのですか? 私、お伽話や巫女長様から伺ってはいますが、救世主様のお言葉でお聞きしたくて……!」

「いや、別に。大した国じゃないから」


 ひらひらと手を振る。余裕があれば桜が綺麗だとか、礼儀を重んじるとか、技術力がすごいとか言えるのだが、今はそんな気分じゃない。


「いつか是非お話ししてください」

「はいはい。それにしても、随分と嬉しそうね」

「はい! 救世主様とお話出来る機会なんて滅多にないですし、それに、お話で聞いていた方よりもずっと優しいのが嬉しいです」

「そうなの?」

「はい!」


 彼女は頷いて、にこりと笑う。それは本当に、無垢で取り繕ってはいない、心からの笑みだと分かる。

 ――しかし、彼女は私の依代となった少女。そして神殿側の人間だ。私と繋がっている以上、何らかの方法で他の人間に私が逃げ出すことを連絡する可能性がある。簡単に信じてはいけない。彼女は私と感覚を共有していると言ったが、どうやら思考は共有していないらしい。試しに彼女の前でぶち犯すぞと思ったり、淫らなイメージを浮かべてはみたが、何も反応はなかった。それだけが救いだ。


「救世主様、そう言えば何故、スープを格子に吐き出しているのですか?」

「……願掛け、みたいなものよ」

「どんな願いを?」

「秘密」

「それと、あの集めているシーツの切れ端はなんですか?」

「ただの暇つぶしの道具よ。編んで遊ぼうかと思って」

「編み物がお好きなら、他の巫女に言ってくだされば用意しますのに」

「そんな雰囲気じゃないでしょ」

「皆、救世主様がとっても優しい方だと早く気づけばいいのに。そうすればこんな扱いは……」

「いいわよ。下手に甘くみせたら相手がつけあがるだけなんだから。――寧ろ、好都合よ」

「でも……救世主様!」


 こちらに近づいて来た彼女が、私の手を取って握る。


「私は、何があろうとあなたさまの味方です。どうか私を頼ってください!」

「……ありがとう」


 礼を返すと、彼女は嬉しそうに、微笑んだ。



「……やばい」


 朝、起きて早々に頭を抱えた。彼女との会話を楽しんでいる……いや、ほだされて来ている自分がいる。あれもひょっとしたら策略のうちかもしれない。だとしたら本当に末恐ろしい。


「救世主様」


 朝早くからドアがノックされた。ベッドから起きてどうぞ、と声をかけると、重い扉が開く。


「おはようございま……すみません。お休み中だとは思わず」


 ……いや、私いつも昼まで寝てたりするよ? ここ来てから自堕落が過ぎると思うよ? 食事だって、私が寝ている間に置いていたりするじゃない。


「いえ。ご用件は?」

「本日は神殿内をご案内したくお伺いしました」


 現れた憲兵が恭しくこちらに礼をする。


「案内してどうなるの?」

「私たちの信仰や神の御意志に触れていただきたいと、神官長様は仰っていました」

「……断ったら?」


 憲兵が狼狽える。躊躇った後に、ゆっくりと口を開いた。


「救世主様の立場を、これ以上悪くしたくなければ……との仰せです」


 つまりは、私に拒否権はないらしい。


「分かりました。準備しますので外で待っててください」


 一礼してから、憲兵は部屋を出て行く。

 起きてからの準備なんて、たいしたことはない。髪を梳かして、鏡がないからスマホの画面に反射する自分を見る。


 最後に化粧をしたのは、いつだろうか。


「………………」


 ここに来てから一度も、化粧をしていない。鏡でまともに自分の顔を見ていない。スマホに映る私は、ひどい姿をしている。

 画面に映る私が、涙を流した。袖で拭っても、一度(あふ)れたものは(せき)を切ってこぼれ落ちる。

 誰にも連絡が届かなくなったスマホを額に寄せた。この涙は知られてはいけない。見られてはいけない。今すぐに泣くのを止めなければならない。

 ドアが催促するようにノックされた。こぼしていた透明の液体を袖で拭い、眼鏡を掛ける。タイトスカートを履いて、ベッドの上に掛けていたカーディガンを羽織って外に出た。



 神殿を歩く私の側には、巫女が二人と憲兵が二人いた。私が逃げ出すのを防ぐためだろう。

 周囲を見回して、静かに観察する。神殿の造りは、石。大理石、とは違う……堆積(たいせき)岩でもない、火山性の石を切り出した煉瓦(れんが)で造られているようだ。柱は、中が膨らんでいるように見える。ギリシャの文化が入って来たのだろうか。

