第五夜/もう一人の少女
◆◇◆
深い、深い海の底。光さえも届かない深海の色は、紛い物の光が消えた夜空の色に似ている。
わたしが最後に本当の光を見たのはいつだっただろう。もう何年も昔のことだったかもしれないし、つい一時間前のことだったかもしれない。
『――――――――』
ここには光は届かない。代わりに耳鳴りにも似た声だけがわたしの中に響く。かすかな耳鳴りも静まり返ったこの場所には染み込むように満ちていく。
わたしは時さえも凍てついた深い暗闇から光の消えた空を見上げる。
空からは行き場を失った記憶の欠片たちが雪のように降り積もってくる。海の底に降る雪は透き通った宝石に似ていた。
だが、それに何の価値があるというのだろう。
美しい宝石たちも光の届かない深海では輝くことを忘れた石ころに過ぎない。
『―――――――っ!』
わたしにできることは光を失った宝石を抱いて眠り、そのまま朽ちていくこと。
――でも、本当にそれだけでいいの?
不意に訪れる、身体が浮上するような感覚。
『――コノちゃんっ!!』
わたしの中には耳鳴りにも似た声の残響だけが遠く鳴り響いていた。
◆
閉じた瞼の向こうから光を感じる。
久しく感じていなかったような感覚。今の彼女にとっては瞼の向こうの光でさえも眩しすぎた。
それでも、彼女の脳は光を欲してしきりに目を開けろと囁く。
脳からの要求に負けて彼女が目を開けると、全方位から圧倒的な光の奔流が襲ってきた。
反射的に目を閉じる。
目に焼き付いた光の残像が消えるのを待って、もう一度ゆっくりと瞼を上げる。
今度は目の方が少し慣れたのか、ぼやけた視界にうっすらと青と緑の色彩が写る。
彼女は目を細め、気休め程度に額へ手を当てて光を遮る。
それからしばらくすると彼女の目も次第にピントが合ってくる。
手のひらをどけると、そこには青々とした草原とかすむような青空が映っていた。
ただの青い空と何の変哲もない草っ原。本当にそれだけなのに、なぜだか無性に胸の奥がざわめく。
胸の奥から湧き上がってくる衝動。
彼女は何かせずにはいられないような気持ちになって、上を向いて白く輝く太陽を見た。
その時、三度押し寄せる白い光が彼女の目の奥を灼いた。
「め、めめ、目が、目がぁ――」
当たり前である。
太陽を直視してはいけない。そんなことは今時小学生でさえ知っている。
彼女が両目を押さえて草の上でのたうちまわっていると、唐突に背後から声が聞こえた。
「……なにやってるの?」
平坦で感情の読み取りづらい声。それでも、他には風の音しか聞こえないこの草原でははっきりと聞こえた。
――み、見られてた!?
いやいつもあんな風に転げ回っているわけじゃなくてそのなんか自分でもよくわかんないんだけどテンション上がっちゃってあんな奇行に走っちゃったというか自分で自分を抑えきれなかったというかとにかくあれはわたしの意思じゃなかったわけだからそのふか……ふか……そう! 不可抗力! あれは不可抗力だったのよ!
自分への言い訳を脳内で展開すること約0.5秒。彼女は慌てて立ち上がり、声の聞こえた方へと向き直る。
「……?」
そこにはこちらを向いてちょこんと首をかしげる女の子の姿があった。
硬直しただ苦笑いを浮かべ続ける自分とやはり不可解そうに首を傾げる女の子。お互いに何も喋らず、しばらく無言の時間が過ぎていく。
そろそろ沈黙が身に染みようとしていたころ、突然、女の子は何かに納得したように、ぽん、と手を叩いた。
「……上級者の遊び?」
「何を考えていたのかは知らないけど、それは多分違う」
「ん……?」
「いや、また首をかしげられても困るんだけど……」
どうやら、目の前の女の子は、少々エキセントリックというか天然の気があるらしい。
しかし、そう決めつけるのも早計かもしれない。自分が時代についていけていないだけで、これが今の時代のスタンダードという可能性も考えられるのではないか。
もう一度、女の子の姿をよく観察する。
くすんだきつね色のレインコート風上着ですっぽりと全身を覆った小柄な体。身長は自分の目の高さと同じくらい。
じっとこちらを見つめる心持ち薄く見える黒い瞳に、髪は頬にかかるくらいのショートカット。そして、思わず目を奪われるような金髪。
そう金髪だ。
「えっと……どこの国の人?」
「……どこ?」
――やっちゃった!
