第六夜/代償はロールケーキ
「うわぁ……!」
呆れとも悲鳴とも感嘆ともつかない声が漏れる。
長い道のりを経て、コノカは初めての街の入り口までたどり着いていた。
こうして間近で見たからわかる。遠目には灰色に見えていた街、そこは鮮やかな色彩に溢れていた。
道までせり出している屋台のテント、色とりどりの屋根、くるくる回る風見鶏も、ここで空に一番近い教会の鐘塔のてっぺんまでも、全く色褪せた様子が見られない。
理路整然と整理された機能美とは無縁。
露天商が声を張り上げ、悪戯な子どもが母親から逃げる。拍子に店先の果物が道に転がり、顔に独特な装飾を施した異国風の男が拾う。
雑然とした光景。それでも、溢れる活気はそれを補って余りある。
そこに住まう人間が生み出す、躍動的な美しさがそこにはあった。
「……ここが私のホームグラウンド。」
自然とコノカの目も輝いていた。隣のリンも心なしか自慢気だ。
「……ようこそ、フレイルの街へ。」
ついに街へとたどり着き、その門をくぐってからしばし。
「……とりあえずホームから案内する」
そう言ったリンに連れられ、コノカは薄暗い路地を歩いていた。
……どうしてこんなところを歩いているのかはわからない。
言うまでもないが、コノカはこの街に来るのが初めてどころか、この世界に来たのも今日が初めて。上京初日の田舎者のような状態。
他にアテもなく、その上、自らここをホームグラウンドと称する案内人がいる以上、それについていくしかなかった。
だが、それも簡単なことではない。リンは軽い身のこなしでスイスイと行き交う人の間を縫って進んでいく、コノカは後をついていくだけでやっとだ。
「ちょっと待って! 早い! 早すぎるよ!」
「……あ、ごめん。でも、もうすぐそこ。」
そう答えると、リンが角を右に折れた。急いで追いかけると、その角のすぐ先、一軒の店の前でリンが待っていた。
「……ここが私のホームで、行きつけのお店。武器と防具もここで用意してもらってる。」
そこは、確かにとても武器屋とは思えないような雰囲気をまとっていた。
外観は淡い黄色を基調とした可愛いカラーリング。入り口にはアルファベットが刻まれたおしゃれな木の看板がかけられていて、店の色に合わせたのか軒先には爽やかな柑橘系の香りが漂っている。
そのどれもがコノカのイメージしていた装備屋とは違っていた。
武器や防具を売る血なまぐさい店というより、若い女子に人気の隠れ家的カフェと言われた方がまだ信じられそうな店構えだ。
「……カオリ、今帰った。」
手慣れた様子でリンは入口のドアノブをひねる。しかし、ドアが開く様子はない。
代わりに、大音量の洗礼がコノカとリンの二人に襲いかかった。
『リン! 今日が何曜日か忘れてないやろうなぁ!!』
音の出所を探すと、軒先に取り付けられていたメガホンのようなシルエットが目に入った。
「……水曜日?」
『ちっがぁぁぁぁう! もうとっくにてっぺんは超えてるわ! 今日は木曜日! 木人さんの実験日や!』
「……厳密な時間なんて知らない。まだ私の中では水曜日の夜。」
会話が成立しているということは、これは録音ではなく、声の主もどこかで聞いているということなのだろか。
『そんなもんは知らん! とっとと武器を構えい! 戦闘可能時間は三分や、って早よ構えんか! デスペナって裸で放り出されたいんか!!』
「……必要ない。どうせお粗末な出来。」
リンがあくまで冷淡な声でそう言い返した瞬間、鍵がかかっていたはずの扉が突然開き、奥から茶色い何かが飛び出してきた。
『やったれ! うちのCookWood5.01! その生意気なまな板を叩き割るんや!!』
飛び出してきた何かは勢いそのままに、リンに向かって踊りかかる。
次の瞬間には、短く鋭い金属音を響かせ、リンと茶色い何か――声によると木人が交錯する。
リンの両手には鍔のない小刀が合わせて二本。ついさっきまでは何も持っていなかったはずだったが、いつの間に握っていたのか。コノカには全く気付けなかった。
飛び出してきた木人はリンより少し背が高く、文字通り枝のような二本の腕の先に一つずつ武器を装備していた。