巫女や憲兵の顔立ちと合わせて考えると、西洋なのは分かるが……。


「こちらは中庭になります」


 塔を出てすぐのところに、少し開けた中庭があった。その先にあるのは石の壁。なんとか登れそうだが、さらに視線を上へ移動した時に見えた塔の高さに息を吐き出した。高い。思っていたよりも、もっと。今いる部屋の窓の位置が見えないが、確か最上階だったはずだ。そこから下までロープを作るとなると……今集めているシーツの切れ端の量では絶対に足りない。もっと集めなければならないのか。しかし、そんな悠長なことをしていたら逃げる機会を逃してしまう。


「これはこれは。お久しぶりです、救世主様」


 中庭を眺めながら考えていると、先日の神官長が目の前に現れた。思わず一歩後ろに下がって距離を取ろうとしたが、控えていた憲兵によってそれは阻止されてしまった。


「ご機嫌如何ですかな?」

「………………」

「そう表情を固くしないでください。我らが貴女様を害するつもりがないことは、お分かりになっていただけました?」


 ニコニコと、笑みを貼り付けたような顔で、神官長はこちらへ近づく。普段だったら、社会に出て覚えた愛想笑いを使って、その場をしのいだだろう。今はそんな気になれず、静かに、相手を見据える。


「もしよければ、食事をご一緒しましょう。国中から最高級の食材を用意し、腕に自慢のある者に作らせました。きっと、救世主様もお気に召すかと思います」

「……結構です。食欲、ありませんから」


 短く、相手に言葉を返した。この人の顔を見ながら食事なんてできそうにない。


「そうですか……確かに、救世主様は痩せていらっしゃる。お可哀想に。まるで貧民街の子供のようだ」


 ぴくりと、眉尻が上がる。


「この国では貴女様ぐらいの娘でしたら、もっとふくよかで美しい肉体を持っています。如何でしょう? 我らに従ってもらえれば、今よりももっと、前よりももっと、快適で裕福な生活を提供しましょう」

「お言葉ですが、ご遠慮させていただきます。これはあなたから見れば貧相に見えるかもしれませんが、私の国では細い方が美しいと言われています。それに、女性の美というものは実に多様です。時代、土地、文化によって変遷し、ふくよかでも細くても、美しいものは美しいのです。……一方的な価値観の押し付けは如何なものかと思います」


 手ががくがくと震えていた。緊張している。反対の手で咄嗟に押さえた。やった! 私は言ってやったぞ!


「……貴女は、ご自身の立ち位置を理解していないようだ」


 顔を上げた男は、笑っていなかった。え、と目を丸くしていると、寄って来た男が巫女を掻き分け、私の顎を掴んで顔を引き寄せる。


「貴女は我らによって守られている。救世主と言えど使い魔を召喚する以外は無力な人間である……ことは、お分かりですかな?」

「っ……!」

「神官長様、救世主様に手を上げるのはおやめください!」

「お前たちは黙っていなさい」


 止めようとした巫女を男は一喝する。


「我らの責務は救世主様をお守りし、ひいてはこの国を守ること。しかし今代の救世主は国を守る気はなく、神の御意向を理解していらっしゃらない。理解していないのならお教えしなければならない。違うかね?」

「ですが、乱暴は……もしお暴れになったら」

「そのために、躾がいるのだよ。犬は我らを殺す牙を持っているのに噛みつかないのは、我らが上だと、主人だと教え込んでいるからだ……そうでしょう? 救世主様」


 頬を掴んでいた手が、離れる。力が抜けてその場に尻餅をついてしまった。


「噛み付く犬にはそれ相応の躾が必要となります。ご自身を賢いと思っているのなら、身の振り方を考え直すといいでしょう」


 これ以上反抗したらどうなるかが分からない。外道、等言いたいことはあったが飲み込んで堪えて、睨みつける。男はそれを不服そうに見下ろした。


「救世主様を塔へ戻せ。今日の食事は抜きだ」

「しかし」

「食欲がないと救世主様は仰っている。ならば、無理に食べさせるのは悪いだろう。こちらで食事はご用意していますので、食べたくなりましたら降りて来てください。お待ちしています」