口に出してすぐに気付いたが、普通に言葉が通じている時点で、日本人である可能性は高い。何らかの事情で日本語が話せる外国人という可能性もあるにはあるが、女の子の顔だちは良く見慣れたアジア系。その可能性も低いだろう。
早くも自分の発言に後悔をしている彼女をよそに、女の子から返ってきた返事は予想の斜めをいくものだった。
「……ん、『フレイル』。」
――え?
わたしの聞き間違いだろうか? 全く聞き覚えのない言葉が聞こえたような……?
「……あなたは?」
混乱する頭に追い討ちをかけるように、女の子は質問を返した。
「……ごめん。もう一度お願い」
「……あなたは?」
「いや、そっちじゃなくてそのもうちょっと前」
どうやら女の子はあまり口数は多くないタイプらしく、少し気だるそうに、しかしきっちりと彼女のお願いに答えた。
「……フレイル。所属している国の名前。知らない?」
「ふ・れ・い・る……って言ったの?」
「……ん。ふれいる。」
正直、全く聞いたこともない。
少なくとも彼女の記憶の中にはそんな名前の国はなかった。
どこかの地名か、しかしそうだとしてもあまりに日本らしからぬ響きだ。
「……あなたは?」
「日本だよ」
再び繰り返される質問。色々と疑問は残るけれど、今はこの子の質問に答える方が先だと彼女は判断した。
「……違う。こっちの国。」
「こっち?」
「こっち――『Another dream』の国。」
「あなざー、どりぃむ?」
わたしが女の子の言葉を反復した途端、頭にズキリとした痛みが走る。閉じていたドアを無理やりにこじ開けるような、頭の奥の方が軋むような、そんな痛み。
ドアの奥からは、深く沈んでいた「記憶」が呼び起こされ、流れ出してくる。
客観的には一瞬、しかし主観的にはその何十倍もの時間、『私』の記憶がフラッシュバックし、それが終わるとわずかな幻痛を残して痛みも消えていく。
思い出した。
『Another dream』目の前の女の子が口にしたその名前は、とあるVDゲームに付けられた名前。
もう一人の私がしようとしていたゲームの名前。
そして、女の子はその名前を確かに「こっち」と表現した。
つまり――
「……だいじょうぶ?」
「えっ?」
「急に、元気、なくなったみたいだから。」
そう言った女の子の変わらない平坦な調子の声に気遣いの色を見たのは、わたしの勝手な妄想だっただろうか。
「いや、……うん。だいじょうぶ」
正直に大丈夫じゃないと言いそうになって、直前で言い直す。大丈夫。取り繕うのは得意な方だ。
依然として自分を見つめ続けている女の子から目を逸らして、彼女は目の前いっぱいに広がる景色を見た。
爽やかな風が吹き抜け、思わず右手で髪を抑えた。手のひらに人間の髪特有の質感を感じる。
鮮やかな緑色を放つ草原はそよ風を受けて揺れているし、青い空には霞むほど遠くに雲が昇っている。
彼女の視線を察知したのか、女の子もいつの間にか同じ方を向いていた。
「……いつ見てもリアル。」
「……うん、本当に」
――そう、本当にリアルだ。
でも、リアルという表現は現実を表すときには使われない。
じゃあ、目の前に広がる草原も、青い空も、さっき確かにわたしの目を灼いた太陽でさえも、全部偽物ってこと?
