プロローグ/Date of death
※前話とこちらは本編の前置きです。飛ばしていただいても(恐らく)問題はないかと思います。
“Vertual Dream”
日本語で「仮想夢」。あるいは略して「VD」。
その言葉が世界中を席巻してからおよそ五年余りが経過していた。
当初、「夢のような技術」とうたわれたそれは、その名の通り『夢』に干渉し制御するという技術。
使用者が眠っている間に、明晰夢に近いような状態で仮想世界に没入させるというもの。
同期状態を維持するため、本来人間が夢を見る際に発生する体感時間の鈍化・疑似的な思考加速こそ発生しないものの、本当ならば眠っているはずの時間を夢の中で使うことができる。
まさに革新的な技術であり、先進国を中心としてVDの波は世界中に瞬く間に広がっていった。
五年の月日の間に、日本の各家庭における平均VD機保有台数は〇.三台を超え、余暇目的の利用はもちろん、一部の先進的な一般企業においても活用を行っているところもある。
新技術の常として長期的影響については十分に研究が行き届いているとは言えないところはあるものの、若い世代を中心として、すでに十分なほどの市民権を得るに至っていた。
◆
――五年前。
――まるで夢の中みたいだと思った。
それもとびっきりの悪夢の中。
切れ味鋭い金属質の光沢が夜闇の中に反射する。
血走った男たちの目がわたしと友達を見ていた。
男たちを除けば、その場にいたのはわたしと友達のたった二人だけ。
わたしは動けなかった。それが一番の間違いだった。
すぐに友達が捕まった。いままで聞いたこともないような気持ち悪い笑い声が聞こえた。
目の前の人たちが何を思っているのかはさっぱりわからなかった。
でも、これからわたしたちが何をされるのかは何となくわかった。
先に男たちの手が伸びたのは、捕まっている友達の方だった。
頭が真っ白になって、拳から伝わる肉の感触で我に返った。
急所を突かれたショックで、目の前にいた男が崩れ落ちた。
残った男たちの怒気をはらんだ恫喝も、わたしにはすでに聞こえていなかった。
「うぁぁあああぁぁぁぁ!!」
◆
「Gaooooh! 」
獣のような咆哮が洞窟に響いた。
同時に、巨大な機械仕掛けの天狼が跳ねた。
目の色を変えた天狼は水晶の崖の上へと降り立つと、おおよそまともな生き物ではありえないほどに大きく口を開く。
口の中からは子ども一人分はありそうな砲口が迫り出し、四肢からは砲の反動に耐えるようにアンカーが伸びる。
『これはすごいや! 今のうちにスクショ撮っておこう』
この場にいる人間は数十人。今、そのほとんどが心を躍らせていた。
しかし、ここは戦場。皆、自分が倒れるのは本意ではない。
「何能天気なことを言ってやがる! くるぞ!!」
「明らかに動きも鈍ってきている。体力が減ってる証拠だ、こいつはお約束が来ますよ」
「お約束? 何のことです!?」
「いいから下がりなさい! ロボの目が光って変形したとなれば次は必殺技だって相場は決まってるんです!!」
「盾持ちは後衛とNPCを庇え! 攻撃職は露出している動力部を狙うんだ! いいか、もう少しだ! 全員踏ん張れ!!」
その場にいる全員が号令とともに動き出す。
防御姿勢を取る者、そしてその後ろから的へと攻撃を浴びせる者。全員がこの戦いも佳境に入っているということを理解していた。
「……それでは、私も微力ながらお手伝いさせてもらいますかね」
ローブの男のロッドから放たれた火の玉が、天狼の眼元で炸裂する。
「いっっっしゃぁ、もぉらったぁぁぁぁぁぁ!」
先程まで号令をかけていた赤いマントの男は黄金に光る大剣を振りかぶり、天狼の正面へと飛び上がる。
「くたばれぇぇぇぇ!!!」
そしてマントの男が大剣を振り下ろすと、天狼は地に伏せ、動かなくなる。
『や、やりましたね!』
『やった! やったぞ! 俺たちが一番乗りだ!!』
その場にいたメンバーから歓声があがる。