 睨みつける私を憲兵が立たせ、拘束してから向きを反転させる。先ほど来た道を、再び戻り始めた。


「救世主様、大丈夫ですか?」

「………………」


 隣にいた巫女たちがこちらに声をかけるが、返事をする気にもなれない。


「救世主様。家族と離れ離れになっておつらい気持ちはよく分かります。実は私たちも、家族と離れて神にお仕えしているのです」

「そうです。私にも故郷に妹や弟たちが……」


 至極、どうでもいい。冷ややかな視線で前を向いたまま、話を右から左へと聞き流す。

 私の状況と彼女たちの状況は違う。機嫌取りにそんな話をされたところで、何一つとして心に響かない。

 ……会おうと思えば、会えるじゃないか。いくらでも。好きな時に帰れるじゃないか。



 塔の部屋に入ると、背後で鍵が閉められる。力なくベッドへ近づき、パンプスを脱いでそのまま倒れるように寝転がった。ポケットからスマホを取り出して時間を確認する。

 現在、一一時二三分。こちらに来ても、スマホの時間は時差なく、恐らく正確に時間を刻んでいる。一度も充電をしていないのに、ちょっと弄っても起きたら電池が復活しているのが謎だ。一体どうなっているのだろうか。


「……お腹減った」


 スマホの画面を消して、お腹の上に乗せてため息をつく。朝から何も食べていない。元々、朝食は食べない人間だが、せめて昼時には胃にものを入れたい。あの神官長の顔を見ながら食事するか? ……いや、まともに食べられる気がしない。胃がムカムカしてしまいそうだ。

 それにしても、本当、本当あの男。思い出すだけでも頭にくる。


「人の地雷の上でタップダンスばっかするのやめてくれないかな」

「タップダンス?」

「………………」


 思わず体を起こした。

 今、この部屋には私しかない。それなのに、男の人の声がした。部屋を見回したが、誰もいない。ドアの向こうの憲兵が反応したのか? でも、今までまともに話しかけて来たことなかったぞ。


「こっちだ。こっち」

「こっちってどっ……」


 声のした方を目で追って、固まった。発声源は、私の右手の中にある、スマホ。

 スマホから、声がしている。


「………………」


 可笑しい。絶対可笑しい。私は声が出るアプリをインストールしてたか……? いや、話しかけて答えてくれるものなんて内蔵のナビゲーションシステムぐらいだ。しかも男性ボイスの設定はしていない。それに、こんな滑らかな、滑らかな発声だなんて。


「……お」


 お化け、この塔に出るのか。ちょっと待て。そんなの聞いてなかったぞ。ベッドの上にスマホを置いて、じわじわと後ずさりする。どうなったの? 私のスマホ、憑依でもされちゃったの!?


「おい」

「ひっ!」

「ようやく喋ったってのに、その態度はないだろ」


 怖がっているこちらに対して、スマホから聞こえる声はむくれたように言う。何だろう、今にも「やれやれだぜ」とか言いそう。


「その声、小○D?」

「は? 何だ、それ」

「……空条○太郎」

「違うな」


 違うのか。確かに、関連するアプリは入れた記憶がない。それよりも、どうして私のスマホが喋っているのだ。


「はぁ……そこの、お嬢さん(フロイライン)