信じられない。
そう考えた途端に全ての色彩がくすんで見えた。
悪い冗談はやめてほしい。
手で抑えたままだった髪を自分の目の横まで持ってくる。周りのみんなと比べても何ら変わり映えのしない黒髪……だったはずの髪は、今はツヤのある紫色へと変じていた。
「……ここってさ、ゲームの中なんだよね?」
「うん。」
それはとても信じがたい突拍子もないようなことで、でも不思議と納得できた。
見るもの、聞くもの、触るもの、臭うもの。全てが圧倒的な説得力を持っていた。
「……私も、初めてのとき感動した。風も、海も、雲も、空も。全部本物みたいで。」
「……」
「……向こうにいるときは、いつも何かに縛られてて。でもここはとっても本物で、自由。」
「自、由?」
「……ん。自由。」
今までとは打って変わって長い台詞。言い終わった後、また女の子は口を閉じて押し黙る。
再び訪れる沈黙。
女の子の言葉は自分のお腹に自然に入ってきて、温かくてどこか清々しいものが体に溶け込んでいく。
わたしは女の子と並んで景色を眺める。
わたしが最後に本当の光を見たのはいつだっただろう。わからない。わからないけど、とても、とても長い時間だったような気がする。
今、わたしがどうしてこんなことになっているのかもわからない。本当にわからないことだらけ。
でも、今はわたし自身の意志としてこの奇跡を自由に楽しみたい。そう思った。
わたしは彩りを取り戻した世界の中で、また横を、隣の無愛想な女の子の方を見る。
――そうだね、まずは、わたしの恩人と仲良くなるところから始めようかな。
「よかったら、わたしに教えてくれないかな? ここのこと」
彼女はここで目を覚ましてから初めての本当の笑顔で、隣の女の子に笑いかける。
――あっ、目逸らした。
女の子は顔ごと横を向いて自分の顔を隠す。彼女からは少し赤くなった横顔だけが見えた。
「……いい。」
ひときわ小さい声で返事が返ってくる。それでも、他には誰もいないこの場所だから、その声はちゃんと彼女の耳に届いた。
心なしか顔の赤い部分の面積が広がっているようにも見える。
「……初心者にレクチャーするのは義務。」
女の子は横を向いたままそう念を押すように付け加えた。しかし、やっはり横顔は紅潮したままだ。
わたしはそっぽを向いたままの女の子の手を取って、ちょっと強引に握手をした。
手から伝わってくる柔らかさと温もり。
自分と体温はそれほど変わらないはずなのに、確かに温かい。
女の子はバッとこちらに向き直る。その顔は明らかな驚きに彩られていた。
「わたし、コノカ。『双葉心乃香』。よろしくねっ」
そして突然の自己紹介に、慌てた様子で何かを言おうと口をパクパクと開閉させる。
それから数秒後。
「……『リン』。こ、こちらこそ、よろしく。」
「よろしくね、リンちゃん!」
女の子、改めリンちゃんは、握手した手を握り合ったまま、少しだけはにかんだ。
まだまだわからないことだらけだけど、今日ここで目覚めてから一つだけ確信したことがある。
――この世界でできたわたしの初めての友達は、笑顔が本当に可愛い。
「……歩きながら説明する。ついてきて。」
「うん! わかった。これからも『リンちゃん』って呼んでいいよね?」
「………………好きに呼べばいい。」
「ん~? さっきちょっと間が長くなかった~?」
「……っ!」
「ホントはなんて呼んで欲しかったの~?」
「……っ。知らない!」
わたしはいきなり速度を上げたリンちゃんの背中を笑いながら追いかけていく。
早足で歩く無表情な金髪の女の子と、それを笑顔で追いかける紫色の髪をした女の子。二人の頭の上には真っ白な太陽が燦然と輝いていた。
◇
無限に広がっているんじゃないかと思っていた緑の絨毯も少しずつ色合いを変えていく。
いつの間にか、一面緑だった地面には一本の道が出現していた。その道も途中で一箇所だけ分かれ道があるのみで他に別れたりはせず、ずっと真っ直ぐに先へと続いている。
遠くには灰色をした建物の影も見え始めた。
そして、変わりゆく景色の中でも、突発的に始まったリンの説明会は続いていた。
「で、なんだっけ。……あ、そうそう、その『クラス』ってやつが重要なんだよね。あとはぎ、ぎ、ぎ……なんだっけ?」
「……ギフト。」
「そう、それそれ! クラスとギフトね。覚えたよ!」
「……コノは記憶力怪しい。セットアップに必要なの、名前だけ。でもそれも忘れてた」
「まぁまぁ、そんなことはいいじゃない。こうやって思い出したんだから」