「はぁっはぁ、やっぱり、夢の中とはいえマジの体を動かすのは疲れるな」
「おめでとうございます。これがβでの初ボス討伐ですよ。……ま、うちのリーダーならやってくれると思ってましたがね」
「よく言ってくれぜ、ほんとによぉ」
「本当にありがとうございます。これでフレイル地方に住む領民も安心して暮らすことが……」
一同が歓喜の渦に呑まれていたとき、洞窟の入り口方向から、一人の兵士が駆け込んでくる。
「大変、大変です! 外が!!」
「どうした? ここのボスを倒せば外の雑魚も消えるって話だっただろ」
「そ、それが、一度は予言どおりに消滅したのですが、間もなく再度出現して……それもつい先程までとは比べ物にならないほどの強さで、既に負傷者も出ています!」
「落ち着いてください。聖女様の予言が間違いのはずがありません。もう一度教会の本部に連絡を取って……」
「神官さん、その話は後にしてくれませんか。どうやらこっちも状況は良くなさそうですよ」
ガラクタへと変じていたはずの天狼の体。そこへ天井に空いた穴から星の光が降り注いでいる。
そのわずかな明かりの下、機械の天狼は再度変形を始めていた。
『おいおい、β初ボスだぞ、第二形態まであるのかよ……』
そして洞窟の陰から機械仕掛けの小型狼が複数飛び出してくる。
『ボスっ! こいらさっきの前座より明らかに強ぇ! 一人じゃ抑えきれねぇ』
「全員気を抜くな! 必ずツーマンセルで行動するんだ!!」
『もうやってます!』
「やはり通常の手段では……封印を行うしかないのか」
「……ボス、ここは一時撤退しましょう」
「しかし……」
「私も本体の強さくらいは確認したい。私たちだけなら一度死んでやりなおしてもいい。ですが、このままではNPCが耐えられない」
「くそっ……わかった。みんな急いで撤退だ! しんがりは盾持ちの二人組が行え!」
マントの男の指示に従い、皆は小型狼をツーマンセルで撃退しつつ順々に後退を始めていく。
「ボスはどうさなるおつもりで」
「俺は一人で残る。俺一人なら死に戻りしても大した損害にはならないだろう」
「いけません!」
「神官!? なぜ残った! お前は死んでも生き返られないんだぞ!!」
「あの化け物の復活を阻止するには、ただ討伐するのではでなく、封印する他に道はありません。そのためにはあなた様の剣が必要なのです! ですからあなた様をここで失うわけには」
「しかし、俺は……」
「私が帰るのはあなた様とともにあるときのみ。私を助けたいというのなら、どうか自分もお救いになってください」
しばしの逡巡ののちマントの男は頷く。
「……わかったよ」
「ボス、こっちだ! 早くしないと逃げ遅れる!」
マントの男は走りながら後ろを振り返る。背後では、水晶に反射する光を受けて天狼が再び立ち上がろうとしていた。
――いつか、必ず。
男は胸の内に再戦を誓い、洞窟を駆け抜けていった。
◆
――最早、それが気合いの声だったのか悲鳴だったのか、それすらも分からない。
もしも、この日のわたしに救いがあるとすれば、それは何とか友達を助けられたこと。
この日、わたしは――死んだ。
◆
当たり前のように一日の三分の一を過ごす、現実ではない場所。
VD機器同士は独自のネットワークで接続され、同じ時間に眠ってさえいれば、現実の友人と待ち合わせをすることすら可能であった。
その仕様は、古くから熱望されていたVRMMOの土壌として十分なものであった。
かつて夢見たVRMMOはVDMMOと名を変え、いくつもの作品が世に送り出されることとなる。
今、一人の少女が夢の機械の前に座っている。
彼女にとって、今日が初めてVDを体験するVDデビューの日。
少女は心に残る不安と、それに倍する期待を抱きながら寝床へと就いた。
床に眠る段ボールの空き箱。
そのパッケージの表面には短いアルファベットのロゴが印刷されていた。
「Another dream」
それが、これから少女が赴く世界の名前だった。