 漫画やアニメでしか聞いたことがない呼び方に目を丸くする。

「俺は、どうやらここから出ることが出来ないんだ。お嬢さんの力で俺を出してもらえないだろうか」

「スマホから出られない?」

「ああそうだ。頼む」


 そっと近づいて、私のスマホに手を伸ばす。見た目は、いつものスマートフォンだ。お気に入りのケースをつけて液晶保護シールを貼った、愛用品だ。

 手に取って変化が何もないことを確認し、とりあえず。

 縦に勢いよく振ってみた。


「うわああ! おい、やめろ! やめるんだ!」


 ぶんぶんと揺れるスマホから悲鳴が上がる。側面を手のひらに打ち付けたらもっと悲鳴が大きくなった。


「出てこないですね」

「当たり前だ! そんな簡単に出られたら苦労しないぞ!」

「じゃあ、どうすればいいのですか?」

「お、お前召喚士(サマナー)なんだろ? 召喚が得意じゃないのか」

「召喚? 私が?」


 目をぱちりと瞬かせた後、訝しげな視線をスマホに送る。


「どこでそのことを? そもそも、どうして私のスマホに入っているのですか」

「どこで、って言われてもな……この中に入ったのはお嬢さんがここに来た時と同時だ」

「は?」

「その時に知識として頭に入った。お前が召喚士(サマナー)で、俺は使い魔(ファミリア)。お嬢さんは俺を使役する立場で、俺はお前に仕えるらしい」

「……なんですか、それ」


 手の中のスマホを睨みつける。


「そんなの、胡散臭いじゃないですか。ここの人たちにも似たようなことを言われていますが、あなた、それを信じているのです?」

「ははは。いや、俺もお嬢さんと同意見だ。死んだ後だっていうのに、復活させられて、お嬢さんに仕えろ。だなんてな。だから俺も黙って様子を見ていた……悪かったな」

「いえ……」


 死者? 復活? 気になる単語はあるけれども、ひとまず後回しだ。


「私だって、あなたと同じ立場だったら様子を見ていたかと思います。それで、私を信用できると思って話しかけて来たのです?」

「そうだな。信用というより、賭けてみようかと思ったんだ」

「賭け?」

「ああ。俺をここから出してくれないか? そうすれば此処から逃げるのを手伝おう」

「お断りします」


 短く、手の中のスマホに向かって返答した。


「断る? どうしてだ? お前にとっても悪い話じゃないだろ?」

「胡散臭いにもほどがあります。助けを申し出ていただけるのはありがたいですが、あなたに私を助けるメリットがあるとは思えません。それに、これくらいなら自分でなんとかします」

「メリットって、なんだ?」


 スマホから聞こえて来た声に、虚を突かれた。メリットが通じない? 和製英語ではなかったはずだ。そもそも、ここに来てから会う人間全員の言葉が通じていることが不思議だ。


「利点ですよ。あなたにとって得することです」

「得することは、ないな」

「でしたら尚更、お受けしかねます。タダほど上手い話はありません」

「それは困る。お前が出してくれなければ、俺はずっとこの中に閉じ込められたままになる。それに、お嬢さんと契約を結んでそれを果たさなければ、俺は再び眠りにつくことが出来ない」

「私を助けることが、あなたにとっての利点になる……ということですか」

「そうだな。それでどうだ?」

「具体的には、どのように助けてもらえるのです?」

「うーん……そうだな……」


 ドアが音を立てていきなり開いた。すぐに振り返ると、怪訝な顔をした憲兵がきょろきょろと部屋を見回している。


「さっきから話し声が聞こえていますが、一体誰とお話を?」


 スマホと――正しくは自称・スマホに閉じ込められている幽霊と――だなんて、言えない。ついに頭が可笑しくなったかと思われる。……それでも、いいけど。


「すみません。ちょっと機械の調子がおかしくて」


 愛想よく返事をすると、憲兵は驚いたような顔をした。目を数回瞬かせた後、ゆっくり、おそるおそるこちらに声をかける。


「機械?」

「どうかお気になさらず。あ、そうだ。食事を持って来てもらえませんか?」

「……先ほど神官長様からの命令があった通り、食事は神官長様と会食しない限りは止められています」

「そこを何とか。お腹が減って動けないんです。このままだと私、低血糖起こして倒れそうです」

「低血糖?」

「最悪死にますね」


 私の言葉に憲兵の顔が引き締まった。


「厨房に食べるものを用意出来ないか聞きましょう」

「お願いします」


 憲兵が退出し、ドアに鍵がかかる音がする。階段を降りる音がだんだんと小さくなり、溜めていた空気を吐き出した。


「はぁ。何とかごまかせた」

「おい、今だ」

「はい?」

「契約しろ。俺をここから出せ」

「出せって言われても。どうやって?」

「何か呪文とか、術とか知らないのか?」

「無茶言わないでください。私は現代人でそんなの……全く……」


 いや、知っている。ゲームで使われる召喚の呪文を覚えている。何故なら推しキャラが中々来なかったときに、呪文を唱えるといいと聞いて実践したのだ。……結果は、散々だったけれど。

 もし、もし私に、本当に……本当に、召喚する力があるのならば、出来るかもしれない。


「……言っておきますが、うろ覚えなので成功できるかどうか不明です。失敗したら笑ってください」

「いや、笑えないぞ。召喚出来なかったら、俺はこのままだからな」

「むう……」


 ならば、仕方ない。恥ずかしがる暇もない。


 ベッドから降りて立ち上がり、左手にスマホを持って画面を上へと向け、その上に右手を[[rb:翳 > かざ]]した。



「これより、召喚の儀を執り行う」



 塔の部屋の中を照らす光は窓からだけなので、昼間でも薄暗い。その部屋を下から照らすかのように、床が青色に発光した。ちらりと視線を下に向けると、ゲームで見たような魔法陣が描かれて、光っている。本当に、使えるらしい。それを確認してから視線を元に戻し、詠唱を続けるために唇を、開く。