ゲーム内での自分のキャラクターネームさえ忘れたと言い出したコノカに、メニューの呼び出し方をレクチャーしたのもつい先ほどの事だ。
「…………とにかく、クラスによってできること・得意なことが変わってくる。」
「それは……まあ、なんとなくはわかる気がする。初めからある程度得意・不得意があるってことだよね」
「……このクラスはゲーム開始時に自動で決められる。」
「ふむふむ」
「……コノのクラスはモンク」
「モンクかぁ。本当にゲームみたいだね」
「……紛れもなくゲーム。のはず」
なぜか、リンは歯切れの悪い言葉を返し、それからすぐに話題を本筋へと戻した。
「モンク自体は別に珍しいクラスでもない。」
「それは珍しいクラスもあるってこと?」
「ある。クラステェンジではなれないクラスが割り当てられることもある。でも、今はいい。」
「そのクラスチェンジってワードも気になる――分かった分かった、脱線させるつもりはないから続けて」
「……モンクはいわゆるヒーラー。スキルで人を癒すことができる。それには杖とかそういう感じの武器、必要。」
「魔法使いのステッキ! みたいな?」
「大体合ってる。そんな感じのモノ持ってない?」
「うーん、多分持ってないと思う」
「捨てちゃった、とか?」
「いやいや、流石にそんなことはないと思うよ!?」
「私は木の葉一枚だった。コノの場合、木の枝とかかも。」
「それはちょっとすごいね……。でも違うと思う。リンちゃんに会ったの、わたしが目覚めてすぐだったから」
「でも、コノなら、寝ぼけて捨てたとかも考えられる。」
「あはは、確かにその可能性は捨てがたいかも。ほら、わたしってちょっと忘れっぽいから」
「……そこは胸を張って否定してほしかった。」
リンはコノカをジトッとした目で見つめる。
「ま、そういうもんだと思っててくれたらいいから」
実際、コノカにもわからないことは多かった。目が覚めたらここにいたのも本当だ。さっきの頭痛で思い出せたのも、ここがゲームの中だということ程度。
あっけからんとした口ぶりとは裏腹に、コノカは心の内に自嘲的な嘆息をついた。
リンは依然ジト目のままコノカを見つめている。
――なんだか大変似合っていたので、わたしも対抗するように無駄なドヤ顔を返してみる。
「……はぁ。」
なぜかため息をつかれてしまった。
「……わかった。信じる。」
「突然!? そしてあっさり!?」
「……だって嘘、ついてない。」
そうでしょ? とばかりにリンは首をこてんと傾げた。
「……うん、そうだね。」
――そうだ。確かに嘘はついてない。でも言っていないことはある。言い訳がましく言い直させてもらうなら、言えないことがある。
「……なら……。」
隣で小さく呟きながら考え込む優しい友達を見る。
――多分、この子は分かってる。わたしに言えないことがあることを。
その上で、できる限り誠実でありたいと願うわたしの意を酌んでくれているのだ。
今は、その優しさが何より嬉しかった。
「……服のこともあるし、とりあえず街まで行って調べもらうのが無難かも。」
「確かに、この服はヒーラーって感じじゃないよね。昔習ってた護身術を思い出すよ」
今、コノカは橙色の胴着に似た衣装をまとっていた。
「わたしが習ってたのは競技用じゃなくて何でもありの護身術だったけど、これはどっちかって言うと少林寺拳法みたいな――」
――不意に、わたしの背中を湿度の高い風が撫でた。悪寒にも似た何かが体の後ろを走る。
錯覚?
隣からはリンのブツブツとつぶやく声が聞こえる。
「武器無しのモンク……カオリは残念がるかな……」
――その時だった。
視界の端に白いものが写る。同時にさっき感じた悪寒も確信に変わる。
その白い塊は左隣の、リンの方へ向かっていた。
コノカは思わずその姿を目で追ってしまう。
しかし、白い塊は素早く、目には残像のようにしか写らない。
次の瞬間、白い塊の動きが不自然に一瞬止まった。わたしの目が白い塊の全貌を捉える。
白く見えていたその塊はウサギだった。
ユキウサギというのだろうか、サイズも現実のウサギとそう変わりはしない。
しかし、ウサギの全身をはしる無骨な配管、あるいは金属の装甲が、現実の生物ではないと雄弁に主張している。
瞳は赤く光り、澱みのない無機質な敵意で標的を射抜いていた。
――ズキリ。と頭が痛む。
時間が引き伸ばされ、わたしの頭の奥、一番深い所にある記憶の扉が開こうとする。
痛い。さっき、眠る前の記憶を引き出した時とは比較にならないくらいに。