右手には丈の短い刃物おそらく包丁が、左手には……おたまが握られていた。
……おたま。料理する時に使う金属製のアレである。
コノカの記憶が正しければ決して武器ではない。
そして、飛び出してきた木人はおたまを振り抜いた姿勢のまま固まっている。
もはや何が何だか分からず、コノカはその場に立ち尽くすしかなかった。
『くぅ、これでも無理やったか……』
「……私に勝とうなんて百年早い。あとそれとは別に後でロールケーキ作って。」
そして、一瞬の交錯の内に勝負もリンの勝利という形で決着していたらしい。
「ああ、今の試作品がひと段落したら作ったるわ。しゃーなしやで。で、こっちで固まってるのは誰や? 知り合いか?」
硬直の解けた女性はコノカを親指で指す。
「……偶然会った初心者。」
「ほうほう。で、うちに連れてきてくれたと。リンがお客さんを連れてくるなんて珍しく良い心がけやん。明日は槍が降ってくるかもしれへんわ」
女性はそこまで言うと一旦言葉を切り、未だ棒立ちのコノカの方に向き直る。
「……おっけーお嬢さん。まずは自己紹介から。ここはうちの工房兼お店。ほんでうちはここの店主をやってるカオリや。今のクラスはマイスター。名前は覚えてくれんでもいいけど、ぜひお金は落としていってな」
「はいっ! よろしくお願いします。えと、わたしの名前はコノ。クラスはモンクです……多分」
「お、ヒーラーか。うちは直接攻撃用以外の武器なんかも取り扱ってるからな、ごひいきに頼むで」
「……じゃ、私は寝るから後はよろしく。」
「ちょい待ち! この娘どうするつもり!」
「……任せた。」
「うぉい!」
「……ばいばい」
リンはカオリを華麗に無視しつつコノカに手を振った。
「それじゃあね!」
コノカも手を振り返す。
「……また向こうで。」
リンは最後に小声でそう言い残すと、本当に店の中へ消えていってしまった。ぱたん、と小さな音をたてて扉が閉じられる。
「……もしかしてリアルでも知り合いなん?」
「どうなんでしょう……」
「……そうやな、あんまりリアルのこと聞くのはマナー違反やったな。……ま、リンは行ってもうたけど、とりあえず中入ろっか。リンのことやから説明受けたにしても言葉足りてないと思うし、色々補足とかも欲しいやろ?」
店主のカオリは店内に招き入れるように木の扉を開ける。
「は、はい! お、おじゃまします……」
ドアが軽快な鈴の音を鳴らす。コノカは半分半分の緊張と興味に胸を高鳴らせながら入り口の扉をくぐった。
お店の中は木の温もりを感じる落ち着いた作りとなっていた。壁には商品と思わしき物々しい武器や防具の数々に混じって、所々に木の人形や調理器具など似つかわしくない物が並んでいる。
カオリはコノカに椅子を勧め、自分もその向かいに座ると、おもむろに口を開いた。
「――ときにコノよ。……ポン酢は好きか?」
「……はい?」
「お、好きか! そうかそうか!」
「え、いや、さっきの『はい』はそういう意味じゃ」
「みなまでいうな、みなまでいうな。うちにはわかる。人には言えんだけでコノカも心には熱い情熱を秘めてるっちゅうことはわかってるんやでぇ」
……意味が、わからない。
「ちなみにコノカはどのポン酢が一番好きなん?」
「や、別にそんなこだわりとかは」
「なるほど、優劣なんてつけられへんと。みんな違ってみんないい、の精神なわけやな。いや、確かにそれもそれもそうなんやけど、やっぱりうちは『かおりの倉』が一番やな!」
…………まったく、意味がわからなかった。
「あの強めの香りと塩味抑え目の醤油。その絶妙な配分が織り成す見事なハーモニー。何と合わせてもお互いを引き立て合い、料理という概念そのものを一段階上のステージへと引き上げることに見事成功――」
「どうしていきなりこんな話に……」
「……マスターは一度こうなってしまうと止まりませんから、まともに取り合っても仕方ありませんよ」
「ひぁっ、び、びっくりした」
戸惑うしかなかったコノカの前に、唐突にティーカップが差し出される。
「お茶も出さずに申し訳ありません。申し遅れました、マスターのお手伝いをしております、テレットと申します」