「万物を構成する五つの元素よ、相生し、相克し、循環せよ。

 魂を導く光となれ。

 魂をこの世に留める礎となれ。

 接続するは我が血脈を遡り到達する星の記憶。

 人の歴史に名を残し、今なお星の如く輝く英雄たちよ。

 我が声、我が呼びかけが聞こえるなら、応えよ」


 スマホの画面と手のひらの間に、青い炎が灯る。……呪文なんて、正確に覚えていない。しかし、次から次へと、言葉が紡がれていく。


「告げる。

 汝の命運は、この手にあり。

 我と共にあり。

 誓う。

 我は汝の力を持ってこの生に義を為さん」


 光が、炎に収束する。あとはもう、勢いだ。


「これにて我らの契約は結ばれた。

 姿を顕せ、世を照らせ。

 人理に刻まれし英雄よ!」


 収束した光が、放たれた。

 咄嗟に目を瞑り、そのまま背後のベッドに座り込んだ。瞼越しに、光は収まり元の薄暗がりに戻ったことが分かる。どっと来た疲労感が体を支配する。足にも力が入らないし、目を開けるのも億劫だ。


「……すごいな。本当に外に出られた」


 耳に男性の声が届く。スマホから聞こえていたのと同じだけれど、先ほどよりこもってなく、耳障りがとてもいい。


「そう。なら良かった」

「大丈夫か?」

「ええ、なんと……か……」


 瞼を開き、ゆっくりと、顔をあげる。

 最初に視界に映ったのは、ブーツだった。深緑色のズボンに……同じく深緑色の、軍服の上着だろうか。丈は長く膝まであり、腰のところでベルトで巻いて留めている。胸元に描かれているものは……双頭の鳥、だろうか。服の繋ぎ目で対称になっていて、金色の刺繍で彩られている。軍服の裾、袖、襟の縁取りも同様だ。髪は黒くて、長い。腰辺りまであるものを根本でひとつにまとめている。

 さらに視線をあげると、映画で観るような異国の整った顔立ちの人物がそこにいた。エメラルド色の瞳、高い鼻。物語で見るような魅力的で素敵な王子様、と呼ぶには程遠い。しかし(まと)う雰囲気から身分は高く、何か武を身につけているのだろう。長身で広い肩幅、しっかりとした筋肉の付きからそう考える。

 私が呼んだのが本当に英雄なら、彼は一体、誰なのだろうか。


「なんだ? 俺の顔に何か付いているか? お嬢さん(フロイライン)

「フロイラインはやめてください。そんな歳ではないです」

「失礼。夫がいたのか」

「……いいえ、独身です」

「なら、お嬢さんで問題ないはずだ」


 思わず眉根を寄せる。目の前にいるのは控えめに言っても、イケメン。そして耳障りのいい声。

 元々、女性向けの乙女ゲームは苦手だ。いや、別に嫌いでもないし自ら女性向けのゲームをすることもあるのだが……こう、口説かれたり囁かれるのが苦手なのだ。耐性がない。背中が痒くなる。そして今、同じような現象が私に起こっている。