リンちゃんは何かつぶやいているままだ。すぐ後ろまで迫っている敵意に気付いた様子はない。
でも、その敵意はわたしの体を動かすのに十分だった。
わたしは反射的に左へ一歩、足を出す。
止まっていたウサギが跳ねた。見なくてもわかる。標的はリンだ。
――ズキリ。また、頭が痛む。
兎のスピードは速い。さっきまでとは桁違いだ。もしかすると一瞬止まっていたのもこのために力を貯めいていたのかもしれない。
わたしは隣の友達に向かって手を伸ばす。
――ズキリ。まただ。また頭が痛む。
今度はわたしの脳裏にはっきりとあの日の記憶が蘇ってくる。
……わたしから離れていく小さな手。その手がわたしを突き飛ばして代わりに暗闇へと吸い込まれいく。恐怖と決意がないまぜになった目がわたしを捉える。闇の奥から感じるのは濁りきったどす黒い悪意。
あの日、わたしは守れなかった。大切な親友と、そして自分自身を。だから――
わたしは右手を強く握る。誰かの手をつかむためじゃない。あの日守れなかったものを守るために強く、強く。
そして、わたしは固く握った拳をひねりを入れて真っ直ぐに突き出した。
その時、一瞬右の拳が光ったような気がした。ウサギがぎょっとした目でこちらを振り返る。それでもわたしの拳は止まらない。
そのまま振り抜かれる拳。わたしはウサギの横っ面を殴り飛ばした。
大きく吹っ飛んでいくウサギ。明らかにわたしが込めた力以上に吹き飛んでいる。ウサギはたっぷり五メートルほど転がって止まる。
「コノ !」
コノカはリンの声で我に帰る。
目の前には動きを停止させた小さなウサギと、やはり無表情なリン。
些か過剰防衛に過ぎた感は否めない。
頬がくぼんだウサギの横顔は、正直、かなり痛そうだった。現実なら愛護団体が飛んできそうだ。
「……あれがモンスター。私たちを襲う敵」
言っている端から、地面に倒れ伏していた兎がキラキラした粒子のようになって地面へ溶けていく。
「えっと……」
「……どう見てもオーバーキル。あのウサギはここら辺で一二を争う弱さ。だったはず」
「え、いやでも、めっちゃ素早かったよ!? 脆かったけど」
実際、あのままではリンに攻撃が当たっていたはずだ。
「……それは気のせい。まだ目が慣れてないから。」
「でも」
「……それにあれくらいじゃ弱すぎて私にはダメージを与えられない。」
そう言ってリンは薄い胸を張った。相変わらず無表情ではあるけれど、どこか自慢げだ。
――うん。でも、乏しい。どこがとは言わないけど。装甲が乏しい。
「でも、筋はいいかも。初めてでスキルを使える人はあんまりいない。」
「スキル?」
「……めんどくさいから二回は説明しない。登録の時にでも聞いて。」
「えー、ケチ。で、登録って何? そういうのはゲームの外でするものじゃないの?」
「そっか。それは言ってなかった。まず私たちは最初に国を決めて、住人登録する。その時にもろもろの説明とか検査とか受けられる。」
「検査って健康診断みたいな? それとも体力検査みたいな?」
「そんなに面倒じゃない。でも、それだけ筋がいいなら、期待しててもいいかも。」
「あはは、あれは偶然だって。たまたま体が動いただけ。それに弱いモンスターだったんでしょ」
本当にただの偶然なんだ。咄嗟に体が動いて、それがたまたまうまくいっただけ。褒められるようなことでも、誇れるようなことでもない。
「……でも、私は嬉しかった。」
「へ?」
「……守ってくれてありがとう。」
「え、あ、ありがとう?」
「……。」
そう言ったきり、リンはそっぽを向き、そのまま灰色の建物が見える方角へ歩いていく。
――今のはさっきのお礼、ってことだよね?
立ち止まっているコノカからは、前を歩いていくリンの後ろ姿が見える。
コノカは自分の右手で開いて閉じてを繰り返す。不思議と痛みは感じない。さっき殴り飛ばしたのが嘘みたいだ。
――わたしは……守れたのかな?
心の中で生まれたつぶやきは言葉にならずに風に流されて消えていく。
「……どうしたの?」
気がつけば前を行くリンちゃんが振り返っていた。
「いま行くよー」
一声返してコノカも歩き出す。
歩き始めると肌に風を感じた。当たり前のことだけど、爽やかで気持ちいい。
「……街まではもう少しある。説明は続行。」
「はいはい、よろしくお願いしますねリンちゃん先生」
「……ちょっとセンス古い……?」
「失礼な!」
わたしたちの行く道のりはまだまだ長く遠い。
ここからVD内でのお話になっていきます。お楽しみに。