そう言って頭を下げたのは、いつの間にか隣に立っていた割烹着姿の女性だった。
「あ、これはどうもご丁寧に。わたしはコノ。よろしくね。それでマスターって……カオリさんのこと?」
「はい。マスターはプレイヤーですから、店を開けなければならない日も多くあります。私はその間の店番と必要ならばお手伝いを任されています」
「プレイヤー……まさかの直球な呼び方……。ん? そういう言い方をするってことはテレットさんはプレイヤーじゃないの?」
「そうですね、私は普通の人間です。……元々プレイヤーという呼び方も自称から広まったらしいですから、あまり気になさらなくてもよろしいかと思いますよ。マスターもその呼び方はあまり好みません」
「はぁ、そういうものなんですね……」
コノカは再びカオリの元に視線をやった。
「鍋、餃子、湯豆腐、おひたし、揚げ物全般。日本の食において――」
カオリはついに椅子から立ち上がり、熱弁を振るっている。
……色々と残念な光景であった。
「……マスター、椅子から降りてください」
「おお、テレさんもおったんか。今ええところやねん、今日やってきた新人にやな」
「……早く降りてください」
「……はい」
「まったく。土足なんですから気を付けてくださいと言いましたよね。何度注意すれば分かっていただけるんですか」
「降りる、降りるから! ちょっと待って!」
「だいたい、マスターお客さんをもっと大切にしてください。こちらのコノ様も困ってるじゃないですか」
「しかし、せっかく布教のチャンスやねんから熱が入ってしまうのも仕方ないというか」
「それはマスターの自己満足です。マスターの熱意は存じていますが、まずはすべきことをなさってからお願いいたします」
「でも……」
「ま・す・た・ぁ?」
「わかった、ちゃんと先にレクチャーするから!」
「……お願いしますよ」
テレットの営業スマイルと、背後の壁に掛かる展示品の戦斧。
凄みを増したテレットにせかされるようにカオリも口を開く。
「ええと……ああそや、まずこれ聞いとかな。……コノ。街に来て、どこらへん回ってからうちに来てくれた?」
「どういう意味ですか?」
「いや、言葉通りの意味やけど……よーするにこの街でまだ行ってない場所はどこかって聞きたかったんよ。案内とかもしたいしな」
「え……? 一番最初にこのお店に来ましたよ?」
「……え? マジで!? ほんまにどこにも行ってないの?」
「はい、まあ」
「マジか……。リンの奴……!」
カオリはうつむいて頭を抱える仕草をする。その拍子に髪がくしゃりとはねた。
「よし、決めた!」
うつむいていたカオリはガバッと顔を上げてコノカを見る。
「とりあえず教会から行こか」
それからのカオリの行動は素早かった。
「ちょっと待っててな」
と一言言い残し店の奥に消え、エプロンを外した姿で戻ってくる。その間わずか五分。そして逃げるように店を出る。
あまりの素早さに逆にコノカが戸惑う中、二人は活気あふれる街の中へと歩き出した。
「よかったんですか? お店営業中だったんじゃ……」
「大丈夫、大丈夫。テレさんに任せてるから」
だから心配はいらない、と言ってカオリは笑う。
「にしても、まさか教会にまで連れていってないとはな~」
「教会って、この世界にも宗教があるんですか? キリスト教みたいな感じ?」
「イメージは大体合ってるかな。でも教会がやってる仕事は向こうよりももっと手広いんよ。国と地方自治体を合わせたものに宗教の要素が加わってるくらいに思ってた方が近いかもしれん」
「あ! それでとりあえず教会なんですね! リンちゃんも街に着いたら住民登録をする~とか言ってました!」
「……そこまで言っときながらうちに押し付けたんか、リンの奴……」
「登録かぁ、住民登録って言うからにはやっぱりめんどくさい手続きをしなくちゃいけないんですか?」
正直、あまりそういうことはしたことがないから勘弁して欲しい。というのがコノカの本音であった。
「うーん。身構えなあかんようなものではないよ。よほど運が悪くない限りはめんどくさくもないはず」
「ああ、やっぱり手続きはあるんですね……」