 お嬢さん呼びされると、背中が痒い。


「嫌なら名前を聞いてもいいか」


 目の前の男性はその雰囲気を読み取ったらしい。


「佐久間と言います。佐久間瑞季です」

「サクマか。変わった名前だな」


 ……しまった、外国では名前が先だったか。しかし、別に構わないだろう。名字で呼ばれることが多かったし、なにより今は訂正する気力がない。


「どこの国の者だ?」

「日本です」

「……どこだ?」


 開きかけた口を再び閉じ、眉間を押さえた。もうダメだ。限界。


「すみません。説明は後にしてください。今は、ちょっと」

「顔色が悪そうだな。――と、憲兵が戻って来たか。俺は隠れる。逃げるなら夜にするぞ」

「逃げるって、一体どうやって……」


 再び顔を上げた時には、男性の姿はなかった。辺りを見回すが、どこにもいない。


「ここだ、ここ」


 手元から聞こえた声に下を向くと、そこにあるのはスマートフォンだ。


「せっかく出られたのにまた戻ったのですか」

「サクマが出してくれたから、自由に行き来が出来るようになったんだ。それとも、他に隠れられる場所があるか?」

「いや、それは……」


 ドアがノックされたので話すのを中断する。


「どうぞ」

「失礼します」


 現れた憲兵は、いつものトレイにパンと器を載せていた。


「お待たせしました。巫女の食事のものですが……お口に合うかどうかは……」

「構いません。そちらに置いてください」


 テーブルの上に置いた憲兵が、こちらへと向き直り、一礼する。


「今回は用意出来ましたが、夕食も同じように用意出来るかはわかりません。どうか、神官長様と会食をお考え直しください」

「……かしこまりました。考えておきます」


 返事をすると、憲兵は安堵した顔で部屋を出て行った。


「……めんどくさ」

「断ることは無理そうだな。一度会食するのはどうだ? 懐柔したと思わせて気を緩ませるのも一つの手だぞ」

「……いいえ」


 先ほどから、頭の中で騒がしい声を振り払うように少し横に振る。ああ、そうだ。感覚を共有しているから、今起こったことを知っているのか。しきりに神官長に会うべきだとか、召喚出来たことを報告すべき、使い魔を信じてはいけないとか、色んな言葉が内側から聞こえてくる。


 それらを全て、無視することにした。


「会食はせず、夜このまま抜け出しましょう。会ってあなたを召喚したことがバレたら元も子もないです……って、いつの間に外に出たのです?」


 ベッドに腰掛ける私の隣に、男性は身を屈めて耳打ちをしている。


「今、憲兵が鍵を閉めてからだ」

「はぁ、まるでお伽話の魔人みたいですね」

「これが使い魔の力のひとつ、なんじゃないのか? よくは分からないが」

「私もです」

「それで、立てるか?」


 目の前に手が差し出される。私よりも大きくて、指が長く、造形の良い手だ。――この方は、英雄だ。英雄の手を簡単に握ってしまっても、いいのだろうか。


「お聞きしてもいいですか?」

「なんだ?」

「恐らくあなたは私よりも遥かに優れた、素晴らしい方だと思います。……その方の手を煩わせることは、不敬にはなりませんか?」


 手を出したまま、男性は緑色の瞳をぱちぱちと瞬かせる。


「いいんじゃないのか?」

「いいのですか?」

「今はサクマが俺の主人になるんだろ。主人の手助けをして何か悪いことでもあるか?」

「……成り行きでこの状況になったかもしれませんが、仕えたくないとか、従いたくないとかは?」

「そう思ったのなら、俺はまだお前に声をかけてないし、勝手に消えてるさ」


 小さく笑った後に彼は私の前に移動し、同じように、右手を差し出した。


「お手をどうぞ、お嬢さん(フロイライン)


 この手を取れば、私はきっと、ここから抜け出せるのだろう。

 外の世界のことは、全くもって、分からない。ここがどこなのかさえ、分からない。目の前の人物が誰なのかさえ――分からない。これから先のことだって、何にも。

 しかし、一歩踏み出さなければ、何も変わらない。このままここに居続けるか? ――拉致した人間たちに唆され、救世主と称えられ続けるか?


 答えは、否だ。


 目の前の男性の手に、私の手を重ねた。力強い手に引き寄せられ、ふらつきながらも立ち上がった。


「ありがとうございます」

「どういたしまして。まずは食事だ。その後、今後のことについて話し合おうか」

「はい」


 手を離し、食事の載ったテーブルへと近づく。白くて丸いパンに、野菜が柔らかく煮込まれたスープが置かれている。


「……すみません、外の憲兵に声を掛けるので隠れてもらってもいいですか?」

「うん? ああ」


 答えた瞬間に男性の姿が見えなくなる。部屋の中を見回して完全にいないことを確認してから、ドアを数回ノックする。ややあって扉が開き、憲兵が顔を覗かせた。


「何でしょう?」

「……お願いがあるのですが、いいですか?」


 眉をハの字にして、こてりと首を傾げると、憲兵も同じように首を傾げる。


「スープ、一杯では足りないのでお代わりください」

「……はい?」


 ……後から聞いた話だが、スマホの中で隠れていた男性は、この発言を聞いて今後やっていけるか不安になった、らしい。



2018年3月18日 最終修正

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