「ま、自分の運が悪い方に傾かんように神様にでも祈っとき」
太陽に照らされて一層色鮮やかに映る街並みを、気のいい店主と雑談を交わしながら歩くことしばし。
コノカの目に白い外観の巨大な建造物の姿が見えてきた。
街の外からも見えていたはるか高い鐘楼、そしてそれを囲むように何棟かの建物が連なっている。
「アレがフレイルの教会や。なかなかやろ?」
賑やかで色彩に富んだ建物が多かったが、その建物だけは他と一線を画している。純白のフォルムと屋根の青がそのシンプルさゆえにとてもよく目立っていた。
「これほどのもんは向こうでもほとんどお目に掛かれへんからな。……さすがに中央本部には負けるけど」
カオリはそう言ってドヤ顔をコノカへと向ける。
しかし、その顔を見てもコノカは不思議と全く腹が立たなかった。
圧倒される。カオリがドヤ顔したくなる気持ちもよくわかった。
リアルにこの建物があったら、確実に世界遺産になっていたんじゃないだろうか。
「さぁ、早よ早よ!」
前方からカオリが呼んでいる。
もともと明るい感じの人ではあったけれど、明らかに機嫌がいい。
――不意に、この街に着いた時のリンちゃんの顔が浮かぶ。そういえば、あの時のリンちゃんも今みたいに自慢気な顔をしていた気がする。
純粋な喜びの気持ちが伝わってくる。それは多分、自分の好きなものを他の人にも知ってもらえた時の喜び。きっと、みんなは本当にこの世界が好きなんだ。
だから、こんなにもその感情が純粋だから、心のどこかが鈍っているわたしにもちゃんと伝わってくるし、そこに嫌味を感じないんだと思う。
ただ、その代わりに、チクリ、と小さな罪悪感がわたしの胸を刺す。
「どうしたん?」
立ち止まったコノカの頭上から声が届く。
「あ、いや……。あんまりスゴいからちょっと呆然としちゃいました」
「うん。そう思ってもらえたら案内した甲斐があるってもんや。さ、目的地も分かったところで、さっさと行くで」
教会に近づくにつれ、人通りの数も増加し続けている。
『――おいおい聞いたか?』
『――向こうで何か始まるみたいだぞ』
道行く人の群れは教会の方面へと向かい、広場の外れあたりで人だかりを作っていた。
「そういえば、わたしたちとテレットさんみたいな人の見分け方ってあるんですか?」
「たまたまその場ですれ違った人を見分けるのは難しいな。まぁ、直接尋ねたらすぐわかるんと違うか? うちらはこっちにおらん時間が絶対にあるから、意図的に隠すことはできひんしな」
「そっか、それもそうですね」
「うちらはこっちじゃ死にもせんしな。モンスターにやられてもホームに設定した場所に戻されるだけや」
「そうじゃないとゲームにならないですもんね」
「でも、ここに住んでる人はそうやない。死んだらそれっきりや。当たり前やけどな。そういうこともあって、うちらも昔はプレイヤーって呼ばれ方やなくて、”御使い”って呼ばれてたんや。多分、神の使い、わかりやすく言えば、天使、みたいな意味やろな」
……ま、今はそう呼ぶ人なんてほとんどおらんけどな。
付け加えるようにカオリは呟く。
「うちはどっちの呼び方もあんまり好きじゃないねん。なんやろ、壁を作ってるみたいでな」
カオリはそう言うと少し遠いところを見るように目を細めた。
気づくと、教会の扉が見える位置まで来ている。目的地はもうすぐそこまで迫っていた。
『――なんだなんだ?』
『――どうやら向こうで野試合が始まるみたいだぞ! それも両方がプレイヤーだ!!』
「……向こうで何かやってるんですかね?」
「決闘みたいやね。こんな街中で堂々とやるなんてなかなか珍しいな」
「なにそれ!? 見たいです!!」
「ちょっと待ちぃ! ただのケンカかもしれん。コノはまだ登録もしてないねんから、万が一巻き込まれでもしたらやっかいや」
「えぇぇー、見たかったのに」
「そこは我慢してな。ほら、入口もすぐそこやで」
決闘が行われているらしい場所もさほど離れているというわけではなかったが、人だかりに阻まれ中の様子をうかがい知ることはできない。
コノカは後ろ髪をひかれながらも、街一番の威容を誇る教会の中へと入って行った。